SOUNDTRACK · 2026-07-08
Maquette のサウンドトラック — 曲を書かず、選ぶという設計
Cody Predum(オーディオディレクター)ほか、サンフランシスコの音楽家たち
はじめに — 最初に鳴るのは劇伴ではなく、誰かの歌
スケッチブックの中で目を覚ますと、暖色に沈んだ夢のようなサンフランシスコが広がる。手のひらほどの街の模型に立方体を置くと、同じ立方体が実寸の世界に巨大化してそびえ立つ。この入れ子の再帰を軸にしたKomugi のレビューのパズルで、まず耳に届くのは、緊張を煽るシンセの持続音ではない。柔らかいギターと囁くようなボーカルの、歌詞つきのインディーフォークだ。だいたい 80〜100 BPM、拍はゆるく、散歩の速度に寄り添っている。
パズルゲームの音楽といえば、思考を邪魔しないアンビエントか、いっそ無音か——その二択に慣れた耳には、これは奇妙な選択に聞こえる。歌が流れている。言葉が聞こえる。なのに手は箱庭を動かしている。この違和感こそ Maquette の入口であり、私がこの作品を音楽の側から書きたいと思った理由だ。
隠れたリンク — これは二人の『共有プレイリスト』だ
Maquette は Graceful Decay の Hanford Lemoore が約10年をかけて作った作品で、Annapurna Interactive から2021年に出た。物語は、Michael と Kenzie という別れた恋人たちの記憶をたどる。ゲーム全体がスケッチブックの中に描かれた思い出であり、Lemoore はインタビューで『ゲームの中のすべてが物語の隠喩になっている』と語っている。街の造形も、色も、二人の関係の状態を映すように置かれている。
音楽もその原則に従っている。オーディオディレクターの Cody Predum を中心に、制作陣は伝統的なオリジナルスコアを大量に書く道を採らなかった。代わりに選んだのは、『この二人が一緒にいた頃に実際に聴いていそうな曲』だ。しかもサウンドトラックのほぼ全曲が、サンフランシスコ湾岸の音楽家によるもの。Jay Som(Oakland の Melina Duterte)の「Lipstick Stains」や「I Think You're Alright」、Cannons and Clouds の「Meridian」や「Dolores Park」、Meredith Edgar の「Tidal Waves」。曲名に地名まで入っている。つまりこれは劇伴ではなく、二人の暮らした街の、二人の共有プレイリストなのだ。
この気づきが、私にとっての『隠れたリンク』だった。多くのゲームは音楽で感情を『指定』する——ここは悲しい、ここは緊迫、と。Maquette は逆をやる。感情そのものではなく、感情が宿っていた具体的な音楽——二人がカフェで、車の中で、部屋で流していたであろう曲——を置くことで、プレイヤーに記憶の追体験をさせる。Predum 自身のオリジナル曲も数曲は書かれているが、それらも既存の曲たちに溶け込む肌触りで作られていて、境目が見えない。
パズル固有の工夫 — 歌詞は思考の邪魔にならないのか
ここで作曲する人間として引っかかるのは、歌詞つきの曲を『考えている最中』に流すリスクだ。言葉は注意を奪う。パズルの多くが歌ものを避けるのはこのためで、思考の帯域を言語処理に取られたくない。ところが Maquette の再帰パズルは、反射神経ではなく空間把握と気づきで解く種類だ。小さな模型と大きな世界を往復し、『この段差は、あの小箱の縁だ』と腑に落ちる瞬間を待つ。手を止めて眺める時間が長い。だから歌が流れていても、思考のテンポと衝突しにくい。
さらに、曲は場面ごとに切り替わり、章が進むほど二人の関係のほころびに合わせて音の温度が変わっていく。序盤のあたたかいフォークから、関係が軋む後半では音数が減り、余白が増える。無音そのものではなく、『言葉が引いていく』という形で緊張を作るのだ。リトライやループの扱いも巧みで、同じ空間を何度も往復しても、曲は環境音のように背後へ退き、プレイヤーを急かさない。歌ものでありながら、パズルの長考を許す設計になっている。
パズルとのアナロジー — 再帰の速度と、歌のテンポ
私は何でも BPM で測る癖がある。Maquette を解く速度は、拍で言えばとても遅い。立方体を置き、視点を変え、模型と実寸を見比べ、また置き直す。この往復は正確なメトロノームに乗らない。呼吸のような、ゆらいだテンポだ。そこに、きっちり刻む EDM や忙しないチップチューンを当てたら、手と耳がケンカする。だが 80〜100 BPM 前後のインディーフォークは、拍が柔らかく、走らない。ちょうど、模型を眺めて『あ、そうか』と気づくまでの間合いを、急かさず埋めてくれる。
面白いのは、この音楽が『解けた瞬間』のご褒美として鳴らないことだ。ふつうパズルは、正解のたびに上昇音や解決和音を鳴らして達成感を配る。Maquette の歌はそういうキューを持たない。ずっと同じ温度で流れ続け、達成ではなく『二人がここに居た』という持続を鳴らす。だから解けても手柄の音は鳴らず、代わりに記憶がもう一小節続く。再帰という『同じものが入れ子で繰り返される』構造と、歌という『同じメロディがコーラスで戻ってくる』構造。その二つの反復が、静かに重なっている——これが私の見立てだ。
聴くべきトラック — プレイリストから三曲
まずは湾岸インディーの核として、Jay Som の「Lipstick Stains」。にじむギターと近距離のボーカルが、二人の部屋の空気そのものだ。公式配給の音源はこちら。
次に、サウンドトラックの白眉と評される Cannons and Clouds の「Meridian」。ゆったりとしたコード進行が、模型を眺める『間』にぴたりと合う。公式音源はアーティストの Bandcamp で: Cannons and Clouds「Meridian」(公式 Bandcamp)↗。
作品の空気を映像込みで確かめたいなら、Annapurna Interactive 公式チャンネルのトレーラーを: MAQUETTE | Cast Announce Trailer(Annapurna Interactive 公式)↗。ゲーム内の音と再帰の見え方が、短い尺で伝わる。
おわりに — 自分が作るなら、ここを盗む
私が Maquette から盗みたいのは、『キャラクターにプレイリストを持たせる』という発想だ。テーマ曲を一本書く前に、この人物が実際に聴いていた曲は何か、と問う。その問いは、劇伴では出せない具体性——固有名詞や地名や、その時代の音の質感——を作品に持ち込む。もし自分の作品で似たことをやるなら、既存曲のライセンスが難しくても、『架空の誰かが録ったデモ』の質感で自作曲を書き、劇伴らしさを消すという手が採れる。Predum のオリジナル曲がやっているのは、まさにそれだ。
同時に、リスクも学びとして持ち帰る。歌詞は強い。だから歌ものを流すなら、反射神経ではなく熟考で進む場面に限る、曲を達成のキューにしない、関係や物語の温度に合わせて音数を引く——この三つの条件が揃って初めて、歌はパズルの邪魔をせず記憶になる。次にこの音を聴き直すなら、解けたあとの静かな瞬間ではなく、まだ答えが見えず模型を眺めているあの『間』でだ。もし通常の劇伴の到達点を確かめたければ、同じく別れと記憶を扱う Call of the Sea と聴き比べるといい。片や書き、片や選ぶ。二つの正解がそこにある。
参考リンク
・Steam: Maquette(Graceful Decay / Annapurna Interactive 公式ストアページ)
・Annapurna Interactive 公式: Maquette
・Annapurna Interactive 公式 YouTube チャンネル
・Cannons and Clouds「Meridian」公式 Bandcamp
・Jay Som「Lipstick Stains」公式 Bandcamp
・Kotaku: A Decade-Long Affair — The Making Of Maquette(Hanford Lemoore インタビュー)
・GamesRadar+: How the recursive design of Maquette inspired its creator(制作背景インタビュー)
リアクション(ログイン不要)
匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで