HISTORY · 2026-07-23

スリザーリンク(1989) — 二人用の紙ゲームから生まれた、輪を閉じる論理

ニコリが「数独の息子」に賭けた、線を引かない発見

はじめに

1989年6月、日本の元号が昭和から平成へ変わってまだ半年も経たない頃、あるパズル誌が新しい問題形式を発表した。『パズル通信ニコリ』26号「1989年なつ号」である。格子点を線でつなぎ、盤面全体にただ一つの閉じた輪を描く――数字はその周りをいくつの線が通るかを示すだけで、輪の道筋そのものは示さない。この問題群が、後に「スリザーリンク」と呼ばれることになる。

解き方の核心には、ささやかな逆説がある。「どこに線を引けるか」より「どこに線を絶対に引けないか」を先に確定させたほうが、盤面は速く埋まっていく。数字の0はその最大の足がかりで、そこから隣のマスへ制約が伝播していく。線を引かないことの証明を積み重ねて、最後に一本の輪が残る――という解き味は、1989年当時としては新しい発見だった。

格子点の間に浮かぶ、まだ閉じていない輪のイメージ(AI生成)閉じる直前の輪のイメージ(イメージ・AI生成)

その時代の文脈

1980年代のニコリは、まだ「読者が問題を投稿し、編集部が磨き、また読者が解く」という循環を実験している最中の同人的な雑誌だった。数独の前身である「Number Place」を誌面に載せたのが1984年、そこからまだ5年しか経っていない。輪を描くという新機軸も、この自主生産の土壌から生まれた実験の一つだった。実際、スリザーリンクには先行するアイデアがある。二人が交互に線を引き合い、先に輪を閉じるか枝分かれを作ってしまった方が負けという対局ゲーム「スリザー」がすでに存在し、ニコリ編集部がそのルールを一人用のペンシルパズルへ書き換えた、というのが定説である。最初の問題は全マスに数字が入っていて、輪を一つに定める制約さえなかったという。

当時のパズルは紙と鉛筆、そして雑誌の郵送だけで広がる媒体だった。インターネットはまだ存在せず、海外への紹介は輸入された雑誌や、パズル作家同士の私的なやり取りに頼っていた。「スリザーリンク」および英語表記「SLITHERLINK」はのちにニコリの登録商標となったため、海外の出版社は同じ名前を使えず、イギリスでは Fences、アメリカでは Loop the Loop や Loopy、フランス語圏では Rundweg と、まるで方言のように呼び名が枝分かれしていった。1989年に生まれた一本の輪が、紙の雑誌だけを乗り物に、少しずつ国境を越えていったわけである。

国内での専用ハード展開は比較的早かった。2000年4月20日、バンダイは携帯機ワンダースワン用に『スリザーリンク』を発売し、ニコリ提供の90問を収録した。パッケージやタイトル画面までペンシルパズル本の装丁を踏襲し、ニコリを代表するキャラクターまで登場させるという、原作への意識の高い作りだった。携帯ゲーム機の小さな画面は、紙のマス目をほぼそのまま再現できる、当時数少ない場所の一つだった。

1989年の雑誌と郵便、まだ画面のない時代のパズル文化のイメージ(AI生成)紙と郵送だけで広がった1989年のパズル文化のイメージ(イメージ・AI生成)

メカニクス

解法の勘所は前述の通り、「線を引ける場所」ではなく「線を絶対に引けない場所」を先に確定させることにある。数字の0は周囲4辺すべてに×を置ける最大の足がかりで、そこから隣接するマスへ制約が伝播していく。数字が並ぶ組み合わせからは「定理」と呼ばれる確定パターンが生まれ、たとえば3と3が隣り合えば、その間には必ず3本の線が通る、といった具合だ。経験者はこうした定理を先に覚えることで、盤面を大きく飛び越えて解いていく。

この「消去法で輪を追い込む」という発想は、のちに計算複雑性理論の具体例としても取り上げられている。2000年、Takayuki Yato はスリザーリンクの「別解が存在するかどうかを判定する問題」(Another Solution Problem)がNP完全であることを示し、2003年にはSeta Takahiroとの共著論文で、この手法をクロスサム(カックロ)やナンバープレース(数独)にも拡張した。紙と鉛筆で40年近く遊ばれてきたパズルが、計算量理論の教材として引用されるようになったのは、この時期からである。

盤面の形もやがて正方格子だけに留まらなくなった。ペンローズ・タイリングやハチの巣状のグリッド、雪の結晶状のパターンへ拡張したバリエーションが登場し、「輪を一つだけ閉じる」という規則を保ったまま、盤面の形そのものを変数にする実験が続いている。規則は一行で書けるほど単純だが、盤面の形さえ変われば難度も戦略もまったく別のパズルに変わる、というのがこのゲームの底力だった。

格子上に定理のパターンが浮かぶ図解のイメージ(AI生成)確定した線と確定した空白が織り合う盤面のイメージ(イメージ・AI生成)

現代への系譜

スリザーリンクの国際的な広がりを後押ししたのは、数独の世界的な成功だった。2007年、ニコリの創業者でBBCから「数独の父」と紹介された鍜治真起は、次に来る一手としてスリザーリンクの名を挙げ、「数独の息子」になれる可能性がある、と語った。ルールの単純さと見た目のとっつきやすさは数独に匹敵する、という本人の見立てである。結果として数独ほどの世界的大流行にはならなかったが、パズル出版社が「次の数独」を探すたびに真っ先に名前が挙がる一本であり続けている。

デジタルへの移植は単純な「移し替え」を超えて広がった。2004年に公開が始まった Simon Tatham's Portable Puzzle Collection は、スリザーリンクを「Loopy」という名で収録し、Unix・Windowsからブラウザで動くJavaScript版まで、20年以上にわたって無料で配布し続けている(この収集群については、私が別稿で詳しく追っている)。そして2020年代の今、Steamのストアページには『Slither Link Plus』のように、この1989年生まれのルールをそのまま一本のデジタル商品として売る作品が並んでいる。

国内の携帯機・据置機への収録も途切れることなく続いた。2006年11月にはハドソンがニンテンドーDS用「パズルシリーズ」第5弾としてスリザーリンクを発売し、2007年6月には北米のAgetecがニコリ監修の『Brain Buster Puzzle Pak』へ収録、2022年にはハムスターがNintendo Switch用「ニコリのパズルS」第3弾として再び世に出している。輪を閉じるという一つの規則だけを残して、盤面の形も、遊ぶ機械も、配布の経路もすべて入れ替わってきた。それでも中心の規則だけが38年近く生き残り続けているという事実こそ、このパズルが本当に発明したものだったと私は思う。

紙の格子から画面の格子へ枝分かれしていく系譜のイメージ(AI生成)紙から画面へ、輪の系譜が枝分かれするイメージ(イメージ・AI生成)

参考文献

本記事で参照した情報源:

Wikipedia日本語版: スリザーリンク

Wikipedia: Slitherlink

nikoli公式: スリザーリンクの遊び方、ルール、解き方

Engadget: Father of Sudoku says Slitherlink is the next big thing (2007年6月14日)

Yato, Takayuki: On the NP-completeness of the Slither Link Puzzle (2000)

Yato, Takayuki; Seta, Takahiro: Complexity and Completeness of Finding Another Solution and Its Application to Puzzles, IEICE Transactions E86-A (2003)

Simon Tatham's Portable Puzzle Collection: Loopy

Steam: Slither Link Plus

おわりに

この記事を書きながら思うのは、スリザーリンクが「数独になれなかったパズル」ではなく、「数独の隣で、38年近く静かに生き続けたパズル」だという点である。世界的な大流行という基準だけで測れば見劣りするかもしれない。だが、二人用の対局ゲームから生まれ、NP完全性の証明の教材となり、いまもSteamの棚に一本のデジタル商品として並ぶという生存の長さそのものが、この盤面の強さを証明している。

輪はいつか、どこかで閉じなければならない。だが、その輪がどの道を通るかは、38年経った今でも解くたびに新しく決まる。1989年、平成という新しい時代が始まってわずか数ヶ月後に生まれたこの単純な規則は、盤面の形をどれだけ変えても同じ問いを繰り返し出し続けるだろう。

静かに閉じた一つの輪が残る盤面のイメージ(AI生成)解き終えて静かに閉じた輪のイメージ(イメージ・AI生成)

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