DESIGNER-STUDY · 2026-06-10
水口哲也の哲学 — ジャンルではなく、感覚を設計する
Rez / ルミネス / Tetris Effect と「シナスタジア」という一貫した問い
はじめに
私がデザイナーを論じるとき、まず探すのは「その人が25年間、言い方を変えながらも同じことを言い続けているか」である。一貫性は、本人が無自覚なほど深い信念の証拠になる。今回取り上げる水口哲也は、その意味でほとんど理想的な観察対象だ。『Rez』(2001)、『ルミネス』(2004)、『Child of Eden』(2011)、『Tetris Effect』(2018)——ジャンルはばらばらに見えて、本人の言葉を並べていくと、驚くほど一本の線が通っている。
水口は2018年に『Tetris Effect』で再びパズルの中心に戻ってきた。落ち物パズルの完成形であるテトリスに、彼が「シナスタジア(共感覚)」と呼ぶ多感覚の層を重ねるという挑戦である。だがこの記事は作品紹介ではない。New Statesman の2017年インタビュー、Reboot Develop 2019 でのインタビュー、VGC の Tetris Effect 4周年インタビューを横断して読み、水口哲也という人物が何を信じ、どこでつまずき、何に影響されてきたかを考察したい。引用はすべて原典を確認したもので、各所に原典へのリンクを置いた。
経歴 — レースゲームから共感覚へ
水口哲也は1965年、北海道小樽市生まれ。日本大学芸術学部で美学を学んだのち、1990年にセガへ入社した。ゲーム業界の人間としては異色の出自で、本人はゲームを選んだ理由を「人間の感覚やエンタテインメント——人間の本性により近い、研究できる領域で何かをやりたかった」「セガを選んだのは新しい技術を使っていて、人間の動きのようなものを研究できたからだ」と語っている(Next Generation, 1996、Wikipedia 経由)。入社のきっかけが NASA の VIEW という VR ヘッドセットの一枚の写真だったという逸話も、後年の彼を予告している。
セガ時代の水口は、まずアーケード筐体や体感ライドの設計から始め、3D ポリゴンのレースゲーム『セガラリー』(1995)で頭角を現す。レースの人ではあったのだ。転機は1998年。チューリッヒで訪れた音楽フェスで、人々が音楽に合わせて動き、音と色と動きが連動して変化していく様子を見て、彼は「シナスタジア」という言葉を思い出す。ここから『スペースチャンネル5』『Rez』へと舵を切った。
2003年にセガを離れ、元セガ勢とともに Q Entertainment を設立。携帯機向けパズル『ルミネス』『メテオス』などを世に出す。2014年には Enhance を立ち上げ(登記上の社員は本人ひとり)、『Rez Infinite』『Tetris Effect』『HUMANITY』『Lumines Arise』へと続く。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の特任教授でもある。日本では『Rez』とテトリスの人として知られるが、その思想の核を本人の言葉で追った記事は意外に少ない。
哲学 — 「ジャンルではなく、感覚を設計する」
水口の発言を横断して最初に浮かび上がるのは、彼が自分を「ゲームデザイナー」だとは思っていないことだ。New Statesman に対し、彼は自分を音楽家でもゲームデザイナーでもなく「技術者(technologist)」「未来学者(futurist)」だと述べている(New Statesman, 2017)。同じインタビューで彼はこう語る。「I love to combine many elements, the music, the storytelling, many things, as one architecture. I don't care about the genre, I want to create a fresh new thing. Also, I want to break something.(多くの要素——音楽、物語、いろいろなものをひとつの建築として組み合わせるのが好きだ。ジャンルには興味がない。新鮮なものを作りたいし、何かを壊したい)」
この「ジャンルには興味がない」という宣言は、彼の代表作がレース・シューティング・パズルと散らばっていることと符合する。彼が一貫して設計しているのはジャンルではなく、視覚・聴覚・触覚をまたぐ感覚そのものだ。2019年のインタビューでは「I focus on three elements, vision, audio, and haptic. No smell and no taste.(私が集中するのは三要素、視覚・聴覚・触覚だ。嗅覚も味覚もない)」と、扱う感覚の範囲まで明確に線を引いている(wccftech, 2019)。
そしてもうひとつの柱が、感覚の先にある「人を動かすこと」だ。彼は『Rez』を作ったときのことを「It should be timeless, placeless, cultureless. So we asked what is the deep, deep point of the human being, what is our basic instinct?(時間も場所も文化も超えたものであるべきだと。だから私たちは問うた——人間の最も深い点は何か、私たちの根源的な本能は何かと)」と振り返る(New Statesman, 2017)。1996年の「人間の本性に近い領域で研究したい」という言葉と、22年後の「根源的な本能」という言葉は、ほとんど同じことを言っている。私が冒頭で「一貫性」を探すと書いたのは、このことだ。
こだわり — 「泣かせること」という到達点
水口の作品評価軸は、難易度でも完成度でもなく「人の感情が動いたか」、もっと言えば「泣いたか」である。これは比喩ではない。彼は1997年から大学で教えており、毎年学生に「ゲームをプレイして泣いた人は何人いるか」と尋ね続けてきた。「20年前は誰も手を挙げなかった。『何を言っているんだ?』と。だが今はほとんどの人が手を挙げる」と彼は語る(wccftech, 2019)。技術の進歩を、彼はグラフィックの解像度ではなく「泣ける人数」で測っている。
だからこそ『Tetris Effect』での到達点を、彼は売上やレビュー点ではなくこう表現する。「We can make a simple game like Tetris and add emotional elements and it made people cry.(テトリスのようなシンプルなゲームに感情的な要素を加えて、人を泣かせることができた)」(VGC, 2022)。同じインタビューで彼は、コロナ禍で気分が沈んでいたプレイヤーが VR 版に希望を見出したこと、がんで動けない母親に VR 版を贈った人の話を、開発の最大の報酬として挙げている。
もうひとつのこだわりが「抽象」への偏愛だ。VR の未来について彼は「too real or too abstract(リアルすぎる方向か、抽象的すぎる方向か)」の二択を語り、「abstract is much more artistic and is new territory. A new canvas.(抽象のほうがずっと芸術的で、新しい領域だ。新しいカンバスだ)」と断言する(wccftech, 2019)。ウイルスとなって抽象空間を飛ぶ『Rez』も、落ちてくるブロックも、彼にとっては「カンバス」なのだ。
失敗と乗り越え方 — 待つ、あるいは迂回する
水口が公に語る「うまくいかなかったこと」の多くは、技術や権利が彼の構想に追いつかない、という形をとる。アーケード時代、彼は騒がしいゲームセンターで3〜10分の体験で人を感動させようとして、こう振り返る。「How can I move the people by having them play arcade games in a game center? A noisy game center?(騒がしいゲームセンターでアーケードゲームを遊ばせて、どうやって人を感動させられるのか)……That was impossible.(それは不可能だった)」(wccftech, 2019)。彼はこの限界を、自宅でじっくり遊べる家庭用ゲーム機という環境へ移ることで乗り越えた。
VR についても同様だ。「I've always wanted to make VR games, since I was at Sega in the early 90s.(90年代初頭、セガにいた頃からずっと VR ゲームを作りたかった)」が、当時の技術では「we weren't able to deliver an experience that I thought was satisfactory(満足のいく体験は届けられなかった)」と語る(VGC, 2022)。彼の解決策は、しばしば「技術が追いつくまで待つ」ことだった。『Rez Infinite』も『Tetris Effect』も、20年来の構想が VR という器を得てようやく結実したものである。
待てないときは迂回した。最も有名な例がルミネスの誕生だ。PSP が発表されたとき、彼は『Rez』とテトリスを混ぜた体験を作ろうとしたが、当時テトリスの権利は EA が押さえていて作れなかった。「And then we made Lumines. That was a really good thing for us.(そこで私たちはルミネスを作った。それは私たちにとって本当に良いことだった)」(wccftech, 2019)。作れない壁にぶつかったとき、彼は別の形に作り替えることで前進している。
ジレンマ — 名作に何を足し、何を足さないか
水口が最も率直にジレンマを語ったのは『Tetris Effect』についてだ。誰もが知る完成された名作に、彼の「シナスタジア」を重ねること——それは諸刃の剣だった。彼はこう述べている。「If we used Tetris and then incorporated synthesia, but people thought 'this is not so gorgeous' or 'this doesn't deserve to be called Tetris' there would be no emotional response.(テトリスにシナスタジアを組み込んでも、『そんなに華やかじゃない』『これはテトリスと呼ぶに値しない』と思われたら、感情的な反応は起きない)」(VGC, 2022)
裏返しの恐怖もあった。足しすぎず、しかし「ただのBGMが良いテトリス」で終わってもいけない。2019年、彼はこう語っている。「If the people played Tetris Effect and just thought 'oh, this is Tetris with good music,' that would've been a failure.(もしプレイヤーが『ああ、音楽の良いテトリスだ』としか思わなかったら、それは失敗だっただろう)」(wccftech, 2019)。足さなければ意味がなく、足しすぎれば原典を壊す——このシンプルな名作をどこまで触るかという綱渡りが、彼の語るジレンマの核だ。
私はここに、彼の「I want to break something(何かを壊したい)」という衝動と、半世紀近く愛されてきた形式への敬意との緊張を読む。壊したいが、壊しすぎれば人は感動しない。この二つの引力のあいだで針の穴を通すことが、彼にとっての設計だったと整理できる。
影響源 — カンディンスキー、一枚の写真、焚き火
水口が公に認めている影響源で最も明確なのは、抽象画家ワシリー・カンディンスキーだ。New Statesman で彼は「I love artists from a hundred years ago, I love their concepts(100年前の芸術家たちが好きだ、彼らのコンセプトが好きだ)」と語り、『Rez Infinite』のエンドクレジットにカンディンスキーをクレジットしていることを明かしている(New Statesman, 2017)。音と色を等価に扱うカンディンスキーの絵画思想は、水口のシナスタジア観の直接の祖先と言ってよい。
二つ目は、彼をゲーム業界に導いた NASA の VIEW という VR ヘッドセットの写真(Wikipedia)。そして三つ目が、1998年チューリッヒの音楽フェスでの体験だ。「I went to the party at night and it was a thousand people not dancing but moving... I remembered the word synaesthesia.(夜のパーティに行くと、千人が踊るというより動いていた……私は『シナスタジア』という言葉を思い出した)」(New Statesman, 2017)。彼の代表作群は、すべてこの一夜から枝分かれしている。
人物の影響も本人が語っている。PSP を手にしたとき、「PlayStation の父」ケン・クタラギが「this is an interactive, 21st century Walkman(これはインタラクティブな21世紀のウォークマンだ)」と言った——その言葉がルミネスの着想になったという(New Statesman, 2017)。そして『Tetris Effect』は、ハワイ島でテトリス社のヘンク・ロジャースと「星空の下、焚き火を囲んで語り合った」時間から生まれた。「that inspiration really became Tetris Effect(あのインスピレーションが本当に Tetris Effect になった)」と彼は振り返る(VGC, 2022)。
Kizuki の読み
ここからは本人発言から一歩踏み込んだ、私 Kizuki の解釈である。私は水口哲也を「パズルデザイナー」とは読まない。彼は感情を設計する技術者で、パズルという形式を繰り返し選んだのは、それが最も『文化的に空っぽ』だからだと読む。落ちてくるブロック、抽象空間を飛ぶウイルス——意味を持たない形式ほど、感覚の層に全ての意味を背負わせられる。彼が『timeless, placeless, cultureless』を理想に掲げたこと、そして最も普遍的なゲームであるテトリスに最終的にたどり着いたことは、偶然ではないと私は考える。
そして私は、彼の「ジャンルには興味がない」という発言と、生涯にわたってパズル・抽象作品に回帰し続けた事実を、矛盾ではなく一つの告白として読む。ジャンルが問題だったことは一度もない。最初から問題は感覚だった。1996年に『人間の本性を研究したい』と言った青年が、2018年に『シンプルなテトリスで人を泣かせた』と語る——25年かけて、彼は同じ一つの問いを器を替えて解き続けている。なお付言すれば、彼の言う『シナスタジア』は臨床的な共感覚ではなく設計上の概念だ(本人もインタビューで薬物経験を冗談まじりに否定し『私はいたって普通だ』と答えている)。感覚を混ぜるのは脳ではなく、彼の作る装置のほうなのである。
おわりに — どこから水口に触れるか
水口哲也という人物を最短で理解したいなら、私は『Tetris Effect』から入ることを勧める。誰もが知るテトリスを土台にしているぶん、彼が『何を足したのか』が差分として見えやすい。落ちる音、消える光、増していく音楽——それらが感情を動かす瞬間に、彼の25年が凝縮されている。次に『Rez』(可能なら『Rez Infinite』のVR)に進めば、文化も意味も剥ぎ取った『抽象のカンバス』という彼の原点に触れられる。
関連デザイナーへの導線としては、ルールそのものを遊ばせる Arvi Teikari や、観察と推理を遊びに変える Lucas Pope といった、本サイトで既に扱った作家たちと並べて読むと面白い。水口が『感覚』を設計の核に据えたのに対し、彼らが何を核に据えたか——その対比が、それぞれの輪郭を際立たせるはずだ。
参考文献
本記事で参照した一次資料(すべて本文を確認のうえ引用):
・Wikipedia “Tetsuya Mizuguchi”(経歴および Next Generation 1996 インタビューの引用元として参照)
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