PAPER-DIGEST · 2026-09-10
Nagaya ら: 「賭けない」を選択肢から消したら、危険な方を選ぶ人が倍になった — Fukai が読む
意思決定研究 — 損失回避と「何もしない」の切り分け
一段落要約
プレイヤーに危ないカードを差し出す場面を思い浮かべてほしい。五分五分の確率で強くなり、外れれば弱くなる。多くの人は断る。私たちはそれを「人は損を得より重く感じるからだ」と説明してきた。
今日読む論文は、その説明に別の可能性をぶつける。断られたのは損が重いからではなく、「断る」という選択肢が「何もしない」の形をしていたからではないか、と。
実験では、まったく同じ賭けを二通りの聞き方で出した。「賭ける/賭けない」と、「こちらに賭ける/あちらに賭ける」。危険な方を選んだ人の割合は 23.3% から 50.0% に上がった。金額も確率も一文字も変えていない。変えたのは選択肢の文法だけである。
『Slay the Spire』(Mega Crit, 2019)。デッキ構築型ローグライトのカード報酬画面には、たいてい「取らない」が添えられている。画像: Steam ストアページ
はじめに — 誰が、どこに書いた論文か
論文の題は「Omission matters: Reframing omission as action reduces apparent loss aversion」。Judgment and Decision Making 誌の第21巻(論文番号 e17)に、2026年7月13日付で載った。著者は山口大学教育学部の長谷和久(Kazuhisa Nagaya)と小野史典(Fuminori Ono)、同志社大学心理学部の中谷内一也(Kazuya Nakayachi)の3名である。査読を通った論文で、誰でも全文を読めるオープンアクセスだ。
三つの実験のうち、最後の実験2は事前登録(preregistration。仮説と分析方法を、データを取る前に公開の場に登録しておく手続き)済みである。登録は2025年5月7日、データ収集の開始は翌8日。データも質問紙も分析スクリプトも OSF という公開の置き場に上がっている。
心理学の知見を読むとき、私が最初に確かめるのはこの二点だ。査読を通っているか。手の内が公開されているか。今回はどちらも満たしている。そのうえで今日これを選んだ理由を書く。私たちが難易度や報酬の設計を語るとき、その土台にはたいてい損失回避が置かれている。その土台が、実は二つの別々の部品でできていたかもしれない、という話だからだ。
背景 — 「損は得の2倍重い」の測り方に空いていた穴
損失回避(loss aversion。同じ大きさなら、得よりも損の方を重く感じる傾向)は、1979年のプロスペクト理論以来、行動経済学でいちばん有名な柱である。目安として「損は得のおよそ2倍重い」と言われてきた。2024年に出たメタ分析(複数の研究の結果を統計的にまとめ直す手法)では、607件の推定値をならして約1.955倍という数字が報告されている。
測り方は昔から決まっている。「50%で x 円もらえ、50%で x 円失う」という、損得なしの公平な賭けを見せて、受けるか断るかを聞く。多くの人が断る。だから損の方が重いのだ、と。50か国以上で同じ傾向が見つかったという報告もあり、人間の普遍的な性質のように扱われてきた。
ところがこの測り方には穴がある、と著者たちは指摘する。「断る」は同時に「何もしない」でもあるという点だ。人には、大差ない場面では動かない方を選ぶ癖がある。Gal と Rucker が2018年に「慣性(inertia)」と呼んだ性質で、この記事では「不作為選好」と呼んでおく。
Gal らは、売り手と買い手の両方に同じ動作をさせると、有名な保有効果(自分が持っている物を高く値付けしてしまう現象)が消えることを示している。つまり従来の実験は、「損が重い」と「動きたくない」を一緒くたに測っていた疑いがある。この論文の問いは一行で書ける。どちらの選択肢も「する」の形にしたら、危険な方を選ぶ人は増えるのか。
アプローチ — 同じ賭けを、二通りの聞き方で出す
賭けの中身はどの条件でも同じである。負けたときに失う額は 3,000円で固定。勝ったときにもらえる額は 0円から6,000円まで500円刻みで、全部で13通り。もらえる額が3,000円のところが、ちょうど損得なしの分かれ目になる。
違うのは聞き方だけだ。行動/不作為条件では「この賭けに乗りますか?」と尋ね、「賭ける」「賭けない」の二択を出す。行動/行動条件では「次の二つの『賭け』のどちらがよいですか?」と尋ねる。こちらは安全な方も「賭け」として書かれている。参加者はどちらか一方の条件にランダムに割り振られる。
実験1a(613人)は13の賭けを、もらえる額の小さい順に並べて出した。並び順そのものが答えを引っ張る可能性があるので、実験1b(604人)では一人ずつ順番をばらばらにした。参加者は日本の調査会社のウェブモニターで、平均年齢はどちらも53歳前後である。
実験2(128人)はもう一つの疑いを潰しにいった。それまでの文面には「0円になる」という表記があり、人は「ゼロ」という言葉自体を避ける癖を持つ。そこで「3,000円を持っているとして」から始め、「3,000円が50%で3,500円になり、50%で0円になる」対「3,000円が100%でそのまま3,000円になる」という書き方に変えた。安全な方も、選べば起きる出来事として書いてある。
三つの実験を合わせた参加者は 1,345人。すべて仮想の賭けで、実際にお金は動いていない。ここは後で限界の話に戻ってくる。
発見 — 23.3% が 50.0% になった
実験1a。13の賭けをならした危険な選択肢の採用率は、行動/行動条件で 50.0%、行動/不作為条件で 23.3% だった。およそ2倍の差である。統計モデルでも聞き方の効果ははっきり出ている(b = −1.31、95%信頼区間 [−1.41, −1.21]、p < .001)。もらえる額が増えるほど危険な方が選ばれるという、当たり前の傾向も同時に確認されている。
内訳を見るともっと極端だ。もらえる額が0円、つまり勝っても何も増えず、負ければ3,000円失うだけの賭けでさえ、行動/行動条件では 36.7% が危険な方を選んでいる。同じ賭けを「賭ける/賭けない」で出したときは 7.3% だった。
実験1b。順番をばらばらにすると、差はさらに開いた。行動/行動 47.1% 対 行動/不作為 14.7%(b = −1.89、95%信頼区間 [−2.00, −1.77]、p < .001)。0円の賭けでは 17.4% 対 1.0% である。
順番をばらばらにしたぶん、回答のブレは増えた。期待値の順に並べたときに答えが入れ替わる回数は、実験1bで平均1.24回(標準偏差1.61)、実験1aで平均0.77回(標準偏差1.07)。差は統計的にはっきりしている(Welch の t 検定、p < .001、効果量 d = 0.34)。並べ方が思考を整えていた分がここに出ている、と読める。
事前登録した実験2でも向きは同じだった。36.3% 対 17.6%(b = −1.08、95%信頼区間 [−1.32, −0.84]、p < .001)。ちょうど損得なしになる、もらえる額3,000円の賭けでは 41.5% 対 20.6%。もらえる額6,000円では 53.8% 対 34.9% である。
3実験を通して結果の向きは揃っている。著者の言い方を借りれば、小額の賭けで見えていた損失回避は「二つの賭けから能動的に選ばせると大幅に小さくなる」。彼らはここから、これまで損失回避とされてきたものの大部分は不作為選好によるものだ、と結論している。
『Balatro』(LocalThunk / Playstack, 2024)。手札を出すか捨てるかを迫られ続ける設計で、「何もしない」という選択肢はどこにも無い。画像: Steam ストアページ
使いどころ — ゲームを作る側が持ち帰れる6つ
ここからは、この結果をゲームやパズルの設計にどう持ち帰れるかを考えたい。要点は一つに絞れる。選択肢の書き方は、数字と同じくらい強い設計変数である。
1つ目、カード報酬画面の「スキップ」。デッキ構築型ローグライトでは、報酬の3枚に「取らない」が添えられているのが定番だ。この「取らない」は不作為の形をしている。呪いつきの強カードやリスクのある遺物を積極的に試してほしいなら、「取らない」を「弱いが安全な4枚目を選ぶ」に置き換えて、どれも『選ぶ』の形に揃えてみる価値がある。
2つ目、難易度とアシストの設定。「アシストをオンにする/そのまま」は不作為との二択だ。「アシストありで遊ぶ/アシストなしで遊ぶ」と書き直すだけで、選ぶ人の割合は動きうる。今回の差は20〜30ポイントで、数値調整で普通に動かせる幅よりずっと大きい。
3つ目、リロールや交換の仕組み。装備の打ち直し、盤面のシャッフル、引き直し。「やる/やらない」で出している限り、使ってほしい機能ほど使われない。「今の盤面で進む/振り直して進む」のように、どちらも前に進む動作として書いてみる。
4つ目、ヒントの売り方。デイリーパズルでヒントを出す場面は多い。「ヒントを使う(連勝が途切れる)」対、何も押さないこと——ではなく、「ヒントを見て解く/自力で解く」の二択にする。同じ代償でも、押される回数は変わりうる。
5つ目は逆向きの使い方だ。抑えたい行動があるなら、不作為の形は強いブレーキになる。課金や賭けに近いループでは、あえて「何もしない」を残す設計が効く。今回の数字は、そのブレーキの効きが20ポイント以上あることを示している。
6つ目、計測の順番。ある危険な仕組みが使われないとき、私たちはまず数値を触りたくなる。だがこの論文を読んだあとなら、数字を動かす前に聞き方を一度 A/B する方が安上がりだと分かる。
『Inscryption』(Daniel Mullins Games, 2021)。賭けと代償を突きつけるカードゲーム。断るという選択肢が、そもそも用意されていない場面が多い。画像: Steam ストアページ
限界 — 著者が認めている点と、私が気づいた点
著者自身が最初に挙げているのは、損失回避と不確実性そのものへの嫌悪を切り分けられていない点だ。行動/行動条件でも、もらえる額が失う額の2倍ある有利な賭けで、約3分の1が安全な方を選んでいる。これが損のせいなのか、揺れが嫌なだけなのかは、この実験では決まらない。著者は、損の無い賭けと損のある賭けを比べる追加実験を次の手として挙げている。
二つ目は、お金が実際には動いていないこと。すべて仮想の賭けである。著者も「実際の金銭的報酬があるとリスク回避は強まる」という先行研究に触れていて、報酬つきでも同じ差が出るかは今後の課題だと書いている。三つ目は、参加者が日本のウェブモニターに限られること。文化をまたいだ追試が要る、と著者は明記している。
ここからは私が読んで気づいた点を書く。実験2の安全な選択肢は「3,000円が100%でそのまま3,000円になる」だった。文面は『賭け』の形をしているが、起きる出来事は現状維持そのものである。変えたのは言葉であって、状態ではない。だとすると今回の効果の一部は、能動性そのものではなく言い換えの効果かもしれない。もっとも、設計に持ち帰る側としては、言い換えだけで20ポイント動くならそれで十分に使える、とも言える。
もう一点、私がここで指摘するのは実験の重みの置き方だ。事前登録されたのは実験2だけで、その実験2が3つの中でいちばん人数が少ない(128人)。効果の向きは3実験で揃っているので大枠は動かないと思うが、「事前登録済みの大標本で確かめた」とまでは言えない段階である。
そして当然ながら、これは賭けの実験であってゲームの実験ではない。カード報酬やヒント購入で同じ差が出るかは、誰かが自分の題材で測り直す必要がある。この論文が与えてくれるのは答えではなく、測るべき仮説である。
Fukai の読み
ここからは私の読みである。私はこの研究を、「損失回避」という大きな一語がいくつかの部品に分解されていく流れの中に置きたい。Gal と Rucker の慣性、Ert と Erev の「怪しい話は断る」癖、そして今回の不作為選好。どれも「損は重い」という看板の下に隠れていた、別々の力である。設計批評の語彙に翻訳するなら、これは選択肢の書式が、報酬表の一部として働いているという指摘だと読める。私たちはバランス調整のときに数値表を睨むが、その隣にある文言の欄も同じ重みで効いている。表計算ソフトに載らない列が一つある、ということだ。
おわりに — 一緒に読むと地図が見える論文
もっと深く知りたい人へ。まず Gal と Rucker の2018年の論文「The Loss of Loss Aversion: Will It Loom Larger Than Its Gain?」を読むと、今回の問いがどこから来たのかが分かる。損失回避を一度解体してみせた、議論の出発点である。
数字の側を確かめたければ、Brown・Imai・Vieider・Camerer による2024年のメタ分析がよい。150本の論文から607件の推定値を集め、約1.955倍という値を出した仕事だ。今日の論文の「では、その1.955倍は何を測っていたのか」という問いと、ちょうど表裏になっている。
サイト内では、選択肢の置き方をめぐる論文を続けて読んでいる。最初から選ばれている選択肢(デフォルト)を人が狙って使う話と、選択肢の数が満足の見積もりを狂わせる話。今日の1本と並べると、「選択肢の形」という一つの地図が見えてくる。
参考文献
本記事で参照した論文と関連資料:
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