SOUNDTRACK · 2026-07-18
Etherborn のサウンドトラック — 重力が向きを変えても、音は転ばない
Gabriel Garrido García(開発: Altered Matter)
はじめに — 幾何学の中に、人間の息が一つだけある
曲面を歩くと、床と壁の区別が消える。歩いていける面にさえ乗れば、自分にとっての『下』がそちらへ切り替わる——それが Etherborn(エーテルボーン)だ。声を持たない透明な存在を操り、光のオーブを拾って道を生やし、自分を呼ぶ声の主へ近づいていく。2019年7月18日、スペインの Altered Matter が制作し Akupara Games が発売した、この光と幾何のパズル・プラットフォーマーを、Komugi のレビューが扱っている。奇しくも今日は、その発売からちょうど7年の日だ。
画面は驚くほど無機質だ。角のとれた抽象建築、余計な装飾のない色面。だがそこに一つだけ、明らかに体温を持った音が鳴っている。作曲は Gabriel Garrido García。バルセロナの Abuelita Studios で生録りされた弦楽四重奏、クラリネット、ファゴット、そしてソプラノの声だ(クレジットは Akupara の公式ブログで確認できる)。最初の面に降り立つと、まず薄く伸びる弦のロングトーンが空間を満たす。耳測りでだいたい 50〜60 BPM 相当、というより拍という骨組みそのものが希薄で、呼吸に近い流れ。私はこの音を、幾何学の冷たさに射し込む一筋の人肌として聴いた。
抽象空間に生身の弦を置く — そして音は一生分、老いていく
この作品の音でいちばん語りたいのは、無機質な世界にわざわざ生録りの音を選んだ、という一点だ。エッシャー的な建築は完璧な直線と曲面でできていて、いくらでも合成音やシンセで整えられたはずだ。だが García は、バルセロナのスタジオに弦楽四重奏とクラリネット、ファゴット、ソプラノを呼び、実際に人が弾いた音を録った。弓の返し、息の継ぎ目、わずかな音程の揺れ——その『不完全さ』こそが、非人間的な空間に体温を与えている。私が前に書いた The Swapper が冷凍庫とテープの音で宇宙の孤独を鳴らしたのとちょうど逆の解法で、Etherborn は生身の残響で抽象を人間の側へ引き寄せる。
もう一つ、この音楽は物語の骨格とまっすぐ結びついている。Etherborn の各エリアは生命の循環——生まれてから最後の段階まで——を辿る構造になっており、音楽もそれに寄り添って移り変わる。序盤はクリアで澄んだ弦の響きから始まり、終盤へ向かうほど和声は翳りを帯びていく。とりわけ最終盤の『The Longing of the Stones』について、García 自身が Arvo Pärt へのオマージュだと記している。ティンティナブリ(鈴鳴りの様式)を、奏者たちが歌い手と息を合わせて鳴らす——静けさが最大の情報量になる、あの書法だ。曲がイベントごとに切り替わるのではなく、一生分の時間をかけてゆっくり老いていく。この長い弧が、私にはこの作品の音のいちばんの発明に思える。
叱らない音 — アンドゥのない歩行に、ステインガーは要らない
パズル固有の特徴として面白いのは、Etherborn に失敗の概念がほぼ無いことだ。タイマーもなく、落ちても即座に戻され、アンドゥのボタンすら要らない設計になっている。だから音楽にも、リトライを告げるスティンガーや、間違いを叱るような不協和のキューが存在しない。弦はレガートで途切れず、はっきりした頭拍を置かない。足踏みで拍を取れないのは、歩みを急かされないゲーム体験とそのまま重なっている。
つまりここでの音は、プレイヤーの操作に反応して鳴る種類の音楽ではない。空間に先に置かれていて、あなたがどれだけ長考しても、重力を何度取り違えても、同じ温度で鳴り続ける。解けたときのファンファーレもなければ、詰まったときの警告もない。ただ持続音が呼吸を続け、あなたが自分のペースで面を歩き直すのを待っている。この『反応しない優しさ』は、Baba Is You のチップチューンが試行錯誤を叱らなかったのとは別種の——沈黙に近い側からの、赦しの設計だ。
パズルとのアナロジー — 測れないテンポと、測れない歩み
私は何でも BPM で測る癖があるが、Etherborn の音楽は私のその物差しをそっと拒む。頭拍が希薄で、和声はゆっくり移ろい、どこが小節の切れ目かが曖昧なまま流れていく。これは偶然ではない。プレイヤーの思考もまた、測れないテンポで進むからだ。曲面のどこに『下』を持ってくるか、光をどの順で拾うか——手を止めて空間を眺め、一歩踏み出し、また止まる。その歩みには規則的な拍がない。
拍を刻む音楽は『さあ次、さあ次』と背中を押す。Etherborn の音楽は逆だ。持続音は時間の枠を提示せず、あなたが視点を回して世界の上下を組み替えるのを、ただ支える。解くテンポと音のテンポが、どちらも『測れない』という一点で握手している。これが私の見立てだ——この作品の音は、速さでも遅さでもなく、そもそも計測を降りることで、歩行のパズルと同じ呼吸になっている。
聴くべきトラック
まずは生まれたばかりの段階の音、『Shapes of a Memory - The First Memory』から。澄んだ弦がほどけていく、この作品の最も透明な入り口だ。まだ翳りの来ていない、生命の最初の呼吸のような響きを確かめてほしい。開発元 Altered Matter の公式チャンネルの音源だ。
対になる翳りの音として『Desert of the Mind - Light』を: Desert of the Mind - Light ↗(同じく Altered Matter 公式)。そして 21 曲の全体を一続きで浴びたいなら、Akupara Games 公式チャンネルのアルバム動画がいい: Etherborn | Original Game Soundtrack(全曲)↗。序盤の澄んだ弦が終盤へ向けてどう翳っていくか、その一生分の弧をひと息で辿れる。
おわりに — 自分が作るなら、ここを盗む
自分が曲を作るなら、ここを盗む——抽象的で無機質な題材ほど、あえて生録りの音を一つ混ぜる、という判断だ。完璧に整えたシンセの海に、弓の返しや息継ぎのようなわずかな『不完全さ』を一滴落とすだけで、空間は急に人間の側へ傾く。Etherborn はそれを、装飾ではなく設計として選んでいる。もう一つ盗みたいのは、曲を場面ごとに切り替えるのではなく、作品全体を一本の弧として老いさせる発想だ。クリアな弦から翳った和声へ、という長い変化に進行を託せば、個々のキューを鳴らさなくても、プレイヤーは自分がどこまで来たかを耳で知る。
聴き直すなら、夜、部屋の明かりを一つだけ残して。急ぎのない作業の傍らに、拍を刻まないこの音は驚くほどよく馴染む。関連作として、抽象空間に生身の音を置くという点では The Swapper を、拍を降りた持続音という点では The Talos Principle の一本の持続音を、私の過去記事から並べて聴いてみてほしい。重力が向きを変えても、この音は最後まで転ばない。
参考リンク
・Steam: Etherborn - Soundtrack(公式 OST DLC)
・Etherborn (Original Game Soundtrack) — Akupara Games 公式 Bandcamp
・Materia Collective: Etherborn (Original Game Soundtrack)
・Akupara Games ブログ: 生録りの経緯と全クレジット
リアクション(ログイン不要)
匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで
関連シリーズ
パズルのサウンドトラック第48回 / 全48回
次に読む
関連レビュー
Mind Over Magnet
モニターを頭に載せたロボット・ユニと磁石の仲間を連れ、圧力プレートや磁場を使って工場の一画面パズルを一段ずつ登っていく2Dパズルプラットフォーマー。磁石を置く・投げる・極を反転させる少ない動詞で、50を超える単画面の仕掛けを解く。YouTube『Game Maker's Toolkit』の Mark Brown が制作・発売した一作。
FRACT OSC
シンセサイザーでできた広大な遺跡を一人称で歩き、光るノードや音の仕掛けを操作して、眠った機械と音楽を蘇らせていく音楽探索パズル。説明はほとんどなく、何が触れられるのかを自分の目で見極めることそのものが謎解きになる。IndieCade で音響デザイン賞を受けた Phosfiend Systems の2014年作。
NaissanceE
白と黒だけで描かれた巨大な人工構造の底へと、無名の視点となって降りていく一人称探索ゲーム。走り、跳び、光と影を動かす——数えるほどの動作だけで、ピラネージの版画や漫画『BLAME!』を思わせる非人間的スケールの世界を旅する。2014年に発売され、現在は Limasse Five が無料で配信している。


