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関連エッセイ
九連環(バグヌーディエ)(1872) — 起源不明の指輪パズルの解き方が、電信技師の特許より81年早い二進法だった年
棒に通した輪を一つずつ外し、最後に一本を抜き取る「九連環(バグヌーディエ)」。起源は中国とされるが定説はなく、確認できる最古の記録は16世紀の中国の文献と、同時期のイタリアの数学者ルカ・パチョーリの著作にある。1872年、フランス・リヨンの数学愛好家ルイ・グロが、この遊びの解き方を二進法の表として初めて理論化した。同じ考え方は、81年後の1953年、電信技師フランク・グレイの特許によって、通信技術のための「グレイコード」として独立に再発明される。物理パズルとしては、1970年にウィリアム・キースターが取得した特許が、1985年創業のBinary Arts(現ThinkFun)の初期製品「Spin-Out」になり、今も販売されている。本稿は、一つの輪の仕掛けが辿った150年の系譜を追う。
ケーニヒスベルクの橋(1736) — 日曜日の散歩の悩みを、オイラーが地図を消して解いた年
答えは単純だ。1736年、数学者レオンハルト・オイラーは、プロイセンの町ケーニヒスベルクにあった七つの橋を、同じ橋を二度渡らずに全部渡って元の場所へ戻る散歩道は存在しないと証明した。町の四つの陸地は、5本・3本・3本・3本と、どれも奇数本の橋につながっていたからだ。論文「Solutio problematis ad geometriam situs pertinentis」は1735年8月26日に発表され、1741年に出版された。陸地を点に、橋を線に置き換えるこの発想が、後にグラフ理論と呼ばれる数学の一分野を生み、いまも学校で習う「一筆書き」の判定条件として残っている。本稿は、この290年前の一枚の証明が、経路や接続を答えにする現代のパズルゲーム(『Cosmic Express』『Lyne』『Mini Metro』など)の設計の土台に、姿を変えていまも残っていることを辿る。
ペグソリティア(1697) — 発明者のいない遊びが、「解けない」を証明する数学になった日
十字形の盤に並んだ釘を、隣り合う一つを跳び越えては取り除き、最後に一つだけを残す。ペグソリティアの最初の記録は1697年、ルイ14世治世下のフランス宮廷誌『メルキュール・ギャラン』に載った。発明者は誰かわからない。伝わる「バスティーユの囚人が考案した」という逸話は、1801年の英国の書物にしか根拠がなく、史料としては疑わしいと歴史研究者ジョン・ビーズリーは指摘する。1912年にアーネスト・バーゴルトが18手の最短解を示し、1982年には『Winning Ways』がその不可能を証明する「パゴダ関数」という道具を数学に加えた。2007年、この盤は『レイトン教授と悪魔の箱』の謎として携帯機に移植される。本稿は、発明者を持たないまま300年以上遊ばれ続けた一つの規則を辿る。
ペントミノ(1965) — ソロモン・ゴロムが名付けた五マスの図形が、テトリスに姿を変えるまで
1965年、アメリカの数学者ソロモン・W・ゴロムは著書『Polyominoes』で、五つの正方形をつなげてできる十二種類の図形「ペントミノ」の理論を一冊にまとめた。名付けは1953年のハーバードでの講演に遡り、1957年にはマーティン・ガードナーのコラムで一般読者に届き、1975年にはロシア語訳が刊行される。そして1984年、モスクワの青年アレクセイ・パジトノフが子供の頃からのペントミノの記憶を頼りに実験用計算機の上で図形を動かし、テトリスが生まれた。五マスの図形が三十年以上をかけて世界を巡った道のりを辿る。
ヘンリー・デュードニー(1907) — 三角形を正方形に変える、蝶番のついた四片
1907年、イングランドのパズル作家ヘンリー・デュードニーは『カンタベリー・パズル』の中で、正三角形をたった四片で正方形に変える「服地商のパズル」を発表した。蝶番でつなげば一動作で姿を変えるこの分割は当時から評判を呼んだが、四片が本当に最小かという証明は驚くほど長く未解決のままだった。決着したのは2024年、計算幾何学の論文によってである。デュードニーとサム・ロイドの確執、マーティン・ガードナーによる再評価を辿りながら、紙の上のパズルが117年をかけてコンピュータ科学に届いた道のりを読み直す。
ハノイの塔(1883) — 再帰という遺産を遺した、終わらない64枚
1883年、フランスの数学者エドゥアール・リュカが「N. Claus (de Siam)」なる偽名で一つの木の玩具を世に放った。三本の杭、大きさの違う円盤、たった二つの規則。だがその単純な見た目の裏には、n枚を移すのに最小 2ⁿ−1 手を要するという再帰の数学が横たわっていた。本稿は、この玩具の本当の出自、64枚の塔が終わるとき世界が滅ぶというベナレスの作り話、そして「再帰」と「状態空間」という発想が後の計算機科学と現代パズルへ遺したものを、歴史の視点から読み直す。
ルービックキューブ(1974) — 43京の迷宮と、たった一つの解
1974年、ブダペストの建築家エルノー・ルービックが教材として削り出した小さな立方体は、やがて43京通りの配置と、たった一つの完成形を持つ「状態空間」そのものを掌に載せてしまった。本稿はこの玩具の正確な出自——1974年の発明、1980年の世界デビュー、2010年に証明された『神の数=20』——を一次・二次資料で辿り、ディスプレイも電源も持たないこの物体が、現代のパズル設計者が口にする『可逆性』『単一の解』『探索すべき空間』という語彙を、半世紀前にどう物として体現していたかを歴史として読み直す。
15パズル(1880) — サム・ロイドが世界を騙した、解けない一手
1880年初頭、アメリカとヨーロッパを席巻した「15パズル」の狂騒。だが世間が発明者と信じたサム・ロイドは、その狂騒が終わって16年後にようやく自作を主張した詐称者だった。本稿は、この箱の本当の出自と、ロイドが懸賞金を賭けた「14と15が入れ替わった盤面」が数学的に絶対に解けないという1879年の証明を辿り、スライドパズルが現代のデジタルパズル設計に残した「解けることの保証」という遺産を読み直す。




