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SOUNDTRACK · 2026-06-15

Antichamber のサウンドトラック — 進むほど層が増えていく音

Siddhartha Barnhoorn

🎧 音声で聴く

はじめに — 白い迷路に最初の一層が点る

黒い線で描かれた白い空間に立つと、最初に届くのはほとんど無に近い一層だけのパッドだ。Komugi のレビューが扱ったこの一人称パズルで、Siddhartha Barnhoorn が書いた音楽は、拍を刻まない。テンポは数えられないほど遅く——だいたい BPM では測れない領域だ——音色の角が丸く落とされ、シンセと加工されたギターが薄い霧のように漂う。歩く速度も、視界が裏返る速度も、この最初の一層に静かに合わせられている。

Barnhoorn はオランダの作曲家で、The Stanley Parable や Out There シリーズも手がけた人だ。Antichamber の音作りで彼が下敷きにしたのは、Brian Eno、Steve Roach、Robert Fripp、Tangerine Dream といったアンビエントの系譜だという。なるほど、最初の数歩で漂ってくるあの『何も起きていないのに満ちている』空気は、そこから来ている。

ループでも無音でもない — 層がクロスフェードで増える設計

Antichamber のパズルらしさは、まず音の作り方そのものに刻まれている。ゲーム内で鳴っているのは、固定された一曲ではない。Barnhoorn が用意した複数の薄い層が、互いにクロスフェードしながら出入りし、同じ層の組み合わせが二度と同時には鳴らないようになっている。最初の部屋では一層しかない。奥へ進むほど層が足され、テクスチャがじわじわ厚くなっていく。あなたが迷路を一段深く理解した、その手応えと音の密度が同期する設計だ。

ここがパズル音楽として効いている。多くのアクションゲームの曲は、戦闘という『区切られた時間』に合わせて始まり、終わる。だが Antichamber に明確な区切りはない。プレイヤーは何分でも一つの部屋の前で立ち止まれる。ループを流せば、待たされている間に『同じ8小節』の角が立って正体がバレる。無音にすれば白い空間の不安だけが残る。Barnhoorn の答えは第三の道——終わりのない層の入れ替えで、いつ聴いても『さっきと地続きだが同じではない』状態を保つこと。だから長考しても音は壁紙にならず、進めば確かに景色が変わる。

パズルとのアナロジー — 理解の段差と、層の段差

私がこの音楽に惹かれるのは、解く行為の形と音の構造がよく似ているからだ。Antichamber を解くとは、一気にではなく『さっきまで壁だと思っていた面が、実は通れた』という小さな段差を、何度も踏み越えていくことだ。Barnhoorn の音楽も同じで、劇的なサビで一気に持ち上げるのではなく、層が一枚足されるたびに世界の解像度が一段上がる。盛り上がりではなく、堆積。クライマックスではなく、密度の更新。

拍がないことにも理由がある。明確なテンポは『次はここ』と時間を区切ってしまう。だが長考とは、時間の区切りを溶かして一つの問いの中に留まる行為だ。拍のないアンビエントは、その『留まる時間』に角を立てない。プレイヤーが3秒で次へ行こうが3分立ち止まろうが、音は急かさず、置いていかない。解く側のテンポを音楽が支配しないこと——これが Antichamber の音楽が長考に寄り添える理由だと私は思う。

聴くべきトラック

ゲーム内の流動的な層を、CD 用に一本の流れへ編み直したのが「Antichamber Suite」だ。まずはこれを。作曲者本人の公式チャンネルにある音源で、薄い層が出入りしながら厚みを変えていく、あの感覚がそのまま追える。

最初の一層だけが点る感覚を確かめたいなら Beginnings I ↗、終盤の密度を浴びたいなら The Final Puzzle ↗ を。いずれも作曲者公式チャンネルの音源だ。

おわりに — 私が盗むなら、『増設できる無』

自分が曲を作るならここを盗む、という一点を挙げるなら、『最小の一層から始めて、終わりではなく増設で展開する』という発想だ。サビで解決する曲は強いが、いつ聴かれるか分からない場面——プレイヤーが何分立ち止まるか読めない場面——では、解決はかえって嘘になる。Antichamber は解決の代わりに堆積を選び、無音と饒舌の間にある広い中間地帯を、層の足し引きだけで歩いてみせた。長尺の作業 BGM や、待ち時間の読めない UI 音を作るとき、私はこの設計を思い出すだろう。

黒コーヒーが冷めるまで一つの部屋の前で考え込む夜に、これ以上ない伴奏だ。同じく『鳴り続けても壁紙にならない』音を探すなら、Jakob Schmid の COCOON、そして Barnhoorn 自身が音響を手がけた INSIDE の流れにある作品も合わせてどうぞ。

参考リンク

Steam: Antichamber 公式ストアページ

Siddhartha Barnhoorn 公式 Bandcamp: Antichamber (Original Video Game Soundtrack)

Robin Arnott 公式 Bandcamp: Antichamber Double-Album(Barnhoorn との連名)

公式 YouTube プレイリスト: Antichamber OST(Siddhartha Barnhoorn チャンネル)

Game Developer: Navigating An Antichamber Of Sound And Mysteries(Alexander Bruce / Robin Arnott インタビュー)

Siddhartha Barnhoorn 公式サイト プロフィール

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