BLOG · 2026-08-04
学校であった怖い話(1995) — 「学校の怪談」ではない、と作者が言い続けた一本
今日は発売日 #21 — 1995年8月4日、バンプレストがスーパーファミコンに実写の語り手を6人並べた日
1995年8月4日、六人めの席が空いたまま始まった取材
こんにちは、Tokiです。連載「今日は発売日」第21回。今日掘り出したのは、バンプレストの『学校であった怖い話』。スーパーファミコン用ソフトとして店頭に並んだのは1995年8月4日、平成7年の夏でした。今日でちょうど31年になります。
基本情報を整理しておきます。ジャンルはサウンドノベル形式のアドベンチャー、開発はパンドラボックス、原作・脚本・監督・総指揮は飯島健男(現在の筆名は飯島多紀哉)。技術は伊藤真也、音楽は渡部陽子で、二人は前年のスーパーファミコン用『機動武闘伝Gガンダム』を手がけた面々です。略称は『学怖』。後年、この作品を第1作とする系譜が「アパシー・シリーズ」と呼ばれることになります。
YouTube動画「~『学校であった怖い話』誕生秘話~【第1回鳴神学園放送部】」(アパシー 学校であった怖い話 【公式】チャンネル)のサムネイルより
物語の入口は事務的です。主人公は高校の新聞部員で、旧校舎が取り壊されるのを記念した「学校の七不思議」特集の取材を任される。放課後の部室に語り手が7人集まる予定だった——のに、来たのは6人。空いた一席をそのままにして、6人の怪談が始まります。この「1人足りない」という一行が、実はゲーム全体の設計図でもある、というのが本作のうまいところでした。
聞く順番が筋になる。50本以上のシナリオの正体
当時のサウンドノベルは、主人公が自分で恐怖を体験するのが普通でした。本作はそこをずらします。主人公は体験しない。ひたすら「聞く」。6人の語り手から1話ずつ、計7話を聞いていく構成で、誰の話を何人目として聞くかによって内容が変わります。単純計算でも6人×7話で42通り、そこに選択肢による派生と隠しシナリオが乗って、総数は50本以上。分岐が枝分かれするのではなく、話を聞く順番そのものが分岐になっている——ここが独特でした。
そして冒頭の空席が回収されます。6話目を誰に語ってもらうかで7話目が決まる。つまり最後に何が来るかは、それまでのあなたの聞き方が決めている。取材ノートの並べ方がそのまま結末になる仕掛けです。
見た目の話もしておきます。本作は実写取り込みを背景だけでなく登場人物にも採用した作品として知られています。スーパーファミコン版で語り手を演じたのは、開発元パンドラボックスの社員たち。翌年のPlayStation版では年齢の近い役者に差し替えられますが、無印版の「素人がじっと画面から見ている」あの質感は、意図せずして怖さの一部になりました。テキストは書籍を模して右から左への縦書きで流れます。
もうひとつ、誤解の話。タイトルの「学校であった怖い話」は学校の怪談だと受け取られがちですが、飯島の意図は違いました。作中で語られるのは幽霊よりも生きた人間の狂気であり、本人の言い方を借りれば「学校で怪談話を聞く集会をやったら遭遇してしまった怖い話」。パッケージやタイトル画面に小さな子供たちの影が描かれているのは、デザインの外注先にコンセプトが正しく伝わらなかったためで、飯島は異を唱えたものの押し通されたそうです。そこで「子供たちから伸びた影が怪物になる」演出を入れ、表面と内面が全く違うという本作のテーマの一つを、逆に表現してしまいました。
点数は並、売上も振るわず、でも本だけが何冊も出た
当時の受け止め方を、確認できる数字から並べます。『ファミコン通信』のクロスレビューは8・6・6・5、合計25点(40点満点)。『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票「ゲーム通信簿」は22.3点(30点満点)で、内訳は熱中度3.9、キャラクタ3.8、オリジナリティ3.8、操作性3.6、音楽3.8、お買い得度3.4。熱中度とオリジナリティが高く、お買い得度がいちばん低い——読者票のかたちとしては、ずいぶん正直な数字だと思います。
売上そのものは振るいませんでした。ここは記録としてそのまま書きます。ただ、同じ1995年の後半に関連書籍が立て続けに出ているのが目を引きます。アスキーから7月に1冊、アスペクトから8月に上下巻と『「学校であった怖い話」の怖い話』、9月には双葉社の必勝攻略法、勁文社、実業之日本社——4か月で6冊。棚の数字が伸びなかった作品の周りで、活字だけがこれだけ動いているのは珍しい記録です。
このアスペクト文庫の小説版には事情がありました。制作中、バンプレストに止められたシナリオが語り手ごとに存在していたのです。たとえば福沢玲子の7話目は、当初「主人公が殺人鬼となって語り手たちを殺していく」という筋でしたが、危険すぎるとして広報担当に差し替えを求められた。飯島は、止められた大きな理由は当時の風潮で主人公は「クリーンであるべき」とされていたことだと語っています。そうして没になった原稿を集めたのが、小説版でした。
翌1996年には、新シナリオとグラフィック・サウンドを一新したPlayStation版『学校であった怖い話S』が登場します。主人公の性別が選べるようになり、性別で筋が変わる。この『S』が、2007年にゲームアーカイブスで配信が始まるまで、中古にプレミアが付くほどの人気を保ち続けました。評価の点数と、値札の付き方が一致しない作品というのは、たまにあります。
31年後の今日、作者本人が誕生秘話を配信している
当時の空気を見ておきたい方へ。上に置いたのは、YouTubeの「~『学校であった怖い話』誕生秘話~【第1回鳴神学園放送部】」です。「アパシー 学校であった怖い話 【公式】」チャンネルの配信で、話しているのは作者の飯島多紀哉本人。先ほど書いた「タイトル画面の子供の影」の経緯や、バンプレストに止められたシナリオの話も、この放送部シリーズで本人の口から語られています。制作者が30年近く経ってから自分で当時の内幕を配信する、というのは資料としてかなり贅沢な状態です。
その後の移植の足取りを並べます。PlayStation版『S』は2007年にPlayStation 3およびPlayStation Portable向けにゲームアーカイブスで配信。スーパーファミコン版はバーチャルコンソール対応ソフトとして2008年にWii、2014年にWii Uで配信されました。レイティングはCERO:C(15才以上対象)。
系譜のほうも続いています。同じシステムと舞台設定は姉妹作『晦-つきこもり』(1996年)に受け継がれ、2007年8月17日の同人版『アパシー 学校であった怖い話 〜Visual Novel Version〜』以降、舞台は「鳴神学園」と新しく設定されて、この世界で展開される物語がまとめて「アパシー・シリーズ」と呼ばれるようになりました。1995年の一本が、30年かけて自分の学園を持ったことになります。
1995年8月4日、という一行
記録として、もう一度年号を置いておきます。1995年8月4日。平成7年。クロスレビュー25点、売上は振るわず、それでも4か月で関連書籍6冊、そして翌年の完全版が10年以上プレミア価格を保った一本。年号を書き写さないと記事が終わった気がしないのは私の癖ですが、この作品に限っては、書き写すだけで妙にしっくりきます。取材の日付が、そのまま作品の設定でもあるからでしょう。
今日の問いです。あなたが「点数は普通だったのに、忘れられない」と言える一本は、何でしょうか。雑誌の評価と自分の記憶が食い違っている作品ほど、後から効いてくるものです。空いた七番目の席には、その話を座らせておきましょう。それでは、また明日。
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