HISTORY · 2026-09-25

インスタント・インサニティ(1967) — 四万一千通りのうち、たった一通り

『一瞬で正気を失う』と名付けられた色合わせ玩具が、パズルを数学の証明問題に変えた年

はじめに — 四つの立方体と、一つの脅し文句のような名前

1967年、アメリカの玩具会社パーカー・ブラザーズが売り出したのは、ただの立方体が4つ入った箱だった。それぞれの面は赤・青・緑・白の4色に塗られている。遊び方はこうだ。4つの立方体を縦に一列に積み、できた塔の前・後ろ・左・右、四つの側面すべてに、4色がちょうど一回ずつ現れるようにする。

名前は「インスタント・インサニティ」。日本語にすれば「即席の狂気」である。私はこの手の、遊び手を挑発する名前を持つ玩具に弱い。中身を見る前から、開発した側の自信が透けて見えるからだ。棚に並んだ瞬間、買い手に喧嘩を売っているような玩具は、そう多くはない。

実際、この玩具は自信に見合う難しさを持っていた。積み方は全部で41,472通りある。そのうち条件を満たす並べ方は、実質ただ一通りしかない。手当たり次第に立方体を回し続けても、まず答えにはたどり着けない比率だ。

Instant Insanityの解法をグラフ理論で説明する動画のサムネイル「Instant Insanity Puzzle」(PBS Infinite Series, YouTube)より

その時代の文脈 — 特許玩具から「タンタライザー」、そして量産される色の悪夢へ

この玩具の起源はさらに古い。ウィキペディアの記述によれば、最初の特許版は1900年、フレデリック・アルビン・ショソウが「キャッツェンジャマー・パズル」として考案したものだという。1940年代には形を変えたバリエーションが「ザ・グレート・タンタライザー」の名で広く出回っていた。パーカー・ブラザーズの1967年版は、それらの系譜の先に立つ、いわば再発明品である。

この年、フランク・アームブラスターが立方体の彩色を組み直し、パーカー・ブラザーズとプレスマン社がそれぞれ独立に商品化した。マス目状のプラスチック射出成形が普及し、複数の駒を安価に精密複製できるようになった時代背景も大きい。1900年の木か金属の一点物と違い、1960年代の玩具は工場でいくらでも同じ精度の立方体を刷れた。

結果は数字が語る。パーカー・ブラザーズだけで1200万個以上を売り、店頭の定番になった。単純な色合わせという体裁で、実は解けない比率が高い玩具を売る手口は、この7年後にハンガリーで生まれる、また別の立方体――ルービックキューブの世界的ヒットの先例のようにも見える。

私はこの手の「見た目は玩具、中身は数学」という商品が、20世紀後半のアメリカとヨーロッパでどれだけ量産されたかに、繰り返し驚かされる。時代が工業化されるほど、遊びも工業化された数だけ量産され、その中に本物の難問が紛れ込んでいた。玩具屋の棚は、当時気づかれないまま、小さな数学の展示会になっていたのだと思う。

メカニクス — 41,472通りを、色の地図に変える

ルールをもう一度整理する。4つの立方体、それぞれ6面に4色を塗り分ける。4つを積んで塔にしたとき、前後左右の4つの側面それぞれに、4色がちょうど一回ずつ現れればクリアだ。1つの立方体には24通りの向きがあるから、単純計算でも組み合わせは膨大になる。実質的に異なる積み方だけを数えても41,472通りにのぼる。

腕力で解けない数ではない。だが人間が飽きずに試せる数でもない。だからこそ、この玩具の本当の主役は数学者たちだった。1947年、ケンブリッジ大学の学生グループが『F. De Carteblanche』という共同の筆名で、雑誌『Eureka』(アルキメデアン協会発行、第9号)に前身パズル「タンタライザー」の解法を発表した。

彼らの発想はこうだ。4色を4つの頂点に見立て、1つの立方体につき「向かい合う面の色の組」を1本の辺として引く。4つの立方体から4本ずつ辺を引けば、4つの頂点と16本の辺からなる1つの図ができあがる。あとはこの図の中から、各色をちょうど2回ずつ通り、かつ互いに重ならない2つの部分図を見つければよい。前後の面用に1つ、左右の面用にもう1つだ。

この図の作り方に切り替えた瞬間、41,472通りの力任せの試行は、色の地図の上でたった数本の線を選ぶ作業に縮む。手と根気で挑む問題が、紙とペンだけで解ける問題に変わる瞬間だ。パーカー・ブラザーズの商品化から1年後の1968年には、T・A・ブラウンが今度は組み合わせ数論を使って、同じインスタント・インサニティを別角度から解いている。

4色を頂点、対面の色を辺とした多重グラフのイメージ(図解・AI生成)色を頂点、対面の組を辺にした図(イメージ・AI生成)

現代への系譜 — 玩具を「解けるか」で測る伝統は、いまSteamの3Dゲームに届いている

インスタント・インサニティが遺したのは、色合わせの答えそのものではない。「この玩具は原理的に解けるか」という問いを、グラフという抽象の道具に翻訳して答える、という態度そのものだ。1947年のケンブリッジの学生も、1968年のブラウンも、玩具メーカーが売っていたのは色のパズルだが、彼らが実際に相手取っていたのは組み合わせの構造だった。

この態度は、その後も形を変えて生き延びている。2018年、マサチューセッツ工科大学のエリック・デメイン、ジョシュア・ロックハート、ジェイソン・リンチの3人は、Valveの『Portal』(2007年)とその続編を素材に、ゲーム内の個々のメカニクス――ポータルの設置や物体の運搬など――がそれぞれNP困難、PSPACE完全、あるいは多項式時間で解けるかを分類する論文を発表した。

彼らの論文が示したのは、遊び手が「頭を使う」と感じる仕掛けの多くが、実際に計算量理論の言葉で難しさを証明できる、という事実だ。玩具メーカーが色を揃えるだけの立方体を売り、数学者がそれをグラフに描き直した半世紀前の構図は、開発元が3D空間を用意し、研究者がそれを状態遷移の理論に描き直す今の構図と、驚くほど相似形をしている。

私が掘り返しているのは古い玩具の話ばかりだが、こうして系譜をたどると、遊びを「解けるか」で測ろうとする欲求そのものが、少なくとも80年近く途切れずに続いていることに気づかされる。玩具の色は変わっても、問いの形はほとんど変わっていない。

『Portal』のテストチェンバーでポータルを設置する場面『Portal』(Valve, 2007)のスクリーンショットより

参考文献

本記事で参照した情報源:

・Wikipedia: Instant Insanity

・Ivars Peterson, "The Mathematical Tourist: Averting Instant Insanity" (2019)

・Érika Roldán Roa, "The Mutando of Insanity" (arXiv:1610.09371, 2016)

・Eureka, issue 9 (The Archimedeans, University of Cambridge, 1947) — Internet Archive

・Erik D. Demaine, Joshua Lockhart, Jayson Lynch, "The Computational Complexity of Portal and Other 3D Video Games" (FUN 2018, arXiv:1611.10319)

・Steam: Portal

・"Instant Insanity Puzzle" (PBS Infinite Series, YouTube)

おわりに — 色は変わっても、問いの形は変わらない

四色の立方体4つと、それを積むだけの単純な規則。だがその裏には41,472通りの中のただ一通りという、笑ってしまうほど低い確率が潜んでいた。1900年の特許玩具、1940年代のタンタライザー、1967年のインスタント・インサニティ、そして半世紀後のPortal研究――名前も見た目も違う4つの点が、同じ一本の線でつながっている。

私は年号を書かないと、記事を書き終えた気がしない性分だ。今回はことに1947年、1967年、1968年、2018年という4つの年号が、色の地図の上でまっすぐ並んでいるのを見つけて、素直に楽しかった。この線が次にどんな立方体の色を選ぶのか、私はまた盤上を眺めながら待つことにする。

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