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PAPER-DIGEST · 2026-09-03

Lohn: じゃんけんに最強の手を足しても、勝率は 55.6% までしか上がらない — Fukai が読む

ゲーム理論 / 新しい手の追加とバランス崩壊

一段落要約

じゃんけんに「ダイナマイト」を足す。石を吹き飛ばし、紙を焼き、けれどハサミには切られる。遊び場で昔から使われてきた追加ルールだ。この一手を片方のプレイヤーだけに渡したら、その人の勝率はどこまで上がるか。論文の答えは 55.6% である。

五分五分が 55.6% になる。九回に一回だけ多く勝つ、という差だ。しかも手の種類が三つより多いゲームでは、この差はさらに縮む。著者の Andrew J. Lohn は、この小さな数字を「新しくて強い技術が競争に加わると何が起きるか」の模型として使っている。

面白いのはここからだ。ダイナマイトを持った側の勝ちは、ダイナマイト自身からではなくから来ている。強い手は相手の構えを歪めるだけで、その歪みを刈り取るのは古くて地味な手だった。ゲームのバランスを触る人には、この一点だけでも持ち帰る価値がある。

はじめに — 誰が、どこに書いた論文か

著者は Andrew J. Lohn。ジョージタウン大学のセキュリティ・新興技術センター(CSET)の Senior Fellow で、論文には同センターの所属と大学のメールアドレスが記されている。単著である。

掲載先は arXiv。論文番号は arXiv:2609.00207 で、投稿は 2026年8月31日。これは preprint(査読前の原稿)である。学会名も雑誌名も添えられていない。分野の割り当ては物理学の社会物理(physics.soc-ph)を主として、人工知能・新興技術・ゲーム理論に相互掲載されている。本文は14ページ、付録が2つ付く。

投稿されたばかりなので、被引用はまだ無い。まだ広く議論されていない段階だと断っておく。それでも私が今日これを選んだのは、扱っている問いがゲームを作る人の日々の悩みとまったく同じ形をしているからだ。「強い一手を足したら、このゲームはどうなるのか」。著者の関心は AI 技術の評価にあるが、計算しているのはじゃんけんそのものである。

背景 — 強い手を足すと、ゲームは何を失うのか?

じゃんけんは三つの手が輪になって釣り合っている。誰にも勝ち逃げの余地がない、きわめて整った盤面だ。論文はまず World RPS Society(世界じゃんけん協会)の一文を引く。ダイナマイトは三すくみの関係と両立せず、その追加は「つながりの輪を変えてしまう」。論文が測ろうとしているのは、まさにその変化である。

ダイナマイトという追加ルール自体は古い。けれど「一手増えると釣り合いはどう崩れるのか」を数字で並べた仕事は多くない。著者はこう書く。破壊的な技術は速く来るのに、その影響を先読みする模型や仕組みが少なすぎる、と。

著者が AI に見ている強みは「速い」でも「賢い」でもなく、手が増えることだ。新しい独立した選択肢が一つ加わる。あるいは既にある選択肢の使い道が広くなる。そう捉えれば、AI の話は「じゃんけんに手を一つ足す話」に翻訳できる。多用途の戦闘機、どのポジションもこなせる選手、不確実性に備えた人員配置。論文はそうした例も並べている。『Balatro』のスクリーンショット『Balatro』(LocalThunk, 2024)。強い組み合わせが一つ見つかると、他の選択が急に色あせる型のゲーム。画像は Steam ストアページのスクリーンショット。

アプローチ — 何をどう並べて計算したのか

最初の設計判断は「ダイナマイトは何に勝つか」である。ここが強さのつまみになる。三つの手のうち二つに勝ち一つに負けるなら、ダイナマイトは他の手に支配されない。著者は具体例を出す。石を爆破し紙を焼き、けれどハサミに切られる形にすると、今度はダイナマイトが紙を弱く支配する

支配(dominance。どの相手が出てきても、ある手が別の手より決して悪くならない関係。決して悪くならないだけなら「弱い支配」、常に良ければ「強い支配」)が起きると、その手は選ぶ理由を失う。表1の見出しどおり、盤面は「石・ハサミ・ダイナマイト」の三手に戻る。手を足したのに、遊べる手の数は増えていない。

そこで著者は、ダイナマイトが倒せずにいる相手の手が何個あるかを可変のつまみとして扱う。倒せない相手が少ないほど強い手、多いほど控えめな手だ。手の総数も三つ・五つ・七つと増やして並べる。数式は本文にあるが、意味だけ書けば「強さ」と「盤面の広さ」の二つを別々に回している。

ここは強調しておきたい。ダイナマイトに使用回数の制限は無い。何度でも出せる。ゲームでよく見る「一戦に一回だけの必殺技」ではなく、いつでも選べる普通の手として扱われている。

持ち方は三通り試される。両者がダイナマイトを持つ場合。片方だけが持ち、相手は持てない場合(論文の言葉では Dynamite-denied、ダイナマイトを封じられた側)。そして両者が持つが性能の幅が違う場合だ。

解き方は混合戦略のナッシュ均衡(それぞれが確率を決めて手を混ぜ、相手の混ぜ方を知っても自分の混ぜ方を変える理由が無くなる状態)。著者は解析的に、閉じた形で導いている。付録Aに導出が置かれ、ソルバの名前は書かれていない。

発見 — 勝ちは強い手からではなく、古い手から来る

三つの手で、片方だけがダイナマイトを持つ場合。勝率は 50% から 55.6% に上がる。本文の言い方では「九回ごとに一回だけ多く勝つ」。なお要旨には 55.5% と印字されている。原文の中で表記が揺れているので、丸めずに両方を書いておく。

表3の均衡がこの記事の山場だ。ダイナマイトを封じられた側は、ハサミを9回に4回、石を9回に3回、紙を9回に2回出す。ダイナマイトが紙を焼くので、封じられた側は紙を出しにくくなる。そしてハサミはダイナマイトを切れる唯一の手だから、そこに寄る。ダイナマイトを持つ側は、石を9回に4回、ダイナマイトを9回に3回、ハサミを9回に2回。表3の説明文はこう書く。封じられた側はハサミを増やし、持っている側はそれを石で刈る。勝ちの出口は石なのだ。

手を増やすと差はさらに縮む。ロック・ペーパー・シザーズ・リザード・スポックの五手にダイナマイトを足した場合(表6・表7)、均衡で選ばれるのは石が8回に2回、紙が8回に3回、ハサミが8回に2回、ダイナマイトが8回に1回。そしてスポックとリザードはゼロになる。著者は、表6の利得表の上ではダイナマイトが何も支配していないのに、と添えている。支配されていない手が、最適戦略から静かに落ちる。

七手にすると、ダイナマイトを持つ側の得点は 1/35(約 0.029)。ここで相手にも性能の狭いダイナマイトを渡すと、1/35 から 1/45 へ、つまり 0.029 から 0.022 へ下がる。さらにある配り方では、性能の広いダイナマイトを持つ側が −1/56(約 −0.018)、つまりマイナスになる。より広く倒せる手を持っているほうが負ける配置が存在する。

規模の法則も出ている。著者の一文を借りれば、新しい手の価値は、それが倒せない相手の手の数に対して二乗で落ちる。倒せない相手が2倍になれば、価値はおよそ4分の1だ。出す頻度も落ちていく。強い手は、盤面が広いほど「たまにしか出さない一手」になる。

古い手が使えなくなる筋道は三つに整理されている。第一に支配。弱くても強くても、支配された手は消える。第二に最適戦略の顔ぶれから外れること。著者はこう書く。新しい手の追加は、以前の手をすべて含まない最適戦略を作りうる。支配されていない手でも、である。第三はその裏返しで、ほとんど支配されかけていても生き残る手は多い。強さの序列と生き残りの序列は別なのだ。『Slay the Spire』のスクリーンショット『Slay the Spire』(Mega Crit, 2019)。支配されていないのに誰も取らないカードは、どのカードゲームにもある。画像は Steam ストアページのスクリーンショット。

使いどころ — 新しい手を足す前に、どこを見るか

もし自分が対戦型のパズルゲームを作っていて、強い新カードを1枚足すなら。見るべきは見た目の派手さではなく、追加の前後で勝率がどれだけ動いたかだ。この論文の三手の例では、手加減のない最強クラスの一手を片方だけに渡しても、動いたのは5ポイント台である。「強く見えるか」と「勝ちに効くか」は別の物差しで測る。

もしローグライク・デッキ構築を作っているなら。新カードを入れた次のパッチで探すべきは、支配された弱いカードではない。支配されていないのに、上手い人の構築から静かに消えたカードだ。論文の五手の例では、スポックとリザードが誰にも負けていないままゼロになった。強すぎるカードは、直接殴らずに周りを黙らせる。

もし課金設計や機能評価を使用率で測っているなら。使用率と価値は一致しない。表3では、勝ちを運んできたのは9回に3回しか出ないダイナマイトではなく、9回に4回出る石だった。著者もこの点を指摘する。使われた回数で値付けや評価をする仕組みは、この形の価値を取りこぼす。

もし新しい手を強化するなら。「何でも倒せるようにする」向きの強化が最善とは限らない。論文の七手の例では、倒せる相手が広いほうが負ける配置が出た。効いていたのはその手が自分の弱点を埋めるかどうかだった。強化の向きを「範囲」から「守り」に振り替える選択肢がある。

もしデイリーパズルにヒント機能や特殊操作を足すなら。測るのは押された回数ではなく、それ以外の手の選び方がどう変わったかである。ヒントがあるだけで「先に総当たりを試す」人が減るなら、価値はそこに出ている。Inscryption のように、手札の外から場を組み替える一手を持つ作品は、この効き方の見本になる。『Inscryption』のスクリーンショット『Inscryption』(Daniel Mullins Games, 2021)。手札の外にある「反則すれすれの一手」が場を組み替える作品。画像は Steam ストアページのスクリーンショット。

限界 — 著者が認めている点と、私が気づいた点

著者自身が最初に断っているのは、これが玩具の模型だという点だ。模型は必然的に単純化であり、知的には有用でも、ごく初歩の水準にとどまる、と本文にある。さらに、模型の上で価値が低く出たからといって、その技術の価値が実際に低いとは限らないとも書いている。何を避ければ低価値に陥らないかを示すための道具、という位置づけだ。

Fukai がここで指摘するのは、まず回数制限が無いことだ。実際のゲームの強い手は、たいてい資源・回数・待ち時間で縛られている。この模型はその縛りを持たないので、「一戦一回の必殺技」や「クールダウン付きの特技」の設計には、そのままでは当てはまらない。使い回すなら、まずこの前提の差を意識したい。

Fukai がここで指摘するのは、次に均衡を前提にしていることだ。計算はどちらも最適に混ぜる前提で進む。実際の人は最適には混ぜない。とくに新しくて派手な手は、勝ちに効く以上に選ばれやすい。使用率が上がる方向にも下がる方向にも、模型からずれる余地がある。

Fukai がここで指摘するのは、最後に見ているのが勝率だけだということだ。ゼロサムの勝ち負けは測れても、楽しさ・話題性・語りたくなる度合いは測れない。九回に一回しか出ない派手な一手が、遊びの体験としては値千金という場合はある。そして本稿は preprint で、被引用もまだ無い。結論の重みは、そのぶん控えめに扱うのが妥当だと私は考える。

Fukai の読み

私はこの論文を、ゲームバランスの議論に「能力と価値を切り分ける物差し」を持ち込む試みとして読みたい。バランス調整の会話は、たいてい「この手は強すぎるか」で回る。だがこの模型が突きつけるのは別の問いだ。この手は、盤面から何を消したか。設計批評の語彙で言えば、これは強さの査定ではなく選択肢の生態系の観察に近い。九回に一回しか出ない手が勝ちを作り、誰にも負けていない手が黙って退場する。強さの表を見ているだけでは、この二つはどちらも見えない。私はここを、数字で言い切れる形にしてくれたことがこの論文の価値だと読んでいる。

おわりに

もっと深く知りたい人へ。選択肢の数そのものが人の判断をどう変えるかは Hu ら「人は他人の満足を『選択肢の数』抜きで見積もる」が扱っている。約束と裏切りが釣り合う盤面の話は O'Neill ら「約束を守らせる仕組みが、どこにも無い盤面」へ。強さを測る物差し自体を作る難しさは Kelidari ら「カードゲーム AI の強さは『動かない物差し』を先に作ることで決まる」が近い。この三本と合わせて読むと地図が見えてくる。

持ち帰り文を一つ。新しい手を足したら、その手の勝率ではなく、盤面から静かに消えた手を数えるべきである。

参考文献

本記事で参照した論文と関連資料:

Rock, Paper, Scissors, ... Dynamite - A Model of Disruption from New Technologies (Andrew J. Lohn, 2026, arXiv preprint arXiv:2609.00207)

Andrew Lohn — Center for Security and Emerging Technology, Georgetown University(著者の所属ページ)

・関連記事: Hu ら: 人は他人の満足を「選択肢の数」抜きで見積もる / O'Neill ら: 約束を守らせる仕組みが、どこにも無い盤面 / Kelidari ら: カードゲーム AI の強さは「動かない物差し」を先に作ることで決まる

・査読の状況: 本稿は 2026年8月31日に arXiv へ投稿された preprint であり、2026年9月3日時点で査読済みの掲載先は公表されていない。

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