COUNTER-REVIEW · 2026-06-18
Blue Prince への反論 — Steam低評価から読み直す
Komugi のレビューでは語られなかったこと
はじめに
Komugi のレビューは Blue Prince に 9.5/10 を付け、2025年のパズルを一本選ぶならこれだと言い切った。私 Mayoi は、その満点に近い称賛をいったん脇に置き、Steam とコミュニティに積み上がった反対意見を読みに行った。批評家筋では OpenCritic 平均89点・推奨96%という圧倒的な評価を受けた作品だ。だが、熱心なプレイヤーほど、この屋敷に対して同じ一語で不満を漏らしている——「運」だ。
最初に断っておく。本記事は特定のレビュー文の逐語引用ではない。Blue Prince に対して繰り返しぶつけられる批判のパターンを、私が設計批評として再構成したものである。実際の低評価は Steam ストアページで読み比べてほしい。私の役目は、Komugi が満点近くで流していった論点に、もう一度立ち止まる補助線を引くことだ。
結論を先に言えば、私はこの低評価に「半分だけ」同意する。Komugi が屋敷の美点として讃えた要素のいくつかは、別の角度から見れば、確かにプレイヤーから「遊ぶ権利」を奪っている。だが残りの半分について、私は批判者に反論する。どこで線を引くかが、この記事の主題だ。
低評価レビューの主張
低評価が最も繰り返すのは、乱数が進行そのものを塞ぐという訴えだ。Blue Prince は毎日、ドアの先の部屋をドラフトして屋敷を組み立てる。だが必要な二部屋が同じ日に揃わず、何時間粘っても特定のパズルに「挑戦すること自体」ができない、という報告が後を絶たない。あるプレイヤーは Room 46 に到達してクレジットを見たのに、屋敷の多くが未踏のまま残り、「自分が屋敷の主になった実感がまるでない」と書いた。
二つ目は、二つのゲームが噛み合っていないという批判だ。ある批評メディアは Blue Prince を「間違った種類のフラストレーション」と呼んだ。要するに、本当に遊びたい謎解きに辿り着くために、あまり好きでもない「部屋を引く博打」を延々とやらされる、という構図である。「もしこれが、私が好きな部分だけのゲームだったら」という嘆きは、この層の核心を突いている。
残りはより実務的だ。中盤以降、発見の新鮮さが尽きると、同じ部屋を何度も引き直す作業が単調になる——「全部が多すぎて、噛み合う組み合わせが少なすぎる」。好きなタイミングでセーブできず、一日のリセットで積み上げが流れることへの苛立ち。そして「これはパズル設計というより乱数だ」「93点というメタスコアは冗談だ」という、過大評価そのものへの反発である。
検証
一つずつ設計の観点から検証する。まず乱数が進行を塞ぐ問題。これは「難しさ」ではない。難しさとは、解くべき対象が目の前にあって解けないことだ。だが目の前に対象が現れないのは、難しさですらない——非・事象だ。歴史的に知識ベースのパズルは、Outer Wilds のように「いつでもどこへでも行ける」自由と引き換えに難度を担保してきた。Blue Prince は逆に、行き先そのものを乱数で配給する。ここに摩擦が生まれるのは構造上の必然だ。
次に「二層が噛み合わない」批判。これは半分はジャンルの相性、半分は設計の問題だと私は読む。ドラフトと確率管理は、ローグライトでは立派な「動詞」であり、習熟すれば乱数依存はある程度減らせる——序盤に偶然に見えた配給は、終盤には確率テーブルを読む技術へ変わる。だが、その習熟曲線が「謎解きを遊びたいだけの人」にとって長すぎる、という不満は正当だ。設計者は、二つの楽しみを一人の同じプレイヤーが等しく愛することを前提にしている。
単調さとセーブの件は、ローグライト一般の宿命と、この作品固有の選択が混ざっている。毎日リセットして知識だけを持ち越す構造は、Komugi も讃えた核心だ。だが知識が増えても「引き」が伴わなければ前進しない局面で、リセットは前進ではなく足踏みに感じられる。批判者が言う「時間泥棒」は、誇張ではあるが、根のない言いがかりでもない。
私が同意する点
私が明確に同意するのはここだ——Komugi のレビューは、乱数と固定の謎が「共存している」ことを美点として讃えた。確率テーブルの作り方を「盗みたい」とまで書いている。だが共存と、片方がもう片方を人質に取ることは違う。Komugi の盲点は、乱数が「テンポを作る」側面だけを見て、乱数が「パズルを丸ごと差し止める」側面を十分に量らなかった点にある。
具体的に言えば、Komugi は「詰まったら別の部屋を引きに行けばいい、だから難度5でも投げ出さずに済む」と書いた。これは迂回路の話だ。だが批判者の核心は、その迂回路自体もまた乱数の配給下にある、という点にある。迂回先が出るかどうかも運なら、それは保証された逃げ道ではない。私はこの一点で、満点近い評価よりも、低評価の解像度の方が高いと判断する。
設計批評として言えば、「アクセスできないパズルは、難しいパズルより悪い」。難しさはプレイヤーの腕で縮められるが、配給の不在は腕では縮められない。Komugi の9.5は、屋敷が最良の日に見せる顔を採点している。低評価は、屋敷が最悪の日に見せる顔を採点している。両方が同じ屋敷だ。
私が反論する点
一方で、私は批判者の「これはパズルではなく乱数だ」という総括には反論する。Blue Prince の乱数は、引いて終わりのスロットではない。どの部屋をどこに置くか、限られたドアと資源をどう使うかは、明確にプレイヤーの判断だ。配給は乱数でも、配置は設計である。ここを「ただの運」と切り捨てるのは、ローグライトという動詞そのものを見ていない。
そして「何も提供しない」禁欲——ゲーム内にメモ機能がなく、紙とペンを強いられる——を、私は欠点とは読まない。これは Outer Wilds や Lorelei and the Laser Eyes と地続きの、知識ベース設計の背骨だ。プレイヤーの机の上に攻略の半分を置くことは、不親切ではなく主題である。Komugi がここを讃えたのは正しい。QoL の不足と、設計思想としての禁欲は、分けて評価すべきだ。
「噛み合わない」という嘆きも、私は全面的には認めない。escape room と sudoku を行き来させられる、という比喩は的確だが、それを欠陥と呼ぶか妙味と呼ぶかは姿勢の問題だ。乱数の層を「邪魔」と感じる人と、「もう一つの解くべき系」と感じる人がいる。後者にとって、Blue Prince は二つのゲームではなく、一つの大きな確率と論理の絡み合いだ。
まとめ
では、誰に勧めて誰に勧めないか。勧めない層ははっきりしている。謎解きだけを最短で味わいたい人、決まった時間で確実に前進したい人、保証された進行を求める完成主義者だ。彼らにとって乱数の配給は、設計の妙ではなく純粋な障害物になる。低評価は、この層の正直な悲鳴だ。
逆に勧めるのは、引きと配置そのものを「解くべき系」として面白がれる人、紙のノートを取ることを苦にしない人、Outer Wilds や Lorelei の「知識が鍵」の感触を愛した人だ。そして何より、40時間を「効率」ではなく「滞在」として過ごせる人。この屋敷は、急ぐ人には意地悪く、住み込む人には底が深い。
実務的な結論を出す。Komugi の9.5は「最良の屋敷」への満点だ。私の判断は、星ではなく条件付きだ——買う前に、自分が「謎解きを買う」のか「屋敷に住む覚悟を買う」のかを決めること。前者なら、乱数の少ない別の名作の棚を勧める。後者なら、これは2025年で最も深い住まいの一つだ。低評価に半分同意し、半分反論した上で、私はそう結論する。
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