RETRO-REVIEW · 2026-06-23

レミングス(1991) — 「個」ではなく「世界」を操作する、間接制御パズルの源流

100匹の小さな生き物に、私たちは一度も触れない

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はじめに

これは1991年2月14日、スコットランドのダンディーにあったDMA Designが世に送り、Psygnosisが発売したAmiga用ソフト、レミングスの話である。私はこの作品を、単なる懐かしい名作としてではなく、「プレイヤーがキャラクターに一度も直接触れない」という、当時としては奇妙な発明の出発点として読み直したい。倉庫番(1982)が箱を押す主体を一人に絞ったのに対し、レミングスは制御の対象を群れへと拡散させ、そして個体への直接操作を捨てた。これは小さな逆転であり、同時に大きな分岐点であった。

画面の上端の穴から、緑の髪をした小さな生き物が次々とこぼれ落ちてくる。彼らは何も考えず、ただ前へ歩き、崖から落ち、溶岩へ突っ込んでいく。プレイヤーにできるのは、その一匹に「役割」を与えることだけだ。私はこの構造に、当時のどのアクションゲームとも違う知性の手触りを感じる。一匹を動かすのではなく、群れが従う環境を編むのである。

本稿では、まずこの作品が生まれた1989〜91年の文脈を確かめ、次に8つのスキルが生んだ思考の質を分解し、最後にリアルタイムストラテジーや現代の間接制御パズルへと続く系譜を、できる限り一次・二次資料に当たりながら辿っていく。

その時代の文脈

1989年、DMA Designはまだ、Blood Moneyのようなシューティングを手がける若い集団であった。レミングスの起源は、メンバーの一人マイク・デイリーがDeluxe Paintで描いた、8×8ピクセルの枠の中で動く小さなキャラクターのアニメーションだったと本人が語っている。それは当初、Walkerという別作品のための実験に過ぎなかった。偶発的な落書きが、ジャンルの祖型になった例である。

そこにラッセル・ケイが「あれはゲームになる」と言い、この小さな生き物に「lemmings(レミング、集団自殺の俗説で知られる齧歯類)」という名を与えた。チームは概念実証のデモを作り、1989年にPsygnosisへ送った。やがてレミングスは彼らの全精力を注ぐ唯一の企画となる。プログラムはデイヴ・ジョーンズ、ラッセル・ケイ、マイク・デイリーが担い、グラフィックはスコット・ジョンストン、アニメーションはゲイリー・ティモンズ、音楽はブライアン・ジョンストンとティム・ライトが手がけた。

当時の家庭用コンピュータの主役はAmigaやAtari STであり、マウスという入力装置がようやく一般化しつつあった。マウスでアイコンを選び、画面上の対象に指示を出す——この操作系こそが、レミングスの間接制御を成立させた土台である。技術と流通の制約のなかで、「一匹ずつ動かす」より「役割を配る」方が、限られたボタンとマウスに馴染んだのだ。設計は常に、その時代のハードウェアと対話している。

メカニクス

ルールは残酷なほど単純だ。各ステージには総数・救出すべき最低割合・放出速度・制限時間が定められ、穴から湧き出るレミングたちを、出口まで導く。だがプレイヤーは彼らを直接歩かせられない。できるのは、8つのスキル——クライマー(壁を登る)、フローター(傘で落下を生き延びる)、ボマー(自爆して壁を壊す)、ブロッカー(その場で他を堰き止める)、ビルダー(階段を架ける)、バッシャー(水平に掘る)、マイナー(斜め下に掘る)、ディガー(真下に掘る)——を、限られた個数だけ特定の個体に割り当てることである。

ここに、この作品の思考の質が宿る。プレイヤーが操作するのは「個体」ではなく「世界の形」だ。ブロッカーを一匹立てれば、後続の流れの向きが変わる。ビルダーが架けた橋は、その一匹のためではなく群れ全体のためにある。そして時に、出口への道を開くために一匹を爆破して犠牲にする——「全体のために個を切り捨てる」という計算が、はじめからルールに織り込まれている。倉庫番が一手の不可逆を教えたなら、レミングスは群れの不可逆を教えた。

この設計が単なる感覚的な難しさではなく、本物の計算的困難であることは、後に学術的に証明された。2004年、グレアム・コーモードはレミングスのステージ攻略可能性の判定がNP困難であることを示し(論文題は「Oh no, more NP-Completeness Proofs」)、のちにジョヴァンニ・ヴィリエッタは、救うべきレミングが一匹だけの場合でさえPSPACE完全であることを証明した。私はこの事実を、レミングスが見かけの可愛らしさに反して、計算機科学が手強いと認める種類のパズルであった証拠として重く受け止めている。

また、どうにもならなくなったときの「ヌケ(nuke)」——全レミングを順に自爆させる——という潔い投了ボタンも忘れがたい。失敗が即・全滅という緊張が、一手の選択を重くしていた。可愛らしい外見と、容赦のない結果。この落差こそが、当時の子どもたちの記憶に深く爪痕を残したのである。

現代への系譜

1991年のAmiga版は初日だけで5万5千本を売り、マイク・デイリーの見積もりでは、全移植版を合わせて1991年から2006年までに約1500万本が売れたという。だが私が系譜論として重く見るのは、売上ではなく操作思想の伝播である。1991年当時、Amiga Power誌はレミングスを「『間接制御』の概念を導入した最初の主要作」と評した。プレイヤーが個体ではなく状況に指示を出すこの発想は、のちにリアルタイムストラテジーの常識となる。

その連結は推測ではなく、開発者本人の証言で裏付けられる。Blizzardのボブ・フィッチは、初代Warcraft(Warcraft: Orcs & Humans)の発想の一部が、自身の関わったThe Lost Vikingsとレミングスを組み合わせた競技的マルチRTSの構想にあったと語っている——「レミングスがたくさん画面にいるのがすごく楽しい。じゃあ代わりにバイキングをたくさん出して、戦わせればいい、と」。ここから現代までSteamに並ぶ無数のRTSへと、間接制御の血脈は途切れず流れている。

DMA Design自身も、のちにデイヴ・ジョーンズの下でGrand Theft Autoを生み、別の巨大な系譜を開いた。そして思考系パズルの側では、「個を直接動かさず、世界の側を編集して群れの帰結を導く」というレミングスの根本姿勢が、現代の間接制御パズルの祖型として残った。歴史的に見れば、レミングスが示したのは「制御とは対象に触れることではなく、対象が従う環境を設計することだ」という一点である。私はそこにこそ、この作品が35年の射程を持つ理由を見る。

参考文献

本記事で参照した情報源:

Wikipedia (English): Lemmings (video game)(1991年2月14日Amiga発売、DMA Design開発・Psygnosis発売、開発者構成、初日5万5千本・全移植約1500万本、間接制御概念とAmiga Power評、ボブ・フィッチの証言、NP困難・PSPACE完全の研究)

Wikipedia (日本語): レミングス(日本語での基本事実の相互参照)

MobyGames: Lemmings(開発・発売クレジット、プラットフォームと移植情報)

Hardcore Gaming 101: Lemmings(シリーズの詳細なレトロ研究)

The Guardian (2022): the inside story of an iconic video game(マイク・デイリー、ラッセル・ケイらによる起源の証言)

Graham Cormode (2004): "The Hardness of the Lemmings Game, or Oh no, more NP-Completeness Proofs"(攻略可能性判定のNP困難性)

Giovanni Viglietta (2012): "Lemmings is PSPACE-complete"(一匹のみ救出の場合でもPSPACE完全であること)

おわりに

1991年の小さな緑の生き物たちは、私たちに不思議な倫理と計算を同時に教えた。一匹を爆破して百匹を救う——その判断の重さは、彼らをこちらが直接動かせないからこそ生まれた。制御を手放すことで、かえって設計の責任が際立つ。これがレミングスという作品が、歴史的に最も鋭く示したことだと私は考える。

群れは今も、画面のどこかで前へ歩き続けている。私たちにできるのは、その足元の世界を、ほんの少しだけ作り変えることだけだ。35年前にこの一点を発明した者たちへ、時の地層の下から敬意を送りたい。

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