DESIGNER-STUDY · 2026-07-09
上田文人の哲学 — 引き算で、感情の余白をつくる
ICO / ワンダと巨像 / 人喰いの大鷲トリコ
はじめに — 「引き算」という言葉の内側へ
上田文人(うえだ ふみと)は、日本のゲームデザイナーである。壁に囲まれた城で少年が少女の手を引いて逃げる『ICO』(2001)、剣一本で16体の巨像に挑む『ワンダと巨像』(2005)、そして少年と巨大な獣が心を通わせる『人喰いの大鷲トリコ』(2016)——この三作で世界的に評価された人物だ。パズル専門の作家ではないが、ICO の城は環境そのものが解くべき問いであり、パズルアドベンチャーの系譜として本サイトが避けて通れない設計者である。
上田を語るとき、必ず「引き算のデザイン」という言葉が出てくる。だが私は、この言葉が一人歩きしていると感じている。要素を減らせば上田になる、というわけではない。彼が何を削り、その削った先に何を残そうとしたのか——そこにこそ人物がいる。本稿では作品評ではなく、上田文人という人間を、本人が公に語った言葉だけを頼りに読む。参照するのは主に四本のインタビューだ。
断っておくと、私が引用するのはすべて本文を確認した一次資料であり、彼が「言っていないこと」は書かない。曖昧な発言は曖昧なまま扱う。そのうえで、最後の一段落だけ、私自身の解釈を差し込むことにする。
経歴 — 画家志望からアミーガ、そしてゲームへ
上田は兵庫県たつの市の出身で、大阪芸術大学で抽象美術を専攻した。本人は「代表的でリアルな絵は時間がかかる。抽象なら締め切りの二日前に間に合わせられる」と当時をおどけて振り返っている(CONTINUE Vol.25, 2005)。まじめな学生ではなかったが、卒業間際に「このまま時間を浪費したら、作りたいものが作れなくなるかもしれない」と焦り始めたという。
転機はアミーガというコンピュータだった。彼はバイクを売った金でアミーガを買い、独学で 3DCG を学ぶ。関西のCG制作会社を経て、ゲーム開発会社 WARP に入り、『Dの食卓』『エネミー・ゼロ』のムービー制作に関わった。一年半で退社し、SCE(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)へ。そこで初めて企画・ディレクションの機会を得て、ICO が生まれる。
興味深いのは、彼がゲーマーとしてよりも「作り手」として業界に入った点だ。「大学時代はゲームから離れていた」「普通のゲームを作ることにはあまり興味がなかった」と語っている(GIGAZINE, 2017)。この「外部から来た人」という立場は、後の設計思想を理解する鍵になる。2014年には自身のスタジオ genDESIGN を設立し、独立の理由を「製品を円滑に作るため」とだけ述べている(GIGAZINE, 2017)。
哲学 — 「そこに無いもの」で定義されるゲーム
上田の哲学の核は、彼自身の一言に凝縮されている。ICO について彼はこう言った。「チュートリアルもゲージもない。多くの意味で、そこに無いもので定義されるゲームだ」(CONTINUE, 2005)。これがいわゆる「引き算のデザイン」の出発点である。ただし削ること自体が目的ではない。2002年の開発者インタビューでは「少女のアニメーションであれ地図の細部であれ、必要とあらば要素を取り除き引き算することをためらわなかった。何かが未完成に、あるいは物足りなく感じられたら、私はそれを取り除いた」と述べている(ICO Developer Interview, 2002)。
なぜ削るのか。彼の動機は懐が深い。「なぜ人はゲームを卒業してしまうのか」という問いだ。「映画を卒業する人はいないし、歳をとって音楽を聴かなくなる人もいない。なのにゲームだけは、みんなある時点でやめてしまう。なぜだろう、と」(CONTINUE, 2005)。この危機感から、彼は「ゲームをやらない人にこそ遊んでほしい」と繰り返す。取材者に「ゲームをやらない人のためのゲーム作り、という哲学は変わっていませんね」と問われ、上田は「変わっていない。まさにそういう人たちに遊んでほしい」と答えている(CONTINUE, 2005)。
もう一つの柱は、媒体としてのゲームへの信仰である。「私はゲームが、他の娯楽媒体と対等に立つことを望んでいる。他に呑み込まれるのではなく。つまり、ゲームにしかできないことをゲームにやらせたい」(CONTINUE, 2005)。だからこそ彼は、プレイヤーが何もできない時間を嫌う。「今後のゲームは、プレイヤーが完全に操作を奪われる場面から離れなければならない……プレイヤーが自分の時間を無意味に浪費させられたと感じないように」(CONTINUE, 2005)。削るのは、この「ゲームらしさ」を残すためなのだと読める。
こだわり — 一つの関係に、全資源を賭ける
作品を横断すると、繰り返し現れる手癖がいくつも見える。第一に、上田は物語や世界から作り始めない。相棒の海道賢司(かいどう けんじ)は「彼は物語や世界から始めない。突然自分のビジョンを形にし始める」と証言している(ICO Interview, 2002)。上田自身も「私は伝統的なゲーム企画書に従って何かを作ったことがない。ただ強い視覚イメージが浮かんでくる」と語り、世界や物語は「ゲームメカニクスの機能性と一貫性の後回しになる」と言う(ICO 2011 Interview)。トリコの開発でも「最初はトリコのキャラクターデザインから始めた」(GIGAZINE, 2017)。
第二に、「手をつなぐ」という直接的な交流への執着。ICO の出発点について「キャラクター同士のより直接的なコミュニケーションをやりたかった。そうして『手をつなぐ』仕組みを思いついた」と述べている(2002)。この一点への投資は徹底している。「資源の使いどころを知らねばならない。ICO では全ての金をヨルダに賭けた」(2011)。少年と背の高い少女、騎手と馬アグロ、少年と獣トリコ——彼の作品は一貫して「言葉の通じない相棒との、階層のある関係」を主題にし続けている。
第三に、リアリティを「足す」のではなく「不自然を削る」ことで得るという手つき。トリコの生々しさについて彼はこう説明した。「不自然な部分を何度も何度も取り除いた結果だ。本物に見せる近道はない」(GIGAZINE, 2017)。少年の繊細な動きについても「可愛く見せるためではなく、説得力のあるキャラクターにするため」だと言う(GIGAZINE, 2017)。可愛さは目的ではなく、説得力の副産物なのだ、と読める。
失敗と乗り越え方 — 二年を捨て、七年に耐える
上田は自分の失敗を隠さない。ICO はもともと PlayStation 用に開発され、途中で PS2 へ移行した。その時の心境を彼はこう語る。「二年分の仕事を捨てて一から始めるなんて、という気持ちだった。でも一方では、これでようやく完成させる目がある、とも思った」(CONTINUE, 2005)。しかも ICO は「あまり売れなかった」と本人が認めている。「勝つか負けるかのゲームで、私はどうすれば勝てるかを考えねばならなかった。もっとも結局、ICO はそれほど売れなかったが」(CONTINUE, 2005)。
発売後も彼は自信より疑念に苛まれた。「称賛はどれも、私の中の批判にかき消された。『もっとこうすべきだった』『こんな状態で出していいのか』と。ライフゲージを入れるべきだったのでは? 敵をもっと増やすべきだったのでは? とすら疑い始めた」(CONTINUE, 2005)。会話文の執筆でも壁に当たり、「セリフを作る過程で、自分がそれが得意でないと気づいた。だから次回作はセリフなし——物語はあるが会話はなし、と誓った」と語る(CONTINUE, 2005)。失敗を、次作の設計原則に変換しているのが上田らしい。
最大の試練は『人喰いの大鷲トリコ』の約七年におよぶ開発だった。彼は率直に認める。「正直に言えば、『これは世に出ないかもしれない』と思った瞬間が何度もあった」(Game Informer, 2015)。モチベーションが尽きた時期もあった。「創作の部分で前に進めない時期があった。作るべき題材がなく、開発中もっとも苦しい時期だった」(GIGAZINE, 2017)。乗り越え方は意外なほど素朴だ。「優れた作品に自分をさらす。あるいはその作品のファンを見る。そこからモチベーションを得る」(GIGAZINE, 2017)。
デザイン上のジレンマ — 作家性と商業性、そして多数決の危うさ
上田がはっきり葛藤として語っているのが、作家性と商業性のあいだの緊張だ。「自分自身の作品を作りたい芸術家の精神があり、同時に、その創作が商業的に成功しなければならないという認識がある。会社の中で他人と何かを作るなら、その両方が必要だ。だがそのバランスを取るのは簡単ではない」(ICO 2011 Interview)。彼はどちらかに振り切る人ではなく、この綱渡りを自覚的に続けてきた人物だと読める。
この葛藤は開発現場でも顔を出す。ICO 開発中、周囲からは「なぜ少女の頭の上に感情を示すアイコンを付けないのか」「手をつなぐ仕組みに意味があるのか」「敵をもっと増やすべきでは」といった声が絶えなかったという(CONTINUE, 2005)。プログラマに「どんなゲームになるのか」を納得させることは「今でも最大の問題だ」と彼は認めている(CONTINUE, 2005)。自分のビジョンを守ることと、チームを説得することのあいだで、彼は常に引っ張られてきた。
そしてもう一つ、多数決への警戒がある。『ワンダと巨像』で巨像を倒す場面に、彼は仮に悲しげな映画音楽を当てた。凱歌が鳴るはずの場面に悲しい曲——スタッフは笑ったという。この逸話から彼はこう教訓を引く。「多数決には利点もあるが、そこには危険も潜んでいると思う」(ICO 2011 Interview)。皆が正しいと思う判断が、作品にとって正しいとは限らない——彼はそう考えていると読める。
影響源 — アミーガの二作と、ゲームらしくない二作
上田が繰り返し名を挙げる影響源は、驚くほど具体的だ。まず海外のシネマティックな二作。「ゲームボーイの『プリンス・オブ・ペルシャ』はよく遊んだし、『アウト・オブ・ジス・ワールド』(=『Another World』)と『フラッシュバック』も大好きだ」(ICO Interview, 2002)。少ない台詞、映画的な演出、二人のキャラクターの情感——ICO の骨格は明らかにこの系譜にある。ちなみに『Another World』の作者エリック・シャイは、本サイトでも別稿で扱っている人物だ。上田がその血を引いていると考えると、系譜が一本の線でつながって見える。
しかし彼は、そのまま真似ることの危うさも自覚していた。「もし『フラッシュバック』のようなゲームをそのまま作ったら、日本のプレイヤーには受けないと確信していた。しかし『パラッパラッパー』や『I.Q』と同じ洒落た見せ方で提示すれば、日本のプレイヤーも入り込んでくれると思った」(CONTINUE, 2005)。SCE を選んだ理由自体が「ほぼ『パラッパラッパー』のおかげ。それと『I.Q』」だったと彼は言う(CONTINUE, 2005)。海外の骨格に、国産の洗練を接ぐ——これが上田の配合だと読める。
そのほか本人が語る原体験として、ゲームセンターで初めて見た『バーチャファイター』への衝撃(「ゲームってすごい!と思った」GIGAZINE, 2017)、アミーガで CG を作るテレビ番組『ウゴウゴルーガ』、手塚治虫のアニメ『バンダーブック』などがある(GIGAZINE, 2017)。映画では「商業的にも批評的にも成功した、普通の人が楽しめる映画が好き。『ダークナイト』がいい例だ」と述べている(ICO 2011 Interview)。
Kizuki の読み — 引き算ではなく「委譲」の人
ここからは私 Kizuki の解釈である。私は、上田を「引き算の人」と呼ぶのは半分しか当たっていないと読む。彼が本当にやっているのは削除ではなく、委譲だ。ライフゲージを削り、台詞を削り、頭上のアイコンを削り、明示的な物語を削る——そうして空いた場所に、彼はプレイヤーの想像力と感情を招き入れている。崩れる橋で少女の手を握り続けさせ、悲しい曲で勝利を後味の悪いものに変え、通じない言葉のトリコに心を寄せさせる。削った分だけ、プレイヤーの内側で何かが起きる。上田の言う「そこに無いもので定義されるゲーム」とは、私には「プレイヤーの脳を上演装置にするゲーム」と聞こえる。英語のわからない海外ゲームのほうが想像がふくらんで感動した、と彼が語るとき(CONTINUE, 2005)、その原理は最初から本人の体験に根ざしていたのだと分かる。彼は足りなさを、豊かさに反転させる術を知っている人だ。
おわりに — どこから触れるか
上田文人という人物を理解したいなら、私はまず『ICO』から触れることを勧める。彼の原理が最も素朴な形で立ち上がっているからだ。手をつなぐ、それだけの動詞に、彼の哲学のほとんどが宿っている。そこから『ワンダと巨像』へ進めば、彼が「もっとゲームらしいもの」への応答としてスケールと残酷さをどう扱ったかが見え、『人喰いの大鷲トリコ』で相棒との関係が主題そのものへ昇華する過程を追える。
関連する導線として、影響源で触れたエリック・シャイ(『Another World』)の考察は、上田の源流を遡る旅になる。少ない台詞と映画的演出という一点で、二人は確かにつながっている。パズルアドベンチャーの「引き算」がどこから来て、どこへ向かったのか——その一本の線の途中に、上田文人は立っている。
参考文献
本記事で参照した一次資料:
・ICO – 2002 Developer Interview / 2011 「Great Scene Sharing」対談(shmuplations.com 英訳)
・Fumito Ueda – 2005 Developer Interview(CONTINUE Vol.25, 2005 の英訳)
・Game Informer: The Last Guardian's Long Journey — An Interview With Fumito Ueda(2015年6月)
・GIGAZINE: Interview with Fumito Ueda, "The Last Guardian" Game Director and Designer(2017年1月)
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