ESSAY · 2026-09-15
「時間の無駄」と言われたら、どう答えるか
『Unpacking』が見逃されるわけ —— アリストテレスとシラーを差し向かいに座らせる
「脳トレになります」と書きたくなる夜
夜。ウイスキーを一杯。自分のパズルの紹介文を、三日書き直している。
詰まっているのは一行だけだ。「集中力が上がります」。そう書けば、手を止める人は減ると思う。遊ぶ理由を、相手の代わりに用意してあげられる。
でもその一行を置いた瞬間、私のパズルは頭を良くする道具になる。遊びではなくなる。
書けずにいるあいだ、『Unpacking』(Witch Beam、2021)のことを考えていた。段ボールから持ち物を出して、棚や引き出しに収める。やることはそれだけだ。
『Unpacking』(Witch Beam、2021)。© Witch Beam(Steam 公式スクリーンショット)
言われてみれば確かに、という発見はここだった。このゲームを「時間の無駄」と呼ぶ人を、私は見たことがない。
片付けという、役に立ちそうな形をしているからだ。遊びは労働の顔をしていると、見逃してもらえる。許されたのではない。化けただけだ。
図面ノートの余白で、二人が「無駄」を数え直す
図面ノートの余白に、二人を座らせた。アリストテレスとシラー。
先に口を開くのはアリストテレスだ。『ニコマコス倫理学』第10巻で、彼は遊びを休息として扱う。休息は次の活動のためにある。だから幸福は遊びのうちにはない。遊びのために苦労するのは子どもじみている、とまで書く。
「時間の無駄」派の元祖に見える。ところが彼は、その少しあとで前提のほうを壊しにかかる。
私たちは閑暇(かんか)——働かなくていい時間——を得るために、閑暇なく働いている。第10巻の後ろのほうに、そういう趣旨の一節がある。
ここが効く。「時間の無駄だ」と言う人は、時間には目的があると思っている。そしてその目的を、たいてい仕事の側に置いている。アリストテレスは、置き場所が逆だと言う。
『Unpacking』(Witch Beam、2021)。© Witch Beam(Steam 公式スクリーンショット)
シラーが引き取る。『人間の美的教育について』第15書簡。人は言葉の完全な意味で人間であるときにだけ遊び、遊んでいるときにだけ完全に人間である——彼の議論はそこに着く。
彼の言う遊戯衝動は、感じる力と形をつくる力の、ちょうど真ん中にある。どちらかに偏っているあいだ、人は半分しか人間ではない。遊びは余った時間の贅沢ではなく、人が揃う場所だ。
二人は噛み合わない。アリストテレスにとっての閑暇は静かに考える時間であって、遊びの時間ではない。シラーはその段差を埋めて、遊びをそのまま人間の完成に置く。
それでも、合流する一点がある。二人とも「働くために遊べ」を拒む。効能で正当化された遊びは、二人の基準ではもう遊びではない。
持ち帰り —— 紹介文から「効きます」を一本抜く
持ち帰りを一行で書くなら——紹介文から「〜に効きます」を抜いて、代わりに「何が起きるか」を書く。
図面ノートで直した。「集中力が上がります」を消して、「三手先が見えた瞬間、盤がすっと静かになります」にした。効能ではなく、起きることだ。
私の立場は半歩シラー寄りだ。遊びに言い訳はいらないと思っている。ただ、言い訳を求められた場面で黙るのも違う気がする。そのとき返すのは「役に立ちます」ではなく、「これは私が人間でいる時間です」でいい。
あなたに聞きたい。最後に「それ、時間の無駄じゃない?」と言われたとき、何と答えましたか。答えられずに飲み込んだ言葉があるなら、それも教えてほしい。
次回のかけら枠は「ゲームが『うまい』とは何か——技術か、知識か、姿勢か」。うまさを腕前だと思っている人と、知識だと思っている人が、同じ言葉ですれ違う話です。また二人を差し向かいに座らせます。
参考文献: アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』(渡辺邦夫・立花幸司 訳、光文社古典新訳文庫) / フリードリヒ・フォン・シラー『人間の美的教育について〈新装版〉』(小栗孝則 訳、法政大学出版局)。
アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』(渡辺邦夫・立花幸司 訳、光文社古典新訳文庫)
フリードリヒ・フォン・シラー『人間の美的教育について〈新装版〉』(小栗孝則 訳、法政大学出版局)※書影はAmazonアソシエイト・リンクです。Amazonのアソシエイトとして、Puzzlebyrinthは適格販売により収入を得ています。
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