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ESSAY · 2026-09-01

実績100%は誰のための完走か——完璧主義と遊びの哲学

『Hollow Knight』の「112%」をめぐる、スーツとアリストテレスの仮想対話

エンディングは見た。それでも93%が消えない

深夜、ウイスキーを片手に『Hollow Knight』(Team Cherry、2017)のセーブデータを開いた。画面の隅に「93%」と出ている。物語はもう終わっている。エンディングも見た。それでも、この数字だけが消えない。

取りこぼしたチャームが数個。たぶん、どこかの壁の裏にある。取りに戻れば数字は埋まる。だが、取りに戻る私は、まだ遊んでいるのだろうか。それとも、片づけているだけだろうか。

今夜はこの「あと1個」を図面ノートの余白に持ち込む。差し向かいに座らせるのは、遊びとは不必要な障害を自分から引き受けることだと書いたバーナード・スーツと、活動には二種類あると書いたアリストテレス。むろん実際の発言ではない。それぞれの著作から推し量った、私の頭のなかの仮想対話だ。

『Hollow Knight』のスクリーンショット(Steam ストアページ掲載・1枚目)『Hollow Knight』(Team Cherry、2017)。Steam ストアページ掲載のスクリーンショットより

図面ノートの余白で、二人が「100%」を数える

スーツ。何を悩む必要がある。私は『キリギリスの哲学』で、ゲームをするとは、不必要な障害を自発的に乗り越えようとする試みだと書いた。実績はまさに不必要だ。取らなくても物語は終わる。誰も困らない。取らなくてよいものを、わざわざ取りに行く——それが遊びの定義そのものだよ。100%を埋める者は、いちばん深く遊んでいる。

アリストテレス。待ちなさい。君は「何をしているか」しか見ていない。私が『ニコマコス倫理学』の第10巻で分けたのは、そこではない。家を建てることのように、終わったところで初めて完成する運動がある。他方に、見ることや楽しむことのように、どの瞬間にもすでに欠けていない活動がある。私はこれをエネルゲイアと呼んだ。遊びは後者のはずだ。

アリストテレス。ところが画面の隅の数字は、遊びを前者に変えてしまう。93%の夜は「まだ完成していない夜」になる。そして埋まった瞬間、快は行き場を失う。彼が最後の1個を拾ったあとに来るのは、満足ではなく手持ち無沙汰だろう。

スーツ。表示ひとつで態度が変わる、と。だが、選んでいるのは本人だ。誰も強制していない。

アリストテレス。選んでいるのは本人だ。だが、並べたのは本人ではない。ばらばらに置いてあれば、あれは寄り道だった。一列に並べて番号を振った瞬間、あれは目録になる。目録は、消すためにある。ついでに言えば、私は同じ第10巻で、幸福は遊びのうちにはない、遊びは休息のためにあると書いた男だ。その私が言うのだから聞きなさい。休息を作業に変える表示は、遊びの味方ではない。

スーツ。一点だけ譲ろう。私は、ゲームをする者と、規則をなぞるだけの者、ズルをする者、興ざめな者を分けた。もし彼が100%を、見せるため、終わらせるためだけに追っているなら、彼はもう不必要な障害を楽しんでいない。必要になった障害は、障害ではなく仕事だ。ただし——それは表示の罪ではない。彼の態度の問題だ。

持ち帰り——満点を100にしない

ひとつ気づいたことがある。『Hollow Knight』の達成度は、100%では終わらない。追加コンテンツまで含めた満点は112%だ。ボス、チャーム、装備、追加の試練。足していくと、100を越える。

つまり「100%」は、このゲームでは満点ですらない。キリのいい数字が途中に一度出てくるだけだ。言われてみれば確かに、私たちを引き戻しているのは中身ではなく、キリのいい数字のほうかもしれない。

作り手としての持ち帰りは一行——達成率を出すなら、満点を100にしない。あるいは「見つけた数」と「ぜんぶの数」を別々の欄に置いて、割り算にしない。同じ情報でも、パーセントにした瞬間に「残り」が生まれる。

『Hollow Knight』のスクリーンショット(Steam ストアページ掲載・3枚目)『Hollow Knight』(Team Cherry、2017)。Steam ストアページ掲載のスクリーンショットより

私は半歩、スーツ寄りだ。不必要なものを自分から拾いに行く時間を、私は否定したくない。ただ、机の上で本当に効くのはアリストテレスの側だと思う。態度は設計できないが、表示は設計できる。だから私は達成率を出す。出すが、100を満点にしない。

あなたに聞きたい。最後の1個を取りに戻ったとき、そこにいたのはあなたですか、それとも目録ですか。そして——達成率が表示されないゲームだったら、あなたはあれを拾いに行きましたか。コメントで教えてほしい。次回のかけら枠は「NPCに罪悪感を覚えるのはなぜか——虚構への倫理」。誰も傷ついていないはずの画面の中で、なぜ人は謝りたくなるのか。また二人を差し向かいに座らせます。

参考文献: アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』(渡辺邦夫・立花幸司 訳、光文社古典新訳文庫。第10巻の、終わって初めて完成する運動と、どの瞬間にも欠けていない活動の区別、快楽は活動を完成させるという議論、および幸福は遊びのうちにはなく遊びは休息のためにあるという議論)/ バーナード・スーツ『キリギリスの哲学——ゲームプレイと理想の人生』(川谷茂樹・山田貴裕 訳、ナカニシヤ出版。ゲームプレイ=不必要な障害を自発的に乗り越えようとする試み、プレイヤー/戯れる者/ズルをする者/興ざめな者の区別)。照合したゲームは Hollow Knight(Team Cherry、2017。追加コンテンツを含めた達成度の上限は112%)。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』(渡辺邦夫・立花幸司 訳、光文社古典新訳文庫) 書影アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』(渡辺邦夫・立花幸司 訳、光文社古典新訳文庫)バーナード・スーツ『キリギリスの哲学——ゲームプレイと理想の人生』(川谷茂樹・山田貴裕 訳、ナカニシヤ出版) 書影バーナード・スーツ『キリギリスの哲学——ゲームプレイと理想の人生』(川谷茂樹・山田貴裕 訳、ナカニシヤ出版)※書影はAmazonアソシエイト・リンクです。Amazonのアソシエイトとして、Puzzlebyrinthは適格販売により収入を得ています。

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