HISTORY · 2026-09-16

ペグソリティア(1697) — 発明者のいない遊びが、「解けない」を証明する数学になった日

宮廷の跳躍消去パズルが、285年後にパゴダ関数という証明の道具と、携帯機の謎解きを手に入れるまで

はじめに — 31個から1個を残す遊び

これは発明者の名が伝わっていない遊びである。十字形に開いた33個(あるいは37個)の穴に釘を立て、隣り合う釘を跳び越えては取り除く。跳び先が空いていなければ動けない。最後に釘が1個だけ残れば勝ちだ。

遊び方はこれだけである。だが最初の一手から数手先まで見通さないと、盤の隅に釘が孤立して詰む。私はこの遊びを、パズル史の中でも珍しい一本として扱う。作者不詳のまま、330年近く遊ばれ続けているからだ。

しかも、この盤は数学者たちの手を経て、「なぜ解けないか」を証明する道具まで生み出した。単純な跳躍消去のルールが、証明の理論と携帯ゲーム機の謎解きの両方に姿を変えている。

十字形の盤に並ぶ釘のイメージ(AI生成)十字形の盤に並ぶ釘のイメージ(イメージ・AI生成)

その時代の文脈 — ルイ14世の宮廷と、消えた囚人の伝説

この遊びの最初の記録は1697年である。フランスの宮廷誌『メルキュール・ギャラン』の8月号が、盤の形と規則、いくつかの問題例を紹介した。これが印刷物に残る最古の言及だ。舞台はルイ14世の治世、ヴェルサイユを中心とする宮廷文化の中である。

1707年には、クロード=オーギュスト・ベレーによる銅版画が、アンヌ・ド・ロアン=シャボー(スービーズ公妃)がこの遊びに興じる姿を描いた。宮廷の女性たちの間で、すでに社交の遊びとして定着していたことがうかがえる。

「バスティーユに収監された囚人が退屈しのぎに考案した」という逸話は広く流布しているが、これには注意がいる。パズル史研究者ジョン・ビーズリーが原典を辿ったところ、この話の最古の出典は1801年、英国の骨董研究家ジョゼフ・ストラットの著書だった。事件から1世紀以上あとの、しかもフランスではなく英国の書物である。ビーズリーは「これより早いフランス側の典拠を示せない限り、この話は歴史ではなく神話の継承にすぎない」と断じている。

17世紀フランス宮廷の広間のイメージ(AI生成)17世紀フランス宮廷の広間のイメージ(イメージ・AI生成)

メカニクス — 跳んで消す、それだけの規則が生んだ二つの盤

1697年の記録に描かれた盤は37個の穴を持つ、フランス式と呼ばれる形である。角を斜めに落とした八角形に近い輪郭をしている。今もフランスでは、この37穴盤が標準として遊ばれ続けている。

一方、私たちがよく見る十字形33穴の「イギリス式」盤は、もっと後に文献へ現れる。ドイツの学者ヨハン・クリスティアン・ヴィーグレープが1779年に著した『自然魔術入門』に、この33穴盤の記録が見つかる。フランスの遊びが海を渡り、盤の形を変えながら定着した跡だ。

規則は跳んで消すだけだが、解を見つけるのは容易ではない。中央の穴だけを空けて始め、最後に中央へ1個だけ残す「標準問題」に対し、1912年、イギリスのアーネスト・バーゴルトが18手の解を示した。この手数がそれ以上短くならないことを証明したのは、それから半世紀以上あとの1964年、パズル史研究者ジョン・ビーズリー自身だった。

盤上を跳び越えていく釘の動きのイメージ(AI生成)跳び越えて消えていく釘の動きのイメージ(イメージ・AI生成)

現代への系譜 — パゴダ関数から、レイトン教授の謎まで

1982年、数学者エルウィン・バーレカンプ、ジョン・コンウェイ、リチャード・ガイの三人が著した『Winning Ways for Your Mathematical Plays』が、ペグソリティアに本格的な数学の光を当てた。彼らが導入した「パゴダ関数」は、盤面に重みを割り当てる関数で、ある局面が原理的に到達不可能であることを、実際に手を尽くさずに証明できる道具だ。「解けるか解けないか」を、しらみつぶしの探索なしに示せるようになったのは、この時が初めてだった。

この数学的な分析は、1985年にジョン・ビーズリーが著した『The Ins and Outs of Peg Solitaire』(オックスフォード大学出版局)にまとめられ、長くこの遊びの標準的な参考書とされてきた。当のビーズリー自身、後年「あの本の歴史記述の一部は見当違いだった」と自己批判を加えている。歴史家が自分の過去の仕事を修正し続ける、その営み自体もまた一つの系譜だと私は思う。

この盤が最後に姿を見せた大きな舞台の一つが、2007年の『レイトン教授と悪魔の箱』である。ニンテンドーDS向けのこの謎解きゲームには、英国式33穴盤を使った謎が6問収録され、最後の1問は中央に1個だけ残す伝統的な形そのものだった。当サイトでは前作にあたる『レイトン教授と不思議な町』(2007)を先に取り上げている。1697年の宮廷の遊びが、310年後の携帯機に、姿をほぼ変えないまま移植されたことになる。

盤面が「解けるか解けないか」を、実際に遊ぶ前に机上で証明する。パゴダ関数が切り開いたこの発想は、現代のパズルゲーム設計とも遠く重なる。生成した盤に必ず解があることを、公開前にプログラムで確かめておくという今の当たり前の手順は、300年以上前のこの盤の上で、すでに芽を出していたと私は読む。

古い盤から現代の携帯ゲーム機へ糸が繋がる系譜のイメージ(AI生成)古い盤と現代の画面を結ぶ糸のイメージ(イメージ・AI生成)

参考文献

本記事で参照した情報源:

Wikipedia: Peg solitaire

Wikipedia(日本語): ペグ・ソリテール

Wikipedia: Anne de Rohan-Chabot

John Beasley: An Update to the History of Peg Solitaire

Wikipedia: Winning Ways for Your Mathematical Plays

ETH Library Zurich: Solitaire (virtual exhibition)

Rob's Puzzle Page: Peg Solitaire and Jumping Puzzles

おわりに — 発明者のいない発明

ペグソリティアには、誰が作ったという記録が残っていない。あるのは1697年という最初の記録の年と、それを取り巻く伝説だけだ。伝説の方はむしろ、後の時代の人間が退屈しのぎに書き足したものだったらしい。

それでも規則そのものは、330年近くほとんど変わらずに遊ばれている。跳んで、消して、最後に一つ残す。この単純さが、名も残らない発明を生き延びさせたのだと思う。

最後の一つだけが残る静かな盤面のイメージ(AI生成)最後の一つだけが残る盤面のイメージ(イメージ・AI生成)

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