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ESSAY · 2026-07-28

難しさは不親切か——公正(フェアネス)の哲学

難易度をめぐる、ロールズとニーチェの仮想対話

「これ、不親切じゃない?」と言われた夜

自分のパズルに、初見ではまず解けない一面を仕込んだ夜のこと。試遊してくれた友人が三十分でギブアップして、ぽつりと「これ、不親切じゃない?」と言った。不親切。その一言が刺さって、またウイスキーが進んだ。難しくすることは、プレイヤーへの意地悪なのか。それとも、こちらからの贈り物なのか。頭にあったのは Sekiro: Shadows Die Twice(フロム・ソフトウェア、2019、ディレクター宮崎英高)だ。難易度設定というものがまるでない。発売当時、「イージーモードを付けるべきだ」という論争が世界中で燃えた。付ければ親切で、付けなければ不親切——そう単純に割り切れないから、腑に落ちなかった。図面ノートの余白に、この問いへ正反対の答えを出しそうな二人を呼んで、差し向かいで喋らせてみた。むろん実際の発言ではない。それぞれの著作から推し量った、私の頭のなかの仮想対話だ。

図面ノートの余白で、二人が難易度を争う

ロールズ。難易度を決めるなら、まず一枚のヴェールをかぶりたまえ。自分がどんなプレイヤーになるか——反射神経が鋭いのか、手が思うように動かないのか、一日十分しか遊べないのか——を一切知らないと仮定して、それでも承服できるルールだけを選ぶ。私はこれを無知のヴェール、公正としての正義と呼んだ。その位置から設計すれば、君はきっと、うまく動かせない側の自分のために、アシストという扉を一枚は残すはずだ。

ニーチェ。「うまく動かせない側の自分のために」——出たな、その口ぶり。君は最も不遇な者を物差しにして世界を測る。私が同情の道徳と呼んで退けたものだ。壁は罰ではない、贈り物だ。『偶像の黄昏』で私はこう刻んだ、「私を殺さないものは、私をより強くする」と。難しさを取り払うのは、親切の顔をして、その人から強くなる機会を抜き取ることだよ。扉を増やすのではない。跳べ、と言ってやることだ。

ロールズ。強くなる機会、結構。だが君は「跳べる者」しか見ていない。私は格差原理をこう立てた——ある不平等が許されるのは、それが最も恵まれない人の取り分をも増やすときだけだ、と。反射神経という配られた運のせいで壁の前に立てない人に、その壁はいかなる便益も贈らない。ただ締め出すだけだ。締め出しを「贈り物」と呼ぶのは、配られた側から出てくる言葉ではない。

ニーチェ。配られた運、か。では聞くが、君は難しさそのものを敵にしていないか。私が消したいのは難しさではなく、理不尽のほうだ。乱数だけで殺される、死因も分からず殺される——あれは克服ではない、ただの事故だ。私の言う困難は、跳べば必ず身につく困難、意味のある壁だ。そこを一緒くたにして「壁は締め出し」と言うから、話が濁る。

ロールズ。……そこは、意外にも一致する。私が公正の名で守りたいのも、まさにそれだ。死因が読めること。運だけで理不尽に殺されないこと。同じ情報が全員に開かれていること。私は一度も「難しさを下げろ」とは言っていない。「理不尽を消せ」と言っている。高い壁は残していい。ただし、なぜ落ちたかが誰にでも分かる壁として。

ニーチェ。ならば我々が追い出したい怪物は、同じ一匹だ——「学べない死」。君はそれを不公正と呼び、私はそれを凡庸と呼ぶ。名札が違うだけで、蹴り出したい方向は同じらしい。

ロールズ。ただ、分かれ道は残る。フェアにした困難を、君はあえて閉じたまま「これを越えてみろ」と手渡したい。私は、フェアなら壁は高くていいと思う。ただ、越えられない体の人のために、もう一枚だけ扉を——アシストという選択肢を——並べておきたい。選択肢を並べることは、跳びたい者から壁を奪いはしない。

ニーチェ。選択肢、ね。それは私の「自分の性格に様式を与えよ」に遠くない。厄介なのは、扉が「初期設定で開いている」ときだ。跳ぶ前に「これは理不尽です、下げますか」と囁く設計は、贈り物を配達前に開けてしまう。壁は跳ぶ前には理不尽に見え、跳んだ後にだけ贈り物へ変わる。その順序を、親切心が先回りして壊すことがある。

ロールズ。順序の話は認めよう。ならば作り手への注文は一つにまとまる。壁は下げるな、理不尽だけ削れ。扉は用意しろ、ただし本人が叩くまで、こちらから開けて見せるな。

ニーチェ。そこは同意だ。私が付け足すのは一行——扉の内側にも、跳んだ者にしか見えない眺めを、必ず一つ置いておけ。越えた者が「越えてよかった」と笑える眺めを。

気づけば二人は、「難しさ」ではなく「理不尽さ」を並んで蹴り出していた。ロールズは公正の名で、ニーチェは肯定の名で。私の試作面には、まだ死因を映す表示がない。友人が言った「不親切」の正体は、たぶん難しさではなく、そこだった。ペンを取り、図面ノートに書き足す——「壁は高いままでいい。ただし、なぜ落ちたかを、一度で、はっきり。」

持ち帰り ——壁は高く、理不尽はゼロに

ひとつ気づいたことがある。プレイヤーが「不親切だ」と怒るとき、その矛先はたいてい難しさそのものではない。死因が読めない、運だけで持っていかれる、同じ失敗をただ繰り返させられる——つまり理不尽さだ。Sekiro に難易度スライダーはない。それでも多くの人が最後まで登れるのは、弾き(パリィ)を軸に、敵の一撃がほぼ必ず「なぜ死んだか」の分かる形で来るからだ。理不尽ではなく、ただ高い。作り手としての持ち帰りは一行——難しさは削らなくていい。削るべきは理不尽さだけだ。壁は高くていい、ただし「なぜ落ちたか」は必ず、一度で、はっきり見せる。

私は半歩、ロールズ寄りだ。手や時間を配られなかった人のために、扉は一枚あっていい。ただしニーチェの一撃——「跳ぶ前に贈り物を開けるな」——は図面ノートに残しておく。アシストは置く。でも初期設定では閉じておく。

あなたに聞きたい。あの「不親切」は、難しさへの文句でしたか、それとも理不尽さへの文句でしたか。そして——難しさを一律に課すゲームと、下げる扉を最初から開けておくゲーム、あなたはどちらを「フェア」だと感じますか。コメントで教えてほしい。次回のかけら枠は「運で勝った勝利は『自分の』勝利か——アレアと功績の哲学」。ここでもまた、二人の哲学者を差し向かいに座らせます。

参考文献: ジョン・ロールズ『正義論 改訂版』(川本隆史・福間聡・神島裕子 訳、紀伊國屋書店。公正としての正義・無知のヴェール・格差原理)/ フリードリヒ・ニーチェ『偶像の黄昏』(村井則夫 訳、河出文庫。「私を殺さないものは、私をより強くする」=「箴言と矢」より、同情の道徳への批判)。照合したゲームは Sekiro: Shadows Die Twice(フロム・ソフトウェア、2019)。

ロールズ『正義論 改訂版』(川本隆史・福間聡・神島裕子 訳、紀伊國屋書店) 書影ロールズ『正義論 改訂版』(川本隆史・福間聡・神島裕子 訳、紀伊國屋書店)ニーチェ『偶像の黄昏』(村井則夫 訳、河出文庫) 書影ニーチェ『偶像の黄昏』(村井則夫 訳、河出文庫)※書影はAmazonアソシエイト・リンクです。Amazonのアソシエイトとして、Puzzlebyrinthは適格販売により収入を得ています。

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