COUNTER-REVIEW · 2026-06-15

Lorelei and the Laser Eyes への反論 — Steam低評価から読み直す

Komugi のレビューでは語られなかったこと

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はじめに

Komugi は Lorelei and the Laser Eyes のレビューで 9.0/10 を付けた。Obra Dinn の系譜にありながら Simogo 独自の夢幻的な美意識が全体を覆う、紙とペンで遊ぶことを忘れていた人に強く勧めたい一本だ、と。私はあの文章を尊重している。だが、ほぼ満点の称賛を読んだとき、私の習慣は決まっている。反対側の意見を読みに行くことだ。

Steam での総合評価は『非常に好評』に振れている。けれど低評価だけを抜き出して「helpful」順と「最近」順で読むと、そこには驚くほど整然とした、しかも互いに独立しているはずの他人どうしが同じ言葉で書いた不満が並んでいた。操作。迷子。錠前の単調さ。そして光。Komugi のレビューが一行も割かなかった四つの論点である。今日はこの四つに正面から向き合う。

低評価レビューの主張

第一に、操作系である。Steam で最も多く支持を集めた低評価が口を揃えて指摘するのは、本作が事実上『一本のボタン』で全てを処理させる点だ。インベントリを開くのも、オブジェクトを調べるのも、暗号錠の数字を回すのも同じ入力。マウス非対応で、メニューを抜ける『戻る』ボタンが存在しない。パズルを途中でやめたければ、わざと誤答を入力して弾かれるしかない——複数の批判がそう書いている。『9999 と入れるのに約40回ボタンを押した』という具体的な訴えもあった。

第二に、解の所在が分からないという迷い。ある長文の低評価は、中盤で50超のパズルと100超の資料を前に『どれが今解けるパズルなのか全く分からなかった』と書く。解はその部屋にあるのか、別の部屋か、それとも未解決の十個のパズルに依存しているのか。判別する手がかりがない、と。

第三に、暗号錠の単調さ。『どこかで見つけた日付を錠前に打ち込むだけ』『開いても達成感がなく、また次の錠前と数字が現れるだけ』という指摘。いわゆる“The Witness 症候群”——演出は美しいが、パズルそのものは紙に印刷しても成立する——という辛辣な比喩まで出ていた。

第四に、アクセシビリティ。ゲーム開始から数時間後に、警告も設定での無効化もないまま強い赤色の点滅光が頻出する、という低評価が複数ある。暗いノワール画面の中で書類だけが眩しく白い、という指摘もあった。

検証

一本指の操作から検証する。Simogo は明言している——この一様な入力は意図的な様式であり、PS1 期のサバイバルホラーへのオマージュだと。確かに『操作の摩擦そのものが演出』という設計は前例がある。Resident Evil の固定カメラも、Silent Hill の重い振り向きも、不便を恐怖の道具に変えた。問題は、Lorelei が恐怖ゲームではなく、長時間にわたり大量の数値入力を要求する暗号ゲームだという点だ。様式としての不便と、作業としての不便は、別物として測られねばならない。

解の所在が分からない、という訴えはどうか。これはジャンルの本質に触れている。脱出ゲームやアドベンチャー暗号物は、歴史的に『何を手がかりと見なすか』の判別そのものを遊びの中心に置いてきた。Myst も Obra Dinn も、最初は何が解けるのか分からない。だが優れた作品は、解ける範囲を緩やかに区切る『地区(リージョン)』の感覚を与える。Outer Wilds のシップログはその最たる装置だ。Lorelei が批判されるのは、その区切りの可視化を意図的に薄めているからである。これは欠陥か、それとも設計か——後段で判定する。

暗号錠の単調さと“The Witness 症候群”について。『紙に印刷しても成立する』という批判は、実はパズル設計では侮辱になりきらない。クロスワードもナンプレも紙の上で成立し、それでも傑作たりうる。問題は錠前の『数』と『間隔』だ。同型の作業が連続し、その合間に発見の段差が用意されていなければ、プレイヤーの脳は『解いている』ではなく『入力している』と感じ始める。これは Lorelei 固有の罪ではなく、暗号量で押すゲーム全般の構造的リスクである。

私が同意する点

操作とアクセシビリティについて、私は低評価に同意する。これは Komugi のレビューの明確な盲点だ。彼女は『紙とペンで遊ぶことを忘れていた人へ』と書いたが、その紙にたどり着く前段の——メニューを抜けるだけの、答えを入力するだけの——摩擦を一行も評価していない。様式としての不便を擁護することと、一つの解を入れるのに数十回ボタンを押させる労働を擁護することは、同じではない。『戻る』ボタンの不在は様式ではなく、単なる欠落だと私は考える。実際、有志がそれを補う Mod を作っている事実が、それを物語っている。

点滅光の問題はさらに重い。警告も無効化設定もないまま、数時間後に強い赤色の点滅が頻出する設計には、芸術的な弁護の余地がない。光過敏性発作のリスクは美学の議論より上位にある安全の問題であり、ここで『演出だから』は通用しない。Komugi のレビューがこの一点に触れていないのは、満点近い評価を出す書き手として誠実さを欠いていたと言わざるを得ない。

そして、暗号錠の『間隔』の問題にも部分的に同意する。終盤、同型の作業が連続して発見の段差が薄くなる局面は確かに存在する。Komugi 自身『ノートが2冊埋まった』と書いたが、その2冊のうち何ページが『解く喜び』で、何ページが『書き写す作業』だったかを、彼女は腑分けしていない。低評価ユーザーはその作業の側を正確に名指している。

私が反論する点

だが『パズルが浅い』『達成感がない』という中核の批判には、私は反論する。Lorelei は機械的パズルゲーム——Baba Is You や Patrick's Parabox のように、一握りのルールが連鎖して深い手筋を生むタイプ——ではない。これは探偵的・暗号的な作品だ。達成感の源泉が違う。『この錠前の数字はどこにある?』という個別の快感ではなく、『止まった時計、鏡張りの廊下、家族の名前——これら全部が一つの真相に収束する』という、建物まるごとを一個の謎とする快感に賭けている。錠前一つひとつに“aha”を求めるのは、推理小説の各ページに犯人当てを求めるようなものだ。

解の所在が明示されない点も、私は擁護に回る。Komugi が正しく指摘したように、本作は解の一部をセッションごとに変える。攻略動画で答えを写せないこの仕様は、『何が手がかりか』をプレイヤー自身に判別させるための制度的な担保だ。リージョンの可視化を薄めているのは怠慢ではなく、観察と推理の比重をプレイヤー側に寄せる意図的な傾きである。Myst が地図をくれなかったのと同じ系譜の、古典的だが正当な選択だ。

そして『紙に印刷しても成立する』という批判を、私はむしろ称賛として読み替える。Obra Dinn も Golden Idol も、本質は紙の上で成立する論理パズルだった。盤外に思考を追い出し、プレイヤーの机の上で遊ばせる——それこそがこの系譜の達成であり、退屈の証拠ではない。退屈なのはパズルの本質ではなく、終盤の『密度』の調整である。両者を混同してはならない。

まとめ — 誰に勧め、誰に勧めないか

結論を言う。私はこの低評価に『半分』同意する。操作とアクセシビリティの批判は正当で、Komugi の 9.0 はその減点を計上していない。私の採点なら、ここだけで 1 点は引く。だが『パズルが浅い』という中核の批判には同意しない。それはジャンルの読み違えであり、Lorelei は機械的パズルではなく、建物一個を謎とする推理暗号劇として正しく作られている。

だから購買判断はこうなる。勧めないのは三層だ。第一に、Baba Is You や Parabox のような『ルールの深さ』を求める人——あなたが欲しいものはここにない。第二に、クランチの効いた快適な操作なしには集中が切れる人——一本指の摩擦は最後まで消えない。第三に、そして最も明確に、光過敏のある人——警告なき赤色点滅があるため、安全上勧められない。ここは妥協の余地がない。

逆に強く勧めるのは、紙とペンを横に置いて、止まった時計と鏡の廊下に丸ごと数十時間沈みたい人だ。錠前単体の達成感ではなく、ホテル全体が一つの真相へ畳まれていく感覚に賭けられる人。そういう人にとって、これは年に数本の特別な体験になる。具体的な助言を一つ。まず1時間遊び、操作が生理的に無理なら迷わず返金すること。Komugi のレビューは『紙とペンを思い出せ』で終わったが、私の実用的な結論はこうだ——指と目が耐えられるかを、買う前の1時間で確かめろ。

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