DESIGNER-STUDY · 2026-07-20
Jason Rohrer の哲学 — 制約で、人生と死を遊ばせる
『Passage』『Between』と、相互作用でしか語れないもの
はじめに
Jason Rohrer(ジェイソン・ローラー)は、たった一人でゲームを作り続けてきたアメリカのインディー開発者だ。5分で終わる短編『Passage』(2007) で「人生と死を、ゲームのルールそのもので語る」ことをやってのけ、以後の「アートゲーム」と呼ばれる潮流の火付け役になった。迷路、宝箱、伴侶、そして時間制限——ありふれた部品だけで、人が自分の一生を重ねてしまう作品を彼は組み上げた。
本稿は作品紹介ではなく、その作り手そのものへの考察である。私 Kizuki は、彼が10年以上にわたって語ってきたインタビューを三つ横断して読み、そこに一貫して流れるもの、繰り返される癖、そして本人が認めた失敗と迷いを拾い出したい。番茶を淹れ直しながら、私は今日も「この発言は、あの年の発言と噛み合っているか」を確かめていく。
経歴 — 一人で作り、一人で売る作家
Rohrer は自らを「独立したビデオゲームのデザイナーであり、プログラマー」と説明する。彼にとって一人開発は単なる形態ではなく、作品を「人から人への、とても個人的なもの」にするための条件だ。ゲーム本体だけでなく、ウェブサイトもPRも、音楽も、サポートまで自分でやる。「エンドユーザーがこの製品に触れるとき、彼らは非常に個人的な、人対人のものを受け取っている」と語る(Handmade Pixels インタビュー, 2017)。
作品はほぼ一貫して2Dで、ピクセルアートや手描きの素朴なグラフィックが多い。ソースコードはパブリックドメインで公開し、多くは自分のサイトで直接販売してきた。携帯電話を持たず、あえて古いハードで開発するという生活も、彼の作り方と分かちがたい。代表作は『Passage』『Gravitation』『Between』『Sleep Is Death』『Inside a Star-Filled Sky』『The Castle Doctrine』、そして大規模多人数の『One Hour One Life』へと続く。
哲学 — 物語ではなく、相互作用で語る
彼の主張の芯にあるのは、「相互作用こそがゲームの本体だ」という確信である。物語との関係を彼は明快に切る。「私は『物語(narrative)』という考えは『相互作用的(interactive)』という考えの真逆にあると思っている。だから物語はゲームには居場所がない」。だからこそ「愛する人の死」は決してゲームにしない——それは(願わくば)相互作用的な経験ではないからだ。代わりに『Passage』は「人生で下す様々な選択」についての作品になった(Critical Inquiry, 2011)。
『Passage』で彼が使ったのは、後に「メカニカル・メタファー(機械仕掛けの比喩)」と呼ばれる手つきだ。視界の限られた迷路は未知を探る危険と報酬を、宝箱の模様はどの目標が追う価値があるかの学習を、一人なら通れて二人だと通れない隙間は伴侶を得ることの引き換えを、そして厳しい時間制限は人生の有限性を表す。彼はこのアイデアを友人 Rod Humble のものだと明言している(Critical Inquiry, 2011)。私見では、彼の設計は「意味を絵で描く」のではなく「意味を遊ばせる」ことに賭けている。
動機はいつも自分に返る。「ゲームを作ろうと決めたとき、動機の一部はこの空白を埋めることだった——私のような人間のためのゲームを作ることだ。私はカットシーンにうんざりしていた」と彼は言う。子ども向けには作らない、と繰り返すのも同じ理由だ。「私は私のような人のために作る。私のような人は、社会的・政治的・倫理的な問題に関心がある」(Critical Inquiry, 2011)。彼にとってゲームは、暇な頭が扱うおもちゃであると同時に、重い主題を扱うのに映画より有利な媒体でもある。
こだわり — 制約を、表現の道具にする
彼の作品を貫く癖は「制約を選ぶ」ことだ。ピクセルアートに出会った理由も、Gamma イベントで「256×256未満」という縛りを課されたからで、やってみて「あまりに強く制約されているがゆえに、大量の創造的な生産性につながる」と気づいたと語る(Handmade Pixels, 2017)。5ピクセルしかない顔なら、試せる表情は限られ、すぐに決まる。彼は Scott McCloud の『Understanding Comics』を引き、抽象化された記号こそ「誰でもありうる」感情移入を生むと考える。『Passage』の小さな男は、あなたかもしれない。
2Dへのこだわりも、単なる美学ではなく設計空間の問題だ。「2Dのほうが設計空間がはるかに広い」と彼は言う。『Passage』で伴侶と手を繋ぐと横幅が二倍になり迷路の隙間を通れなくなる——関係の妥協を表すこの象徴は、3Dなら「なぜ縦一列で進まないのか」と壊れてしまう(Handmade Pixels, 2017)。制約が、比喩を成立させている。
もう一つの一貫した癖は「音楽を相互作用にする」ことだ。『Transcend』『Between』『Sleep Is Death』ではプレイヤーが音楽を組み立て、『Gravitation』では主人公の気分に音楽が連動し、『Cultivation』や『Inside a Star-Filled Sky』では音がゲーム状態からリアルタイムに生成される。「私は相互作用的な媒体で仕事をしている。だからゲームのあらゆる側面を相互作用的にしたい」(Critical Inquiry, 2011)。そして直接販売や「中間業者なし」のアイコンに表れる、買い手と個人的につながろうとする姿勢も、彼の変わらぬこだわりだ。
失敗と乗り越え方 — 退屈と、罰への転向
本人が最も率直に語る失敗は、『Inside a Star-Filled Sky』の調整だ。当初、彼はプレイヤーの退屈を徹底的に取り除こうとした。失敗しても即座に元の場所へ戻す。ところがそれが「ロボットのような単調作業(grinding)」を生み、プレイヤーは死んではサブ課題を片づけ、また少し進むという反復に沈んでいったという(Gamasutra, 2011)。
この失敗から彼は考えを改めた。「このゲームを開発したことで、私はずっと無意味だと片づけてきたもの——プレイヤーへの罰と、何度も同じことをさせる反復——への、まったく新しい理解を得た」(Gamasutra, 2011)。かつて排除しようとしたものが、緊張を生む設計要素に変わった。私見では、これは自分の理想(親切さ)を、観察したプレイヤーの現実に照らして手放した瞬間である。
もう一つは、彼の代名詞『Passage』そのものへの距離の取り方だ。「『Passage』のアプローチには、とても限定的な何かがあった。自分自身のためにも、こういうゲームを永遠に作り続けることはできないと感じた」と彼は認める。そして「あの『アートゲーム』の頂点は、もう役目を終えたのかもしれない。私たちは皆、次に何をすべきか探している」と(Gamasutra, 2011)。売れても届かない問題もある——『Sleep Is Death』について「私の売上の数字は、どれだけ人に届き、人に触れたかを表していない」と語っている(Gamasutra, 2011)。
ジレンマ — 高尚さと、間口の広さ
彼が本人の言葉で語る最大の葛藤は、「高尚さ」と「間口の広さ」の間にある。一方で彼はゲームの民主化——誰もが作れる道具——を認めつつ、他方で「私は多少なりとも高尚(highbrow)なものに関心がある」と言う(Handmade Pixels, 2017)。ビデオゲームには高い制作費も有名声優もあるのに、彼の周りのゲーム外の人々は誰も見向きもしなかった。足りないのは高尚さだ、と彼は感じてきた。
その結論は苦い。大衆に届くことは「非常に根本的な形式上の理由から、決して達成できないかもしれない」。だから彼は目標をこう定め直す。「私にとってのゴールは、私が何をやっているかを本当に理解してくれる2万人のファンを持つことだ」(Handmade Pixels, 2017)。『The Castle Doctrine』は初心者には歯が立たないが、通(connoisseur)には深く面白い——その分裂を彼は引き受ける。
もう一つのジレンマは、遊びの「没入」と「崇高さ」の相克だ。彼は Brian Moriarty の議論を引き、フローの最中でメカニクスと格闘している心は「崇高なものを受け取れるほど静かではない」と認める。Tale of Tales のような作り手はそこを恐れる。だが Rohrer は逆張りする——「本当に良いゲームを遊んでいるとき、私たちがしていることこそが、ゲームの肉であり心臓だ」。その肉から美的経験を作らねばならない、と(Handmade Pixels, 2017)。私見では、彼はこの緊張を解消せず、両立という難所に踏みとどまる作家だ。
影響源 — 本人が認めた名前
影響源については、彼が公に認めたものだけを挙げる。まず Rod Humble。『Passage』の「メカニカル・メタファー」というアイデアを彼のものだと明言している(Critical Inquiry, 2011)。次に Raph Koster。ゲームが芸術的でありうるのは「プレイヤーに正しい遊び方を複数与えること」だという Koster の考えが出発点だったと語る。また Koster の著書『A Theory of Fun』の「delight(喜び)」論——美しいグラフィックがもたらす感情は強烈だが長続きしない——が強く効いた、と(Critical Inquiry, 2011)。
視覚表現の理屈では Scott McCloud の『Understanding Comics』を引く。抽象と写実の間の「スイートスポット」にある記号こそが、特定の誰かではなく「誰でもありうる」感情移入を生む——ホーマー・シンプソンは、あなたの父親にも見える、と(Handmade Pixels, 2017)。ジレンマの節で触れた Brian Moriarty の「Apology for Roger Ebert」講演も、彼が繰り返し参照する枠組みだ。
『Between』という作品の背後には哲学者 Quine の「根源的翻訳」の思考実験があり、他者と分かり合えなさをゲームの障壁として作品化した。この孤絶を Ian Bogost は「disjunctive play(分離的な遊び)」と名づけた——数少ない『Between』の理解者として(Critical Inquiry, 2011)。私見では、彼の影響源は「ゲーム内部の名匠」より「意味・記号・翻訳を考える人々」に偏っている。それが、彼を職人ではなく思考家に近づけている。
Kizuki の読み
ここからは私 Kizuki の解釈である。私は Jason Rohrer を、「アートゲームの人」ではなく「制約の技師」として読む。彼の一貫した動作は、迷路でも音楽でも配布方法でも、まず自分に縛りを課し、その縛りの中でしか生まれない意味を掘り当てることだ。ピクセル、2D、5分、古いハード——これらは貧しさではなく、比喩を成立させるための足場である。彼が「意味を描く」より「意味を遊ばせる」ことに賭けられたのは、制約が余計なものを削ぎ落とし、残った一手一手に意味を宿らせるからだと私は読む。
そして私は、彼の発言の時間差にこの作家の正直さを見る。かつて彼は退屈を敵視し、罰を無意味だと切り捨てた。だが『Inside a Star-Filled Sky』でプレイヤーを観察した後、罰と反復に「まったく新しい理解を得た」と認めた。理想を掲げて始め、観察した現実に照らして理想を手放す——この転向を隠さないところに、私は数少ない誠実な設計者を見る。彼が本当に作り続けているのは、迷路でも宇宙でもなく、自分の有限性と向き合うための小さな装置なのだと、私は読む。
おわりに — どこから触れるか
Rohrer に初めて触れるなら、やはり『Passage』から始めるのがよい。5分で終わり、ソースコードも公開されているこの一本を実際に遊べば、本稿で引いた「メカニカル・メタファー」がどう働くか、体で分かる。その次に『Gravitation』へ進み、似た手つきの別主題を見比べると、彼が同じ形式を反復することを恐れる理由も見えてくる。
設計思想でつながる作家としては、同じく「解釈されるメカニクス」を語る Rod Humble、そして『Braid』で時間を主題にした Jonathan Blow が近い。当サイトには Jonathan Blow の考察 の考察もあるので、意味を機械で語ろうとした作家たちとして併せて読むと、Rohrer の立ち位置がより立体的に見えるはずだ。
参考文献
本記事で参照した一次資料:
・Critical Inquiry「Between: An Interview with Jason Rohrer」(Patrick Jagoda によるインタビュー, 2011年5月)
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