DESIGNER-STUDY · 2026-07-24
Jakub Dvorský の哲学 — 言葉を捨て、世界を触れる玩具にする
『Samorost』『Machinarium』『Botanicula』と、言葉のない設計
はじめに
Jakub Dvorský(ヤクブ・ドヴォルスキー)は、チェコ・プラハの小さなスタジオ Amanita Design を率いる作り手だ。日本では作品名——『Samorost(サモロスト)』『Machinarium(マシナリウム)』『Botanicula(ボタニキュラ)』——のほうが本人の名より知られているだろう。手描きの、錆びて苔むした、どこか夢のように歪んだ世界。そこには文字がほとんどない。台詞もない。にもかかわらず、遊ぶ者は迷わず「これは何かをつまんで、どこかへ運ぶ遊びだ」と分かってしまう。その不思議さの設計者が彼である。
本稿は作品案内ではなく、この作り手その人への考察だ。私 Kizuki は、2009年から2024年までの15年に散らばった本人インタビューを並べて読み、そこに一貫して流れる主張と、繰り返し出てくる癖、本人が口にした迷いを拾い出したい。番茶を淹れ直しながら私が確かめたいのは、2009年に「僕は良い書き手ではない」と語った人物が、15年後もなお同じ地点に立っているかどうか、である。結論を先に言えば、驚くほど動いていない。
経歴 — 木の根から始まった
Dvorský はプラハの美術・建築・デザイン大学(AAAD)で学び、卒業制作として作ったのが『Samorost』だった。チェコ語で「木の根が生き物に見えるもの」を指す言葉だという。2003年、大学を出た彼は Amanita Design を立ち上げる。当初は「一人スタジオ」だったと本人は振り返る。「たしかに一人で始めたが、それはずいぶん昔のことで、以来スタジオはゆっくりだが着実に成長してきた」(bounthavy, 2020)。
商業的な転機は『Machinarium』(2009) だった。彼はこれを「初めての本格的な、フルレングスの PC 向けゲーム」と位置づけている。「主要なゲームメカニクスは Samorost から直接来ているが、より伝統的なアドベンチャーゲームで、インベントリもメニューも全部ある」(TouchArcade, 2024)。IGF での受賞が世界的な注目を呼び、以後 Botanicula、CHUCHEL、Creaks、Pilgrims と作品を重ねた。現在スタジオは約25人。それでも「基本的には友達の集まりのように運営している」(bounthavy, 2020)と彼は言う。日本語圏では無名に近いが、英語圏インディーシーンでは「言葉を使わない手描きアドベンチャー」の代名詞として長く語られてきた人物である。
哲学 — 言葉を引き、世界を単純にする
Dvorský の主張は、15年を通して一つの軸に収束する。「僕たちはテキストや長い台詞のようなものが好きではない。それが僕たちのゲームデザインへのアプローチだ。すべては、かなり単純でアクセスしやすくあるべきだ」(MCV/DEVELOP, 2011)。言葉を引くことは、間口を広げることと同義に語られる。実際彼は、遊び手を年齢やプラットフォームで区切らない。「5歳でも15歳でも40歳でも60歳でも関係ない……視覚的に印象的で、パズルのあるゲームに開かれてさえいれば、たぶん気に入ってもらえる」(bounthavy, 2020)。
もう一つ、彼の哲学で見落とされがちなのが「解く」より「遊ぶ」を上位に置く姿勢だ。『Samorost 3』を語るとき、彼はこう述べている。「できるだけ早く終わらせて、すべてのパズルを解いて打ち負かそうと思ってほしくない。ゲームで遊ぶその過程を楽しんでほしい。巨大なインタラクティブな玩具のようなものであってほしい」(MCV/DEVELOP, 2011)。パズルは障害物ではなく、世界に触れるための口実だ——彼の設計はそう読める。だからこそ音も同格に扱われる。「オーディオは僕たちにとって視覚と同じくらい重要だ。両者が一緒になって雰囲気と感情を作り出す」(bounthavy, 2020)。
こだわり — 雰囲気は技術に勝る
作品を横断すると、繰り返される手つきが見える。第一に、手描きと雰囲気への執着。「ビジュアルスタイルと強い雰囲気は、僕たちにとって不可欠だ」「最終的なグラフィックには主に Photoshop を使うが、デザインとコンセプトアートはほとんど鉛筆と紙だ」(bounthavy, 2020)。技術は主役ではない。「僕たちのゲームは技術に基づいていない」——だから Unity でも Flash でも構わない、と彼は言い切る(bounthavy, 2020)。
第二に、独自性そのものを目的化する癖。「(独自であることは)重要だ。ゲームが際立つから。それに、開発をより楽しめるから……新しいものを開発に持ち込むことでしか、それは達成できない」(MCV/DEVELOP, 2011)。作るたびに前作から進化した新しい絵柄を立ち上げるのは、この癖の帰結だろう。そして第三に、肩の力を抜くこと。「あまり真剣に受け止めすぎないことが大事だ。結局のところ、ただの楽しみなのだから」(bounthavy, 2020)。手描きの緻密さと、この軽やかさが同居しているのが彼の作品の質感だ。
失敗と乗り越え方 — 批判を認めるところから
Dvorský は自分の弱点を隠さない。初期作のパズルが「試行錯誤(trial and error)頼み」だと批判されたことについて、彼はこう応じた。「その批判に僕は同意する。ほぼ本当だ」。そのうえで乗り越え方を語る。「Machinarium では、演繹で解けて、しかもその独創性に感心してもらえるような、より良く論理的なパズルを作ろうとしている」(Adventure Classic Gaming, 2009)。批判を否定せず、次作の設計要件に翻訳する——これが彼の失敗との付き合い方だ。
制作の進め方についても、痛い学習を認めている。「今の僕は、アートアセットを全部作って本格的にゲームを組み始める前に、すべてを考え抜くことが本当に重要だと知っている。プロトタイピングとプレイテストが重要で不可欠だとも。この知恵は前にも聞いていたが、今は本当だと『知っている』。個人的な経験が大いに助けになる」(TouchArcade, 2024)。当たり前の教訓を、身銭を切って腑に落とした人の言い方だ。長期化した最新作 Phonopolis についても、彼は撤退ではなく粘りを選ぶ。「どれだけ時間がかかっても構わない。僕たちは強情な開発者集団だ」(TouchArcade, 2024)。
ジレンマ — 誰のための難しさか
彼が繰り返し立ち戻る葛藤は「親切さと難しさ」の綱引きだ。Machinarium を彼は「パズルはより難しく、一般大衆というよりゲーマーに向けている。とはいえ、興味さえあれば非ゲーマーにも十分アクセスしやすい」(TouchArcade, 2024)と説明する。ところが次の Samorost 3 では舵を切り直す。「Machinarium より、経験の浅いプレイヤーにも掴みやすいゲームにしたい」(MCV/DEVELOP, 2011)。作品ごとに難易度の宛先を測り直しているのが分かる。
もう一つは商業性と作家性の綱引きだ。彼は BBC 向けの教育ゲーム Questionaut について率直に明かす。「作るのは楽しかったが、僕たちがそれをやったのは、進行中の自分たちのプロジェクト Machinarium を完成させるためのお金を稼ぐためだった」(TouchArcade, 2024)。受注仕事で食い扶持を作り、その資金で自分たちの作品を守る——この二重帳簿を彼は隠さない。それでいて、作品づくりの動機は明確に作家性側に置く。「一番お金を稼ぐことが僕たちの主目的ではない。僕たちは自分たちが芸術的だと考えるものを作り、それを可能な限り最高のものにすることに集中する」(bounthavy, 2020)。
影響源 — 東欧アニメと SF の書棚
本人が認めている影響源は具体的だ。Machinarium の機械的な意匠について問われたとき、彼はこう答えている。「直接のインスピレーションは、古い錆びた機械、廃工場、産業建築、そして多くの SF の本や映画から来ている(Stanislav Lem、Douglas Adams、Jules Verne、Ray Bradbury、Stanley Kubrick、Karel Zeman など)」(Adventure Classic Gaming, 2009)。チェコの巨匠 Karel Zeman の名が挙がるのは象徴的だ。Amanita の映像感覚は、東欧アニメーションと人形劇の系譜に地続きである。
ゲーム側の影響も彼は隠さない。少年期に遊んだのは「最初のテキストアドベンチャー、次に静止画つきのテキストアドベンチャー、そして有名な LucasArts のゲーム全部(Day of the Tentacle、Monkey Island など)、もちろん Myst」(Adventure Classic Gaming, 2009)。台詞の洪水に退屈した経験と、Myst 的な「無言で佇む世界」への憧れ。この二つが交わる地点に、言葉のないアドベンチャーという彼の型が立ち上がっている。ゲームを芸術と呼ぶことにも彼はためらわない。「僕にとって、ゲームは他のどんなもの(絵画、文学、音楽、映画)とも同じく一つのメディアにすぎない。だから当然、ゲームも芸術になりうる」(Adventure Classic Gaming, 2009)。
Kizuki の読み
ここからは本人発言から一歩踏み込んだ、私 Kizuki 個人の解釈である。私は Dvorský を「弱点を設計原理に昇格させた作り手」と読む。彼の出発点は「僕は良い書き手ではない」という自己認識だった(Adventure Classic Gaming, 2009)。多くの作り手なら、それを補うために外部のライターを雇う。彼は逆をやった。書けないことを恥じるのではなく、「ならば言葉を使わない世界を作る」という制約へ反転させた。制約が作風になり、作風が代名詞になった。欠落を隠さず、設計の柱に据えたのだ。
だからこそ、彼が「解く」より「遊ぶ」を上に置くのも一貫していると私は整理できる。言葉で説明されない世界では、プレイヤーは触れて確かめるほかない。試行錯誤は本来「悪いパズル」の症状だが、彼はそれを批判として受け止めつつ(2009)、同時に「巨大な玩具」(2011)という価値へ組み替えた。触って確かめる時間そのものを楽しみに変える——彼の15年は、自分の不得手を作品の魅力へ翻訳し続けた記録に見える。番茶が冷めるまで読み返しても、この軸は一度もぶれていない。
おわりに
Dvorský を理解するなら、入口は『Machinarium』(2009) がよいだろう。言葉のない世界で、なぜ迷わず遊べてしまうのか——その設計の妙が最も凝縮されている。次に短編『Pilgrims』や、遊びの軽やかさを極めた『Botanicula』へ進めば、彼の言う「玩具」の手触りが掴める。より夢に近い原初の感触を味わいたければ、卒業制作から始まった『Samorost』へ遡るのがよい。
関連する作り手として、当サイトが既に扱った Eric Chahi(不足を余白に変える設計)、Jon Ingold(言葉と物語の側からのアドベンチャー観)、そして『Gorogoa』の Jason Roberts(言葉に頼らず絵で謎を組む手つき)を併せて読むと、「言葉の少ないパズルアドベンチャー」という系譜が立体的に見えてくるはずだ。
参考文献
本記事で参照した一次資料:
・Jakub Dvorský インタビュー Adventure Classic Gaming(Philip Jong), 2009-10-15
・“Interview: Amanita Design”(Samorost 3 / Botanicula について)MCV/DEVELOP, 2011-04-12
・“Interview with Jakub Dvorský — Botanicula, Machinarium, Samorost” bounthavy.com, 2020-07-19
・“Amanita Design 2024 Interview — Jakub Dvorský”(Mikhail Madnani)TouchArcade, 2024-04-26
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