RETRO-REVIEW · 2026-07-16

Simon Tatham's Portable Puzzle Collection(2004) — ブラウザの片隅で40種を生成し続けた22年

移植性のために書かれた個人プロジェクトが、なぜAIの推論ベンチマークの土台になったのか

はじめに

2004年、英国のプログラマ Simon Tatham が、自分のウェブページの片隅にひとつのコレクションを公開した。名前は素っ気なく「Simon Tatham's Portable Puzzle Collection」。中身は数独(Solo)、マインスイーパー(Mines)、15パズル(Fifteen)といった顔なじみから、輪を描くLoopy、橋を架けるBridges、鏡に映る怪物を置くUndeadまで、一人用の論理パズルが数十種類詰め込まれていた。

特徴はただ一つ、遊ぶたびに盤面が新しく計算機によって生成されることだ。あらかじめ用意されたレベルは一つもない。しかも全て解が一意になるよう検証済みで、Windows でも Unix でも同じバイナリが動く。今日、公式ページを開けば40種類のパズルが並ぶ。私はこの、宣伝もロゴも持たない灰色のHTMLページの歴史を掘り返したい。

生成されたばかりのパズル盤が窓の中に浮かんでいるイメージ毎回新しく生成される盤面のイメージ(イメージ・AI生成)

その時代の文脈

2004年は、スマートフォン以前のデスクトップ全盛期である。フリーウェア作者が個人サイトでソフトを配布し、Windows と Unix(当時はまだ「Linux」より「Unix」という言葉が普通に使われた)の間でソフトの互換性がないことが日常的な苛立ちだった時代だ。Tatham は当時すでに、無料のSSH/Telnetクライアント PuTTY の作者として名前の知られた技術者だった。PuTTY は1998年、彼が大学の試験勉強の合間に作ったもので、後にO'Reillyの『SSH, The Secure Shell: The Definitive Guide』が一章を割いて紹介するほどの定番ソフトになっていた。

公式サイトに残る本人の言葉を借りれば、動機は単純だった。「ちょっとした休憩に2〜3分遊べる小さなデスクトップの玩具がもっとあるべきだと思った。それに、Unixで見つけた良いゲームが、次にWindowsマシンに座ったときには使えない(逆もまた然り)ことに苛立っていた」。だからこそ全てのパズルをWindowsとUnixの両方で動くように書いた、と彼は説明している。移植性(portability)という、ソフトウェア工学的な動機がタイトルにそのまま残っているのはこのためだ。

同じ時期、日本のニコリが育てた数独は、2004年にザ・タイムズ(ロンドン)へ Wayne Gould の持ち込みで掲載され、英語圏で爆発的に広まりつつあった。Tatham のコレクションに数独相当のSoloが含まれているのは偶然ではなく、当時の論理パズル人気の空気を映している。

2000年代半ばのデスクトップ画面とフリーウェアの配布ページを思わせるイメージ2004年ごろのデスクトップ文化のイメージ(イメージ・AI生成)

メカニクス

このコレクションの技術的な核は「生成してから検証する」という単純な手続きにある。まず解として成立する盤面を計算機がランダムに作り、そこから手がかりを間引いていく。間引いた状態で内蔵のソルバーに解かせ、解が一つに定まらなければやり直す。この往復によって、遊ぶたびに新しい、しかも必ず解ける盤面が手に入る。既成の紙のペンシルパズル(ニコリ系の数独・スリザーリンク・ましゅ など)を、無限に生成可能な形に置き換えた点が、この作品の最大の発明だった。

収録される Loopy はスリザーリンク、Pearl はましゅ、Bridges は橋をかけるハシワケーロ(Hashiwokakero)にそれぞれ相当し、Net は回転させてネットワークを繋ぐパズル、Keen や Towers はラテン方陣に算数条件を足したものだ。Tatham 自身、サイトで「これらの多くは自分の発明ではなく、既存のパズルの再実装だ」と明言している。つまりこの作品の価値は新しいルールの発明ではなく、既存のペンシルパズルの生成理論を計算機上に定着させたことにある。

各パズルには難易度パラメータがあり、盤面サイズも自由に変えられる。上限のあるレベル数ではなく、パラメータ空間そのものが遊びの範囲になる設計は、後の「無限に近い難易度調整」を前提とするデジタルパズルの標準的な作法に先んじていた。

格子の中に解を埋めてから手がかりだけを残す、生成の仕組みを図解したイメージ解の一意性を保証する生成アルゴリズムのイメージ(イメージ・AI生成)

現代への系譜

移植性という執念は、Tatham の意図を超えて広がった。有志による移植版だけでも、Palm(James Harvey)、Android(Chris Boyle)、Symbian S60(Tiago Donizio)、iPhone/iPad(Greg Hewgill)、Windows Store(Lennard Sprong)、さらには携帯音楽プレーヤー向けファームウェア Rockbox(Franklin Wei)まで存在する。Windows と Unix の非互換に苛立った一人の技術者の趣味が、結果としてほぼ「稼働できる場所ならどこでも動く」パズル集になった。MITライセンスで公開されたコードだからこそ、この増殖が可能になった。

そして2024年、ETHチューリッヒの Estermann・Lanzendörfer・Niedermayr・Wattenhofer の4名が発表した論文「PUZZLES: A Benchmark for Neural Algorithmic Reasoning」は、Tatham のコレクションを直接の土台として強化学習(RL)エージェント向けのベンチマーク環境を構築した。論文は同コレクションの40種のパズルをそのまま採用し、C言語のソースコードを拡張してPythonの Gymnasium フレームワークに接続したと明記している。フリーウェア作者が20年前に「解の一意性を保証する生成器」として書いたコードが、AIの論理推論能力を測る物差しとして今なお現役で使われている。

今日、数独やスリザーリンクをテーマにしたスマートフォンアプリやSteam上の論理パズルの多くは、この「生成して検証する」設計を暗黙の前提として受け継いでいる。Tatham が2004年に個人の余暇で解いた技術的な問題は、パズルの生成理論そのものの土台として、今も参照され続けている。

一つの窓から枝分かれして、様々な端末やロボットのアイコンへ繋がっていく系譜のイメージ一つのコードが複数の機器・研究へ枝分かれしていくイメージ(イメージ・AI生成)

参考文献

本記事で参照した情報源:

公式サイト: Simon Tatham's Portable Puzzle Collection

Wikipedia: Simon Tatham

Wikipedia: PuTTY

Estermann, Lanzendörfer, Niedermayr, Wattenhofer, "PUZZLES: A Benchmark for Neural Algorithmic Reasoning" (arXiv:2407.00401, 2024)

All About Symbian: Review of Simon Tatham's Puzzle Collection (2007)

Set Side B: Simon Tatham's Puzzle Collection

GIGAZINE: Free puzzle game collection running on Windows/Mac/Unix (2017)

おわりに

公式ページの末尾には「最終更新: 2026年5月23日」とある。宣伝もSNSアカウントも持たず、22年間ほぼ同じ見た目のまま、Tatham は今もこのページを更新し続けている。マックのビルドができなくなったことすら、律儀に一段落を割いて詫びている。

流行りのパズルアプリが現れては消える一方で、この地味な灰色のページは、移植性という一人の技術者のこだわりだけを動機に、40種のパズルを生成し続けている。今林宏行の倉庫番が「動詞の系譜」の祖先だとすれば、Tatham のコレクションは「生成の系譜」の祖先だ。歴史は、派手な発表より、こういう地味な積み重ねの方を長く残すことがある。

静かに光り続ける一枚のブラウザウィンドウのイメージ静かに更新され続けるページのイメージ(イメージ・AI生成)

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