DESIGNER-STUDY · 2026-07-17

Jon Ingold の哲学 — 失敗させ続けることで、物語を生かす

inkle『80 Days』『Heaven's Vault』『Overboard!』と、演繹・選択・失敗の設計

はじめに

Jon Ingold は、英国のインディースタジオ inkle の共同創設者でナラティブ・ディレクターである。世界一周の旅を選択肢で綴る『80 Days』、失われた古代語を解読していく『Heaven's Vault』、豪華客船で夫殺しの完全犯罪をやり遂げる一幕物『Overboard!』——語りと選択を核にした作品を、相方の Joseph Humfrey とともに作り続けてきた人物だ。日本では『80 Days』が「ゲームブックの現代的再発明」として一部で熱く語られるが、作者本人の設計思想まで踏み込まれることは少ない。

私(Kizuki)がこの人物に惹かれたのは、彼が「パズル」と「物語」を対立させないところだ。『Heaven's Vault』の言語解読はれっきとしたパズルでありながら、UI の上ではなく登場人物の会話の中で進む。そして彼は繰り返し、プレイヤーを失敗させ続けることこそ物語を生かすのだと語る。本稿では作品の攻略ではなく、Jon Ingold という設計者そのものを——哲学・こだわり・失敗と乗り越え方・ジレンマ・影響源——本人の発言を引きながら考察する。番茶を淹れ直した。始めよう。

経歴 — インタラクティブ・フィクションと、大手を離れて

Ingold は数学の学位を持つ(本人談)。父は知覚・技術・言語をめぐる仕事で知られる人類学者の Tim Ingold で、Jon は「私は物心つく前からインタラクティブ・フィクションに惹かれてきた」と、幼少期からの関心を語っている(Narrative News, 2026)。彼はかつて大手(AAA)の現場にいたことにも触れ、「20 年ほど前に AAA 業界にいたとき、みんな『この 7 本の映画を観ればナラティブデザイナーになれる』という調子だった」と振り返る(同)。

その後、Joseph Humfrey と inkle を興し、テキスト主導のゲームを重ねてきた。『Sorcery!』シリーズ、『80 Days』、そして 3D 世界での探索に踏み出した『Heaven's Vault』——Game Developer は Heaven's Vault の発表時、Ingold を「スタジオ共同創設者」と紹介し、彼は『80 Days』の成功のあとで「次はどこへ行こうか?」と自問したと語っている(Game Developer, 2017)。近年は一幕物のタイムループ『Overboard!』や、脱出劇『Expelled!』、山を越えるサバイバル『A Highland Song』へと作風を広げている。

哲学 — 体験ではなく、体験の「感覚」を再現する

複数のインタビューを横断すると、Ingold の主張は一本の線でつながる。彼は Heaven's Vault の架空言語について、「ゲームデザイナーの仕事は、体験を再現することではなく、体験の『感覚』を再現することだ」と語った(Game Developer, 2017)。だから彼はトールキンのように言語を丸ごと作り込むのではなく、プレイヤーが没入できるだけの「言語らしさ」を与える方を選ぶ。

その「感覚」の核にあるのは、選択の緊張だ。彼は物語の面白さをブラックジャックにたとえる。「エースが来てほしい。エースだといい。きっとエースだ」——カードをめくる直前のあの感覚こそが物語の快感であり、「物語はその同じものの延長にすぎない」と言う(Narrative News, 2026)。そして彼はプレイヤーを「あなた自身」でいさせることを嫌う。「別の人間の靴を履く意味は、その人が見るものを見て、感じるものを感じることにある」「私たちはいつも自分自身でいるしかないのだから、それは死ぬほど退屈だ」(Narrative News, 2026)。

同時に彼は、書き手と読み手の「信頼」の収支をつねに数えている。テキストの行数や 1 画面に収まるかどうかにこだわり、「この段落で私はプレイヤーの注意を稼げただろうか?」と自問し続けると語る(同)。読者の集中力を過信しないこと——それが彼の設計の土台にある。

こだわり — 演繹は会話の中で、クエストは置かない

Ingold の作品には、何度も戻ってくる手つきがある。ひとつは、パズルを抽象化しないこと。Heaven's Vault の推理について彼は「パズルのピースや糸を張るような UI は存在しない。ゲーム内のあらゆる演繹は、思考し感情を持つ登場人物同士の——決して同じ台詞を繰り返さない——生の会話の中で行われる」と述べる(Archaeogaming, 2019)。パズルは飾りでも別画面でもなく、物語そのものの内側で解かれる。

もうひとつは、クエストを置かないこと。「私たちにはクエストがない。これには強い信念がある。……経験値(XP)は存在しないのだ」「やることはコヒーレントな物語で結びつけるか、さもなければ起こさない」と彼は言い切る(同)。彼はまた、Heaven's Vault の題材だった考古学を「殺人や暴力の陰惨さも、『謎を解けなかった』という失敗の圧力もない探偵仕事」と呼び(Archaeogaming, 2019)、Humfrey とともに「抽象的ではなく、物語的に意味のあるパズル」を作る道を探したと語っている(Game Developer, 2017)。

対話設計の比喩として彼が好むのはインプロ(即興劇)だ。「フリスビーを相手に投げ返せるだけのものを差し出す。相手が受け取り、また投げ返す。フリスビーが行き来し続けることこそがインプロを面白くする」——名人芸そのものではなく、往復が続くことが快感なのだ、と(Narrative News, 2026)。

失敗と乗り越え方 — 作り込んでは、削ぎ落とす

本人が公に語る「うまくいかなかったこと」の多くは、作りすぎて削る過程にある。Heaven's Vault の開発で最も時間を費やしたのは「なぜ考古学は面白いのか」という問いだったといい、彼らは「もっと劇的で——たいてい破壊的な——シークエンスを作っては、また取り除いた。静かな要素は、余白を与えてやればこそ輝くと分かったからだ」と振り返る(Archaeogaming, 2019)。

主人公の造形も同じだ。初期スケッチにはスチームパンクのゴーグルや魔法の杖めいた小道具があったが、「パスを重ねるたびにそれらは落ちていった」。長らく持たせたかった小さな刷毛(はけ)も、「ゲームプレイの観点では一度もうまく機能しなかった」と正直に認めている(Archaeogaming, 2019)。彼は削った結果に、この上なく満足していると書く。

『Overboard!』については、短期間で作ったがゆえの妥協も率直だ。「あれは唯一、本物の『最適化せよ』式タイムループを備えた作品だが、それはほぼ、あまりに素早く作ったので自分たちに甘くした結果だ」(inkle / Jon Ingold, 2022)。失敗を隠さず、削り落とした跡をそのまま設計の一部として語る——それが彼の乗り越え方だと読める。

デザイン上のジレンマ — 死なせずに、緊張を保つ

Ingold が最も長く格闘してきた葛藤は、「失敗の扱い」だ。彼はエッセイ『The Problem of Failure』(2019 年に予定され、実現しなかった GDC 講演の草稿)で、『ダイ・ハード』のマクレーン刑事を例に挙げる。私たちは彼が撃たれる緊張に手に汗を握りつつ、彼が死なないことも確信している。緊張と安全は両立する——では、失敗が死を意味するゲームで、どうやってこの感覚を再現するのか、と問う(inkle / Jon Ingold, 2022)。

彼の答えは「fail forward(前に向かって失敗する)」だ。「プレイヤーを負けさせも勝たせもせず、ぎりぎりで通り抜けさせる設計はできないか」「デザイナーとしての目標のひとつは、失敗し続けている状態をできるだけ長く持続させることだ」と書く。「勝てば、あるいは負ければ、事は終わる。だが命がある限り、希望はある」——だから Heaven's Vault には失敗状態がない、訳が必ず少し間違っていても、と(inkle / Jon Ingold, 2022)。

もうひとつの葛藤は、物語を「意味」から始めるか否かだ。『Overboard!』や『Expelled!』のフェミニズム的主題について問われ、彼は「意味から出発して物語を生成することが、私にはどうしてもできない。作り物めいて、力みが出て、面白さが失われる」と語る。組み立て方も同様で、「会話の空間は有機的に探るが、プロットの形は有機的には探らない」——即興と設計のあいだで綱を張る(Narrative News, 2026)。

影響源 — 父の人類学、古い科学書、そして探偵小説

Ingold が本人の口で認める影響源は、意外なほど本と人に偏っている。まず父・Tim Ingold。彼は父の「入力と出力よりも、ジェスチャーとプロセスを重んじる姿勢は、デジタルの媒体で仕事をするうえでとても大きな意味を持った」と語り、文化相対性の感覚も「タダで身についた」と述べる(Archaeogaming, 2019)。父の友人が博物館の羽根の外套を前に「つまり、コートだね」と言った逸話を引き、「その説明板は正確だった。私たちがコートを分かっていないだけだ」と結ぶ。

考古学を主題に据える決め手は、エジプトの考古学者 Monica Hanna 博士についての記事だったという。そこから彼は「考古学とは現代の神話づくりだ」という考えを得た(Archaeogaming, 2019)。着想源として、ケンブリッジの古書ワゴンで見つけた 1960 年代の本『Citadels of Mystery』も挙げ、「古い科学書は最高の着想源だ。堅牢に考え抜かれているが、ときに荒唐無稽で、いまなら突飛に見える説も平気で信じている」と語る(同)。

物語の型では、『Overboard!』の出発点をアガサ・クリスティ的な密室に置き、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウを引いて「事件は解けても、それがチャンドラーの本の眼目ではない」と述べる(Narrative News, 2026; Archaeogaming, 2019)。パズル設計では、Jonathan Blow の『The Witness』のような「論理の積み上げ」と、非恣意的で物語的な理由を持つパズルを掛け合わせる着想を語っている(Archaeogaming, 2019)。そして彼は、映画より本を重んじる。「ゲームから出発すると、スペースインベーダーを作って、新しい物語を入れ忘れる」(Narrative News, 2026)。

Kizuki の読み

ここからは本人の発言から一歩踏み込んだ、私(Kizuki)の解釈である。私は Jon Ingold を、「失敗を、物語の燃料に読み替えた設計者」と読む。多くの作り手にとって失敗はプレイヤーを止める壁だが、彼にとっては物語を前に進めるエンジンだ。死なせずに緊張だけを残し、ぎりぎりで通り抜けさせる——この「fail forward」は、演繹を UI に外注せず会話に埋め込むこだわりや、経験値を置かない禁欲と、同じ一枚の布から裁たれている。すべては、プレイヤーの注意という限りある資源を「稼ぐ」ための設計なのだ。

そしてこの姿勢は、父の人類学と静かに響き合っていると私は見る。入力と出力ではなくジェスチャーとプロセスを見るまなざし。羽根の外套を「ただのコート」と見なせる文化相対性。Ingold のゲームは、勝敗という出力ではなく、迷い・誤訳・取り繕いといった過程そのものを遊ばせる。彼が「意味から始められない」と言うのも、たぶん同じ理由だ——意味は結果であって、出発点ではない。過程を信じる人は、失敗を恐れない。

おわりに

Jon Ingold にどこから触れるべきか。物語と選択の呼吸を最短で味わうなら『80 Days』、パズルと物語が一体になる瞬間を体験するなら『Heaven's Vault』、そして「失敗させ続ける」設計思想が最も凝縮しているのは一幕物『Overboard!』だろう。いずれも彼の言う「フリスビーの往復」を、手を動かしながら理解できる。

関連する導線として、当サイトの Kizuki 記事では、演繹と物語を扱う Sam Barlow、余白と引き算の上田文人、失敗そのものを設計する Bennett Foddy が隣り合わせに読める。パズルを「別画面の作業」から「物語の内側の思考」へ引き戻そうとする系譜として、これらと合わせて読むと、Ingold の位置がより鮮明になるはずだ。

参考文献

本記事で参照した一次資料:

Game Developer 「Heaven's Vault: Inkle's game about a nebula-riding archaeologist」(Katherine Cross, 2017)

Archaeogaming 「Archaeology and Heaven's Vault: An Interview with inkle's Jon Ingold」(2019-01-25)

Narrative News 「Inkle's Jon Ingold on the Craft of Narrative Design」(Rose Behar, 2026-04-01)

inkle / Jon Ingold 「The Problem of Failure」(2022-03-18、2019 年の未実施 GDC 講演草稿)

GDC 2015: 「Adventures in Text: Innovating in Interactive Fiction」(Jon Ingold 講演、本文からの引用はしていない)

GDC 2017: 「Narrative Sorcery: Coherent Storytelling in an Open World」(Jon Ingold 講演、本文からの引用はしていない)

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