DESIGNER-STUDY · 2026-07-15

Alexey Pajitnov の哲学 — 秩序をつくる遊びを、終わらせない

Tetris と、落ち物パズルの原点にいる設計者

はじめに

Alexey Pajitnov(アレクセイ・パジトノフ)は、1984年から85年にかけて、当時のソ連・科学アカデミーの計算機センターで音声認識と人工知能を研究していた傍ら、テキスト表示しかできない旧式コンピュータ Elektronika 60 の上で『Tetris』を書いた人物である。落ちてくる四つ組のブロックを積み、隙間なく揃った行が消える——この一つの発明が「落ち物パズル」というジャンルそのものを生み、世界でもっとも広く遊ばれたゲームの一つになった。日本では『テトリス』の名は知らぬ者がいないほどだが、作者パジトノフ本人が何を考え、何にこだわり、何につまずいたかまで読まれることは意外に少ない。

私(Kizuki)がこの人物に惹かれるのは、彼が自作を繰り返し「技術ではなく心理の産物だ」と言い切る点、そして「ただ楽しくて作った」と語る男が、後年はもっとも厳格にブランド管理される商品の守り手になった、という時間をまたいだねじれにある。番茶を淹れ直しながら、複数のインタビューを並べて、作品の攻略ではなく Alexey Pajitnov という設計者そのものを考察したい。引用はすべて原典を確認したもので、私の解釈は最後の一節に限って明示する。

経歴 — ソ連で唯一のゲームデザイナー

パジトノフは科学アカデミーのプログラマとして音声認識と人工知能に携わっていた。Tetris は余暇に書いた一本で、本人いわく「極めて単純なプログラム」、開発は「およそ3週間」だったという。しかも初めてのゲームではなく、「アカデミーにいた頃、他にも20本ほどゲームを作った。あまり面白くはなかったが、とにかく作った」と述べている(shmuplations 収録 1993年インタビュー)。ソ連には市販のゲーム商品も専業のゲームデザイナーという職業も存在しなかった時代で、彼は1989年の取材で自らを半ば冗談めかし「私はソ連で唯一のゲームデザイナーだ」と語っている(同 1989年インタビュー)。

Tetris は口コミと海賊版で国外へ広がり、権利の所在をめぐる国際的な紛争を招いた。そこへ現れたのが、任天堂向けの権利獲得のためモスクワへ乗り込んだ Henk Rogers であり、二人は生涯の友人となる。パジトノフは1991年に渡米、まもなくソ連が消滅したこともあって米国に留まり、のちに Rogers らと The Tetris Company を設立して権利を管理する側に回った。作った人物が、管理する人物になった——この経歴の後半が、後述するねじれの土台になる。

哲学 — 心理の産物、そして喜びのために

複数のインタビューを横断して最も一貫しているのは、「ゲームは技術ではなく心理の産物だ」という主張である。2010年、彼はこう言い切っている。「ゲームは技術的というより、はるかに心理的な産物だ。私は生涯それを知っていた。だからこそ私はこの業界に残れた」(Game Developer, 2010)。ハードの進化ではなく、人の頭の中で何が起きるかに賭ける——この立場が彼の設計判断の芯にある。

第二に、動機はつねに商業ではなく喜びだと語る。最初の試作について「二週間ほどで作った。だが画面の上でそれが息をし始めると、装飾も得点もないのに、私はプレイをやめられなくなった」(Digital Trends, 2015)。半ば引退した現在も「自分の楽しみのために、たまにやる」プロジェクトとして次のゲームを触り続けている(Game Developer, 2010)。1993年には「もっと知的なゲームを作りたい」と述べ、市場の要求のために量産される当時の風潮を「それ自体が面白いからではなく、市場のニーズを満たすためだけに作られている」と批判していた(1993)。

第三に、彼の愛はほぼ一貫してパズルとカジュアルに向かう。「私は激しいアクション系にはあまり関わってこなかった。今もパズルとカジュアルゲームに惚れ込んでいる。ずっと私の一番好きなジャンルだ」(2010)。そして遊びそのものを彼は瞑想に近いものとして語る。「私にとって Tetris をやることは禅のような行為だ。自分について考え、少し瞑想し、ただ自分を楽しむ」(The Shortlisted, 2023)。

こだわり — 学びの曲線と、乱数という心臓

作品を貫くこだわりの一つは、難度の上げ方=学習の設計だ。「私はレベルの変え方にとても神経を使った。私の最大の課題は、この学習の過程をできるだけ長く続かせること。つまり、人をできるだけ長くゲームの中に留めること。それが当初からの私の目的だった」(Digital Trends, 2015)。速度を最初はゆっくり、徐々に上げていく設計は、彼にとって難しくするための装置ではなく、遊び手を成長させ続けるための装置だった。

もう一つは、乱数=予測不能を作品の心臓に据えることである。ヒットの理由を問われて彼は「リアルタイム性とランダム性のバランスが良い。落ちるブロックが生む律動(リズム)も大きい」と答えている(1993)。相棒 Rogers は「宇宙とはエントロピーだ。ピースをただ落とせば散らばっていく。だが Tetris がやっているのは、混沌から秩序を作ることだ」と整理し、パジトノフはそれに「我々はエントロピーに逆らって働いている。その通りだ」と同意している(Digital Trends, 2015)。落下は無秩序、プレイヤーの手だけが秩序を生む——この対立が快感の源だという理解だ。

細部への執着も彼らしい。テトロミノの色は元は環境ごとにバラバラで「完全な動物園状態」だったが、ブランド化にあたって標準化したという。「プレイヤーがどのバージョンを遊んでも、テトロミノと色の間に強い連想を持てるように」色を固定した(The Shortlisted, 2023)。単純さも彼の誇りで、原型を「極めて単純なプログラム」と繰り返し呼ぶ(1993)。

失敗と乗り越え方 — 十年越しのマルチプレイヤー

本人が公に認めている最大の未達は、満足のいくマルチプレイヤー Tetris を作れていないことだ。2010年、彼はこう明かしている。「マルチプレイヤー版には10年以上取り組んできた——ずっと設計しようとしてきた。まだそこには到達していない、と認めなければならない」(Game Developer, 2010)。世界一有名なパズルの作者が、その拡張に十年をかけてなお「できていない」と言う。私はこの率直さを高く買う。

彼は失敗を個人の恥ではなく、創作の自然な歩留まりとして受け止めてもいる。「私の職業では、当初のアイデアのうちプロジェクトにまで到達するのは15パーセントもない。製品となると10パーセントほどだ。ごく自然なことだ」(2010)。Tetris 以前の自作パズルも「あまり面白くなかった」と認めつつ「とにかく作った」と述べる(1993)。数多く作り、ほとんどを捨て、消えなかった一本が Tetris だった、という語り口である。

他者による無数の亜流・続編についても彼は正直だ。「残念ながら、どのバージョンも原作には及ばない。理由は分からない」(2010)。原型を超える難しさを、彼は映画の続編の難しさになぞらえて受け入れている。

デザイン上のジレンマ — 強度と、終わらなさ

パジトノフが最も明確に言語化したジレンマは、マルチプレイヤーにまつわるものだ。「ゲームは非常に激しい。高いレベルで——普通そこで遊びたくなる——プレイすると、速度も反応も自分の能力の限界で戦うことになる。だから他人が何をしているかを観察する脳の余力が残らない」(Game Developer, 2010)。ここから彼は逃げ場のない二択を導く。「個人プレイの強度を下げれば、興奮も少し下がる。だが同じ強度を保てば、プレイヤーには相手を観察し分析し戦略を調整する余力がない」(2010)。Tetris の魅力そのものが、複数人で分かち合う遊びを拒む——彼はその構造的な壁を正面から認めている。

もう一つは、私が本人発言から読み取れる範囲で述べれば、「秩序を作る遊びなのに、決して完成しない」という緊張だ。Rogers が「混沌から秩序を作る」と要約したその遊びで、パジトノフ自身が最も好むのは終わらない版だという。「私のお気に入りは、決して終わらない無限のバージョンだ」(The Shortlisted, 2023)。勝利=完成を目指す手つきと、原理的に完成を許さない乱数。彼はその矛盾を解消せず、むしろ終わらなさの側を愛でている。

影響源 — ペントミノと盤上遊戯、そして科学者の頭

影響源として広く伝えられているのは、幼少期に親しんだペントミノ(五つの正方形でできた図形パズル)である。取材者は、彼が子どもの頃に遊んだペントミノの玩具から Tetris の着想を得たと紹介している(Digital Trends, 2015)。本人の言葉としては、幼い頃からのパズル好き・盤上遊戯好きを認めている。「私はゲームにとても興味があった。あらゆるゲームを遊ぶのが好きだった。ボードゲームも何もかも好きだ」(Game Developer, 2010)。ペントミノを四つ組(テトロミノ)に置き換え、揃った行を消すという発想へと展開したのが Tetris だ、というのが定説である。

見落とされがちだが、音声認識と人工知能の研究者だったという経歴自体が、彼の「ゲームは心理の産物」という思想の源泉だと私には読める。人の認知や反応を対象にしてきた頭が、ハードの派手さではなく頭の中の手応えへ賭けさせた、と考えると筋が通る。なお彼は、Tetris に似た落ち物を作る後進を「コピーだ」とは責めない。「私は『ああ、Tetris を真似したな』とは思わない。似ているのは単に『落ち物』だからだ」(1993)——ジャンルを与えた者の、静かな寛容がここにある。

Kizuki の読み

ここからは本人発言から一歩踏み込んだ、私 Kizuki の解釈である。私は Pajitnov を「核だけを守り、表層は手放した設計者」と読む。1993年の彼は、市場の要求に合わせて量産されるゲームを「それ自体が面白いからではない」と切って捨てた。ところが後年の彼は、色を標準化し、ライセンスを審査し、世界一ブランド化されたパズルの守り手になった——一見、若い日の言葉と矛盾する。だが二つを並べると、彼が守ろうとしたものが見えてくる。彼が標準化したのは色であり、審査するのは移植であって、乱数と落下という「心臓」には手を触れさせない。市場に明け渡したのは皮膚であり、譲らなかったのは、混沌から秩序を作るという一つの心理的な手応えだった。禅のように終わらない盤面を最も愛でるこの人物は、完成を売るのではなく、完成し得ない快感を守り続けている——私はそう整理している。番茶が冷めるまで眺めていたくなる、静かな一貫性だ。

おわりに

Pajitnov を理解したいなら、まずは飾りの少ない原型に近い版——Game Boy 版や、得点を気にせず遊べる無限モード——を、勝つためではなく「終わらせないため」に触れてみるのがいい。彼の哲学は、難しさの中の禅、という一点に凝縮している。関連する導線としては、当サイトで既に取り上げた水口哲也がいる。『Tetris Effect』で Tetris を感覚・音・光の体験へと拡張した水口と、乱数と心理という核を守り続けたパジトノフを読み比べると、同じ落下するブロックが二つの全く異なる哲学を映すのが見えるはずだ。ソコバンの今林宏行など、パズルの原点に立つ他の設計者も、いずれこの連載で扱いたい。

参考文献

本記事で参照した一次資料(すべて本文を確認のうえ引用):

Tetris – 1993 / 1989 Developer Interviews(shmuplations による英訳・パジトノフ本人談)

Game Developer(旧 Gamasutra)「Alexey Pajitnov - Tetris: Past, Present, Future」Christian Nutt 2010年

Digital Trends「Meet the men who built the only perfect video game: Tetris」Adam Rosenberg 2015年

The Shortlisted「Interview with Tetris creator Alexey Pajitnov」Silvia Pingitore 2023年

リアクション(ログイン不要)

匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで

関連シリーズ

デザイナーの哲学第24回 / 全24回

次に読む