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HISTORY · 2026-08-03

ましゅ(2000) — 誤読が生んだ、黒と白の真珠の輪

「真珠の首飾り」の白い丸だけの盤面に、黒が加わるまでの一年

はじめに

1999年4月、『パズル通信ニコリ』84号に、白い丸だけが置かれた盤面を一本の輪でつなぐ問題形式が載った。名前は「真珠の首飾り」。丸を全て通る、ただ一つの輪を描き切るという規則だけを持つ、まだ素朴な形だった。翌2000年春、90号でこの盤面に黒い丸が加わり、「白真珠黒真珠」と改題される。ここで、白丸は直進、黒丸は方向転換という対の規則が揃い、現在まで変わらない論理骨格が完成した。

ただし「ましゅ」という正式名称がついたのは、さらに3年後の2003年、103号でのことである。英語版ウィキペディアによれば、これは編集部内で「真珠」(しんじゅ)という漢字を、ニコリ社長が「ましゅ」と誤読したことに由来するという。単なる言い間違いが編集部の内輪ネタとして定着し、そのまま正式名称に昇格した。

黒と白の真珠が連なる一つの輪のイメージ(AI生成)黒と白の真珠がつながる輪のイメージ(イメージ・AI生成)

その時代の文脈

1999年から2000年にかけてのニコリを、同誌の歴史の中に置いてみる。数独の前身「ナンバープレース」の連載開始からすでに15年以上、スリザーリンクの初出からも10年が経っていた。だが数独が英語圏で世界的な大流行を起こすのは、まだ4年以上先――ウェイン・グールドが日本の書店でこのパズルを見つけ、コンピュータで問題を量産してロンドンの新聞に持ち込むのは2004年のことである。この当時のニコリは、まだ国内の読者投稿と季刊誌の誌面だけで新作を磨き上げる、パズル職人たちの実験場だった。

「真珠の首飾り」から「ましゅ」への改良の経緯は、この時代のニコリらしい漸進的な開発の一例でもある。ウィキペディア日本語版が伝える通り、84号でまず白丸だけの単純な形が発表され、それが読者の反応を経て90号で黒丸を加えた深い形に改良された。数字も文字も一切使わずに、円の色という最小の情報だけで奥行きのある推理を成立させる――ウィキペディア英語版が記すように、そもそもの制作目的は「数字や文字を使わずに、それでも深みと美しさを持つパズルを提示すること」だった。

この「文字なしで深さを作る」という制作目標は、白丸単体の盤面では十分に達成できていなかった。黒丸という第二の記号が加わって初めて、対になる二つの規則がせめぎ合う盤面が生まれた。一年の空白を挟んで段階的に深化したこの経緯は、ニコリの新作パズルが一度の発表で完成形に至るのではなく、読者との往復の中で磨かれていくものだったことを示している。

1999年から2000年の紙のパズル誌が積み重なっていくイメージ(AI生成)読者投稿の季刊誌だけで育った1999-2000年のパズル文化のイメージ(イメージ・AI生成)

メカニクス

ましゅの規則は単純である。盤面のマスの一部に白丸か黒丸が置かれ、解き手はマスの中心同士を結んで一本の閉じた輪を描く。輪は枝分かれせず、自分自身と交差しない。白丸のマスは輪が直進しなければならないが、その前後どちらかのマスでは輪が曲がっていなければならない。逆に黒丸のマスは輪が必ず曲がらなければならず、その前後のマスでは直進していなければならない。数字も文字も使わない、円が黒いか白いかという一情報だけで、この対になる制約が盤面全体に波及していく。

この規則の見た目の単純さと裏腹に、ましゅは計算複雑性の観点からも「本物の難しさ」を持つことが証明されている。数学者エリック・フリードマンは論文「Pearl Puzzles are NP-complete」で、任意の三次平面グラフをましゅの盤面に変換できることを示し、そのグラフがハミルトン閉路を持つかどうかという、既にNP完全と知られている問題に帰着させた。つまりましゅを一般的な盤面サイズで解く問題は、計算複雑性の意味でも正真正銘の困難さを持っている。

スリザーリンクなど他の「輪を描く」系ニコリパズルと比べたとき、ましゅの独自性は、盤面上の情報が「丸の色」という二値だけである点にある。数字を使うスリザーリンクや、黒マスの個数を数えるヤジリンとは異なり、ましゅは記号の意味そのものが視覚的に完結している。この最小限の手がかりから、白丸・黒丸それぞれの周辺で連鎖的に確定していく手筋を積み重ね、盤面全体をただ一つの閉路として埋め切る――それがましゅというメカニクスの核心である。

輪が黒丸で曲がり白丸で直進する盤面のイメージ(AI生成)黒丸で曲がり、白丸で直進する輪のイメージ(イメージ・AI生成)

現代への系譜

ましゅは、ニコリ自身の手によって紙の外へ運ばれ続けてきた。任天堂3DS向けに「ニコリのパズル ましゅ」が配信され、後継機Nintendo Switch向けには「Puzzle by Nikoli S Masyu」が、Xbox向けには「ニコリのパズルW ましゅ」が公式に展開されている。いずれもニコリ監修のもとで、紙の盤面を機械的に量産・自動生成できる形へ移し替えたものである。

同時に、ましゅは営利目的を離れたオープンソースの世界でも生き延びている。Simon Tatham's Portable Puzzle Collectionには「Pearl」というパズルが収録されており、これはましゅの実装そのものである。Tatham自身の公式サイトでは「黒丸を含むマスは必ず他の角と直接つながらない角になり、白丸を含むマスは少なくとも一つの角に接続する直線になるように、一本の輪を描け」という、ましゅの規則そのままの説明が掲載されている。Expatライセンスのこの実装は、Windows・Linux・Android・iOS、そしてブラウザ上で動くWebAssembly版まで、20年以上にわたり無償で配布され続けている。

学術方面でも、ましゅを含むニコリのパズル群は計算機科学の関心の対象になってきた。前述のフリードマンによるNP完全性の証明に加え、計算機科学者ドナルド・クヌースは著書『Selected Papers on Fun & Games』(2011年、CSLI Publications刊)の中で、ニコリのパズルについて論じている――英語版ウィキペディアの脚注に記載された事実である。紙の上の思いつきが、四半世紀を経て国際的なコンシューマ機、有志によるオープンソース実装、そして計算複雑性の学術論文という三つの異なる場所で、それぞれ独立に生き延びていることになる。

紙の升目から画面へと枝分かれしていく系譜のイメージ(AI生成)紙の盤面が画面へ枝分かれする系譜のイメージ(イメージ・AI生成)

参考文献

本記事で参照した情報源:

Wikipedia: Masyu

Wikipedia日本語版: ましゅ

nikoli公式: ましゅの遊び方、ルール、解き方

Nikoli official (English): Masyu

The Art of Puzzles: Masyu Rules and Info

Erich Friedman: Pearl Puzzles are NP-complete

Simon Tatham's Portable Puzzle Collection: Pearl

Nintendo: Puzzle by Nikoli S Masyu (Switch)

任天堂: ニコリのパズル ましゅ (3DS)

Xbox: ニコリのパズルW ましゅ

おわりに

ましゅについて調べ直して残るのは、この盤面が示したのが「発明」の物語よりも「改良」と「命名」の物語だということである。白丸だけの単純な形から、黒丸が加わって規則が対になるまでに一年。そこから正式名称が定まるまでにさらに三年。社長の誤読という、パズル設計とは無関係などうでもいい出来事が、そのまま盤面の顔になった。

数字も文字も使わないという制約は、一見して少ない情報しか許さないように見える。しかし、その少なさこそが、コンシューマ機への移植、有志によるオープンソース実装、計算複雑性の証明という、性質の異なる三つの場所へ同じ規則をそのまま運ぶことを可能にした。「深さは記号の数ではなく、規則の対の強さで作れる」ということを、ましゅは26年かけて証明し続けている。

閉じた輪と黒白の真珠が静かに並ぶ盤面のイメージ(AI生成)閉じた一つの輪が静かに収まる盤面のイメージ(イメージ・AI生成)

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