HISTORY · 2026-10-05

騎士巡歴(840年ごろ) — 勝負を抜いたチェスが、詩と数学になるまで

アル・アドリの写本、オイラーの論文、ヴァルンスドルフの目安、そして数え上げまで

はじめに — 全部のマスを、一度ずつ

これは九世紀の頃から記録が残る、チェス盤の上の遊びである。ナイトを一つ置き、動かして盤の全64マスを一度ずつ訪れる。これが「騎士巡歴(ナイツツアー)」だ。

ナイトは縦に2、横に1、または縦に1、横に2と動く。この跳び方だけで、64マスをすべて通る道が作れる。最後が出発点に戻る形を「閉じた巡歴」、戻らない形を「開いた巡歴」と呼ぶ。

チェスの勝ち負けとは関係がない。盤と駒を借りただけの、一人用の道さがしである。

チェス盤の全マスをナイトの跳び方でたどった一本の線のイメージ(AI生成)盤を一本の線がたどるイメージ(イメージ・AI生成)

その時代の文脈 — 840年ごろのバグダードと、インドの詩

確認できる最古の例は、九世紀ごろまで遡る。チェス史家マレーの研究では、アラビア語のチェス書に載った巡歴が最古級とされ、その作者として「アル・アドリ・アル・ルーミー」(840年ごろ)の名が挙がる。ただし原典は失われており、のちの写本から伝わっている。

インドにも古い例がある。詩人ルドラタの『カーヴィヤランカーラ』(900年ごろ)には、盤の半分でたどる巡歴が、詩の技巧「馬の歩みの配列」として載っている。文字を一音ずつマスに置き、ナイトの跳び方で読むと別の詩になる仕掛けだ。

つまりこの問題は、数学として生まれたのではない。チェスの遊びと詩の言葉遊びから生まれた。1600年代ごろには、対称な閉じた巡歴を示したインドの記録(バット・ニーラカンタ)もある。年代の細部は資料により幅がある。

盤の半分を一本の線でたどる、古い写本風のイメージ(AI生成)半分の盤をたどる古い巡歴のイメージ(イメージ・AI生成)

メカニクス — 行き止まりを先に埋めると、解ける

ナイトは一手ごとにマスの色を替える。白黒の盤では、白から黒、黒から白へと跳ぶ。だから64手で出発点に戻る閉じた巡歴は、マスの数が偶数のときだけ成り立つ。

難所は盤の隅と縁だ。隅からの行き先は2マスしかなく、中央は最大8マスある。縁を後回しにすると、あとで行き場を失う。

1759年、数学者オイラーがこの問題を論じた。論文は1758年に書かれ、1759年に発表され、印刷は1766年の『ベルリン科学アカデミー紀要』第15巻に載った(E309)。続く1823年、ヴァルンスドルフが簡単な目安を示した。次に跳ぶ先のうち、そこからの行き先がいちばん少ないマスを選ぶ、というものだ。

この目安は確実な解法ではないが、人が手で解くのに実用的である。行き止まりになりそうなマスを先に処理する、という考え方だ。

盤の各マスから跳べる行き先の数を濃淡で示した図解(AI生成)各マスの行き先の数。隅は2、中央は8(図解・AI生成)

現代への系譜 — 数を数え、規則を見つけ、小説にもなった

20世紀に入ると、問いは「作れるか」から「いくつあるか」「どんな盤で成り立つか」に移った。1991年、シュウェンクが、縦横どちらの長さの盤で閉じた巡歴が成り立つかを証明した。1997年、パーベリーが、盤が大きくても短い時間で巡歴を作る手順を示した。

数え上げも進んだ。8×8の盤で閉じた巡歴は、向きを区別すると26,534,728,821,064通りである。向きを区別しない数は13,267,364,410,532で、1997年にマッケイが確認した。1996年のレビングとヴェーゲナーの数値は、この値と異なっていた。

文学にも入り込んだ。ジョルジュ・ペレックは小説『人生 使用法』で、10×10の盤の巡歴を章の並びを決める枠組みに使った。

現代の「全部のマスを一度ずつ通る」型のパズルは、この問題の遠い親戚に見える。ただ、開発者がナイトの巡歴から着想を得たと語った例を、私は確認できていない。系譜として断定はしない。

840年から1997年までの年代を点でつなぐ、年表風のイメージ(AI生成)千年を超える年表のイメージ(イメージ・AI生成)

参考文献

本記事で参照した情報源:

・Wikipedia(英): Knight's tour

・George Jelliss: Early History of Knight's Tours(Mayhematics)

・Euler Archive: E309「Solution d'une question curieuse que ne paroit soumise à aucune analyse」

・Wikipedia(英): Al-Adli

※ 巡歴の最古の年代は資料により幅がある(840年ごろ・900年ごろ)。ヴァルンスドルフ、シュウェンク、パーベリー、マッケイ、ペレックの項目は上記 Wikipedia の記述による。原論文は確認していない。

おわりに — 盤を借りて始まった道さがしが、数学になった

騎士巡歴は、勝負のためのチェスから、勝負を抜いた部分だけを取り出した遊びだ。詩人や写本の書き手が楽しみ、のちにオイラーが数学の問いとして扱った。

歴史がこの遊びで示したのは、遊びと数学の間に仕切りがないことだと、私は読む。解くだけの人も、数える人も、小説に使う人も、同じ64マスの上にいた。

夜の盤に描かれた、出発点に戻る一本の線のイメージ(AI生成)出発点に戻る閉じた巡歴のイメージ(イメージ・AI生成)

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