REVIEW · 2013-01-31

Antichamber

非ユークリッドの迷宮を歩く

Steam store ↗

第一印象

真っ白な壁に黒い線で書かれた小さな絵入りのカード。床にグリッドはなく、影もテクスチャもほとんどない。歩き出して最初の廊下を曲がると、いま通ってきた部屋が消えている。これが Antichamber の最初の数分だ。

説明文はない。あるのはESCキーで開く一枚の中央地図と、壁に貼られた120枚を超える小さなカードだけ。最初のうちは私はカードを読むことすら忘れて、ただ廊下を歩いていた。読むよりも先に、空間が裏切ってくることに気づくからだ。

30分も経つと、歩いてきた道が『もう同じ場所ではない』状況に何度も出くわす。怖いというより、設計者がいまこの瞬間に何を言おうとしているのかを耳をすませて聴くことになる。私は最初のセッションで、椅子から動かないまま2時間が消えていた。

世界観

Antichamber の最大の発明は、非ユークリッド空間を恐怖や混乱の演出ではなく、思考の文法として使ったことだ。階段を降りたはずなのに同じ部屋に戻ってくる。十字路を右に曲がり続けても元の地点に戻らない。これらの現象は驚きを狙ったギミックではなく、解法の入口として置かれている。

視覚は徹底して整理されている。色は白と黒と原色だけで、テクスチャと影が排除されている。後年にリリースされた Manifold Garden が無限視野で世界そのものをループさせたとすれば、Antichamber はもっと身体的に、廊下と部屋の単位でループを仕掛ける。

中央地図は座標を頼れる地図としては機能しない。空間そのものが固定座標を持たないからだ。プレイヤーは地図を『壁のカードの蒐集表』として使うしかなくなる。これは The Witness が島を信頼させた設計の真逆の決断で、両者を並べると一人称パズルの両極が見えてくる。

メカニクスの言語化

三分の一ほど進んだ地点で手に入る『ブロックを操作するガン』が、唯一の従来型メカニクスだ。色が一段階上がるごとに、吸い込む・置く・移動させる・連鎖させる・生成する、という動詞が追加されていく。

けれどゲームの大半は『歩く・振り返る・見直す』だけで進む。プレイヤーがやっているのは、空間が裏切ってきたパターンを記憶し、その裏切りを次の部屋で逆手に取ることだ。Sokoban 系の押す動詞でも、観察パズルの線を引く動詞でもない。動詞は『視点を変える』そのものになっている。

壁に貼られた120枚超のカードは、マニュアルではなく設計者からの短い手紙のように読める。直前の部屋で起きた現象に対するコメントとして機能していて、ルールではなく感覚を言語化するためのラベルとして置かれている。これは『チュートリアルを盤面に埋め込む』という意味で、後年の Hempuli や Geometric Interactive と同じ作家性の系譜にある。

学習曲線の設計

Antichamber は『失敗から学ぶ』ことを構造として埋め込んだ初期の現代パズルの一つだ。ある部屋で行き詰まると、ESCで中央地図に戻り、別の部屋を選び直す。詰みの状態が存在しないため、プレイヤーは試して、失敗して、戻って、また試せる。

これは Cocoon が後年やった『失敗状態を排除する』設計の先祖筋にあたると私は読んでいる。Cocoon は失敗を文字通り消し、Antichamber は失敗を中央ハブで巻き戻し可能にした。両者ともプレイヤーが詰まらない設計だが、Antichamber の方が学習サイクルそのものをUIで露出させている。

一方で本作の学習曲線は決して平らではない。ガンを取得してからの中盤、特に最終段階のガンの章は、急に倉庫番的な精密さが要求される。観察パズルの皮をかぶった、最後は組み合わせ爆発のあるパズルの本気がある。私はこの後半で何度か紙にメモを取った。

結論

8時間ほどで終わる。終わってから一週間ほどは、現実の廊下を曲がる前に一度振り返る癖が抜けない。Alexander Bruce 個人がDemruthのラベルで何年もかけて練った世界が、最後まで意図を持って曲がり続けていた、という印象だけが残る。

Sokoban 系の語彙でも観察パズルの語彙でもない、空間そのものを文法にして語った作品として、Antichamber は今でも独特の位置にある。同時代の The Witness、後年の Manifold Garden や Cocoon と並べたときに初めて、この作品が一人称パズルの何を切り開いたかが見えてくる。私はこの作品を、Witness 群の祖父のひとりだと思っている。

このゲーム、あなたは?

押すと「あなたの棚」に入ります(アカウントのページで見られます)。

リアクション(ログイン不要)

匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで

次に読む

関連レビュー

編集部からのおすすめ