HISTORY · 2026-07-29
ペントミノ(1965) — ソロモン・ゴロムが名付けた五マスの図形が、テトリスに姿を変えるまで
1953年の命名、1957年のガードナーのコラム、1975年のロシア語訳——一冊の本が世界を巡った歳月
はじめに
私が今回掘り起こすのは、ゲームそのものではなく一冊の本だ。1965年、アメリカの数学者ソロモン・W・ゴロム(Solomon W. Golomb, 1932-2016)が上梓した『Polyominoes』である。初版にはプラスチック製の駒が同梱されていた。五つの正方形を辺でつなげてできる形、後に「ペントミノ」と呼ばれることになる図形の全十二種類だ。
この本自体は数学の専門書という地味な体裁をしている。だが私が興味を持つのは、その中身が遡れば1907年のイギリスの新聞パズル欄に、下れば1984年のソ連の計算機の画面に、そして今日のパズルゲームの棚にまで繋がっているという、その射程の長さである。
本稿では、ゴロムがこの図形に名前を与えた1953年から、マーティン・ガードナーがそれを世界に広めた1957年、ロシア語訳が刊行された1975年、そしてアレクセイ・パジトノフがそこからテトリスを生み出す1984年までを辿る。五マスの図形が、なぜこれほど遠くまで運ばれたのかを、歴史の側から確かめておきたい。
1965年、『Polyominoes』という本のイメージ(イメージ・AI生成)
その時代の文脈
ゴロムは1932年、メリーランド州ボルティモアに生まれた。ジョンズ・ホプキンス大学で学士号を、ハーバード大学で1957年に数学の博士号を取得した工学者である。専門は符号理論・数論だが、余暇として手掛けた「遊びの数学」でこそ広く名を知られることになる。
1953年、彼はハーバード大学数学クラブでの講演で、正方形を辺でつないだ図形を体系的に紹介した。「ドミノ(domino、二つの正方形の意)」をもじり、五つの正方形からなる図形を「ペントミノ」と呼んだと伝えられる。翌1954年には論文として発表し、「polyomino」という語を、domino からの逆成語として正式に造語した。
図形そのものの起源はもっと古い。この種のパズルの最初期の言及は、ヘンリー・デュードニーが1907年に著した『カンタベリー・パズル』に見出せるとされる(本サイトの別稿「デュードニー(1907)」で扱った、あの本である)。ゴロム自身も、囲碁盤の上で五つの石が作る十二通りの形を古い棋士が見出していた、という言い伝えを著書で紹介しており、図形への関心が彼の命名よりずっと昔から存在していたことが窺える。
1957年5月、マーティン・ガードナーが『Scientific American』誌のコラム「Mathematical Games」でペントミノを取り上げた。ハーバードの一講演で生まれた図形は、こうして一般読者の手元にまで届くことになる。
講演から雑誌コラム、ロシア語訳へ(イメージ・AI生成)
メカニクス
ペントミノの遊び方は単純である。五つの正方形を辺でつなげてできる図形は、鏡像や回転を同一視すればちょうど十二種類しかない。この十二枚を使って、6×10、5×12、4×15、3×20といった長方形の盤面に隙間なく敷き詰める、あるいは特定の形の穴を残して敷き詰める——これがペントミノの基本的な「詰め合わせ」の遊びだ。
1965年の著書でゴロムは、この十二枚の組み合わせを網羅的に探索する手法や、組合せ論の道具を使って敷き詰め方の総数を数える手法にまで踏み込んで解説した。単なる暇つぶしのパズルを、数学の教材へと格上げしたのはこの本の功績である。
アレクセイ・パジトノフは2024年のインタビューで、自分が持っていたペントミノの箱には「現代的な日本製のもの」と「伝統的なロシア製のもの」の二種類があったと語っている。木箱から十二枚の駒を取り出して自由な形に組んで遊び、最後にまた長方形の箱へ詰め直す——熟練者でも30〜40分はかかるというこの「取り出して、崩して、また収める」往復運動こそが、彼にとって長年親しんだ遊びだった。
12枚で6×10マスを埋める、敷き詰めの図解(イメージ・AI生成)
現代への系譜
1975年、ゴロムの著書はソ連で『Полимино(ポリミノ)』としてI.ヤグロムの訳によりМир社から刊行された。この版にはゴロムとデイヴィッド・クラーナーの論文まで追加収録されている。モスクワの計算機科学研究所で働く青年アレクセイ・パジトノフが、子供の頃から慣れ親しんだペントミノの記憶を頼りに、グラフィックもサウンドも持たない実験用計算機Electronika 60の上で図形を動かす実験を始めるのは、それから9年後の1984年のことだ。
パジトノフ自身、2024年のインタビューで「テトリスの主要なインスピレーションはペントミノというゲームから来ている」と明言している。五マスの図形を四マスに簡略化し、回転ルーチンを組んでいる最中に画面上で図形が回転するのを眺めていて、「リアルタイムで遊べるのではないか」という着想を得た、と彼は振り返る。遊戯としてのペントミノが、計算機上の落下ブロックへと組み替えられた瞬間である。
ペントミノという図形そのものも、テトリスの陰に隠れたわけではない。今日でも敷き詰め問題は計算幾何学や組合せ最適化の研究対象であり続けており、ゴロムの著書は今なお polyomino タイリングを扱う論文で参照され続けている。一つの図形が、玩具箱と学術誌と家庭用ゲーム機を同時に生き延びていることになる。
1965年の本から1984年の落下ブロックへ(イメージ・AI生成)
参考文献
本記事で参照した情報源:
・Wikipedia: Solomon W. Golomb(生没年・経歴・1953年の命名・テトリスへの影響についての言及)
・Wikipedia: Polyominoes: Puzzles, Patterns, Problems, and Packings(1965年Scribner社刊・1975年ロシア語訳・1994年第2版の詳細)
・Wikipedia: Pentomino(図形の定義・十二種類の一覧)
・Thought Economics: Tetris Creator & Leaders on Gaming's Greatest Success(2024年、アレクセイ・パジトノフ本人によるペントミノがテトリスの主要な着想源だったという証言)
・NPR: Happy Birthday, Tetris. 35 Years Later You're As Addictive And Tetromino-y As Ever(ペントミノとテトリスの関係についての解説)
・Wikipedia: Henry Dudeney(1907年『カンタベリー・パズル』の著者について)
・Wikipedia: The Canterbury Puzzles
・ETH Library: Polyominoes(1953年ハーバードでの講演の経緯)
・Wikipedia: Tetris(1984年、Electronika 60上での開発経緯)
おわりに
一冊の本が世界を巡るのに要した歳月を数えてみよう。1953年の講演から1965年の刊行までが12年、そこからロシア語訳までが10年、パジトノフがそれをテトリスに仕立てるまでがさらに9年。合計するとおよそ31年である。今日なら数週間で世界を巡る情報が、当時は本という重い媒体に乗って、大西洋とウラル山脈を越えていった。
私が強調したいのは、パジトノフが「発明」したのはブロックを積む遊びそのものではなく、既にあった玩具の「取り出して、崩して、また戻す」という往復運動に、回転と落下という時間の軸を加えたことだ、という点である。歴史家として見るなら、テトリスはゼロから生まれた奇跡ではなく、五マスの図形という長い系譜の上に置かれた、次の一手に過ぎない。
現代のパズルゲームが図形の組み替えや空間の敷き詰めを扱うとき、その手つきのどこかには、まだこの1965年の本の影がある。私はそう考えている。
六十年を経て、まだ棚の一冊として(イメージ・AI生成)
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