RETRO-REVIEW · 2026-09-01
ソロモンの鍵(1986) — 創る魔法を、生みの親自身が手放した年
テクモの鶴田道孝が発明し、続編で自ら封じた「ブロックを作る」というパズルの文法
はじめに
これは1986年7月、東京のテクモ(当時の社名はテーカン)がアーケードに出した一本である。主人公は若き魔法使いダナ。固定画面の部屋を一つずつ解き、鍵と、時には宝物も集めて扉から抜ける。
同時代のアクションゲームの多くは、掘る・避ける・壊すという一方向の操作で盤面を変えていた。ソロモンの鍵はここに逆方向を足す。杖でブロックを出現させ、同じ杖でまた消す。作ることと壊すこと、両方が武器になる、当時としては珍しい設計だった。
本稿はこの作品を懐古のためではなく、後のパズル・プラットフォーマーがなぜ「作る」という手をあまり選ばなかったのか、という分岐点として読み直す。
「NES Longplay [585] Solomon's Key」(WorldofLongplays, YouTube)のサムネイルより
その時代の文脈
生みの親は鶴田道孝。1984年に『ボンバージャック』を手掛けた人物で、ソロモンの鍵はその二作目にあたる。本人が後年語ったところでは、着想の出発点はライバル社の『ロードランナー』(1983年)だったという。谷を掘って敵を落とすロードランナーの逆を行きたい、というのが最初の思いつきだったと本人は振り返っている。
当初は純粋なアクションゲームとして考えていたというが、開発責任者だった上田和敏に、ブロックが出たり消えたりする感覚はパズルに近い、そちらをもっと詰めてはどうかと持ちかけられ、方向を変えた。1986年の日本アーケード市場は、『ドルアーガの塔』(1984年)や『スペランカー』(1983年)のような、理不尽なまでに難しいアクションパズルが評価される土壌でもあった。
この年のうちに家庭用へも展開が始まる。ファミコン版が国内で発売され、翌1987年には北米でNES版が出た。さらにセガ・マークIII、PCエンジン(『Zipang』というリメイク名義)、ゲームボーイ(『ソロモンズクラブ』)、欧州のホームコンピュータ(U.S. Gold発売、Probe Software移植によるコモドール64・スペクトラム・アムストラッドCPC・アタリST・IBM PC版)まで、当時としては珍しいほど幅広い機種に広がった。
メカニクス
遊びの基本は単純だ。ダナは隣接する空きマスにブロックを一つ出現させられる。同じ動作でブロックを壊すこともできる。杖を振るか、真下から頭突きをするか。この二択の連続で足場を作り、通路を塞ぎ、敵を生き埋めにする。
ブロックだけでは倒せない敵も多く、回数の限られた火の魔法(作中では「マンダの壺」と呼ばれる)を使って始末する場面も出てくる。1998年刊のガメスト社のムック『ザ・ベストゲーム2』は、この火魔法の使用回数制限が、アクションパズルとしての完成度を押し上げたと評している。
各部屋の目的は共通している。鍵、時には宝物も集め、扉が開いたら制限時間内に出口へたどり着く。アーケード版・ファミコン版とも部屋数はおよそ50。NES版ではさらに、干支のタイルを揃えると開く12の隠し部屋、隠しスコア判定、複数エンディングにつながる「ソロモンの印」といった要素が足された。
杖の一振りが、出現と消滅の両方を担う(図解・AI生成)
現代への系譜
1992年1月、続編『ソロモンの鍵2〜クールミン島救出作戦〜』(海外名Fire 'n Ice)がファミコン/NESで発売された。開発は前作と同じくテクモ、デザインも鶴田道孝が続けている。ここで鶴田は驚くべき選択をした。「作って壊す」という前作の骨格を、丸ごと置き換えたのだ。
続編でダナが出せるのは氷の塊一つだけになる。斜め下にしか出せず、それを押して転がし、画面上のすべての炎を消せば部屋クリアという規則に変わった。鶴田自身の言葉を借りれば、今度こそ「本当のパズルゲーム」にしたかったという。これは、この連載が1982年の倉庫番以来くり返し辿ってきた「押す」という文法への合流でもある(参照: 倉庫番(1982)、Sokobond(2013))。
生みの親自身が、自分の発明を手放して主流の文法に合わせた。この事実は示唆的だ。海外のパズル史の文献を探しても、ソロモンの鍵の「作る」機構を名指しで後続作の祖先に挙げる記述は見当たらなかった。憶測で系譜を伸ばすことはしない、というのがこの連載の決め事である。
その代わりに残ったのは、移植とリメイクの列だった。1990年のPCエンジン版『Zipang』はアークシステムワークスが手掛けた別キャラクター版で、西洋の干支を中国風の題材に置き換えている。1991年のゲームボーイ版『ソロモンズクラブ』はグラフィックリサーチが開発し、店売りシステムを足して難度を下げた。2000年には韓国ゲームビジョン社による無許諾クローン『Tang Tang』まで登場した。名前を変えてでも借りたくなる仕組みだった、ということだけは確かである。
「Fire 'n Ice (NES) gameplay」(316whatupz, YouTube)のサムネイルより
参考文献
本記事で参照した情報源:
・Wikiwand(英語版Wikipediaミラー): Solomon's Key
・Hardcore Gaming 101: Solomon's Key
・Hardcore Gaming 101: Fire 'n Ice(ソロモンの鍵2)
・Hardcore Gaming 101: Solomon's Key の派生・模倣作品
・Game Developer: 鶴田道孝インタビュー「A History of Tecmo and Classic Platform-Puzzlers」
おわりに
「作る」と「壊す」の両方を主人公に与えた設計は、1986年の時点でも珍しく、その後広く真似られたわけでもない。倉庫番が敷いた「押す」の文法が主流になっていく一方で、ソロモンの鍵が開いた道は、生みの親自身の手で静かに畳まれた。
選ばれなかった分岐点を掘り出すたび、私は同じことを思う。流行らなかった設計は、失敗の証ではなく、まだ誰も十分に試していない手つかずの土地であることが多い。
1986年7月という月日を、また一つ記録に残せたことだけは、今日も静かに満足している。
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