ESSAY · 2026-08-15
ソロゲーのチートは誰を裏切るのか——約束と自己欺瞞の哲学
ひとりのズルをめぐる、カントとスーツの仮想対話
95%を外した夜、私はロードし直した
深夜、ウイスキーを片手に XCOM 2(Firaxis Games 開発、2K 販売、2016)を進めていた。命中率95%と表示された一撃を外し、そこから崩れて、育てた四人が一度に消えた。私はしばらく画面を見て、それからセーブをロードした。何もなかったことにして、同じ部屋の同じ角から撃ち直した。今度は当たった。……被害者はいない。対戦相手もいない。誰の記録も汚していない。なのに、その夜の勝利だけ、手触りが薄い。図面ノートの余白に、この後味の正体を訊きたい二人を呼んで、差し向かいに座らせた。嘘の最大の相手は他人ではなく自分自身だと書いたイマヌエル・カントと、そもそも「裏切り」という話ではないと言いそうなバーナード・スーツ。むろん実際の発言ではない。それぞれの著作から推し量った、私の頭のなかの仮想対話だ。
『XCOM 2』(Steam公式スクリーンショットより)
図面ノートの余白で、二人が「ひとりのズル」を裁く
カント。まず一つ整理しよう。君は「被害者はいない」と言ったが、それは相手を他人に限った勘定だ。私は『人倫の形而上学』の徳論で、人間が道徳的存在者としてみずからに負う義務の最大の違反は嘘である、と書いた。しかも嘘には二種類ある。他人に向けた外的な嘘と、自分に向けた内的な嘘だ。厄介なのは後者のほうでね。嘘によって人間は、人間としての自分の尊厳を投げ捨て、いわば抹殺する。君の部屋には、たしかに相手が一人いた。
スーツ。その前提が違う、カント。君はいきなり「嘘」という札を貼ったが、あの部屋で何かが偽られたのかね。私は『キリギリスの哲学』で、ゲームをプレイするとは不必要な障害を自発的に乗り越えようとする試みだと書いた。壁を越えられるのに、わざわざ遠回りを選ぶ。その遠回りを定めているのが構成的ルールだ。ルールを破った瞬間に起きるのは裏切りではない。退場だ。彼はもう、そのゲームをプレイしていない。裏切る相手がいないのではなく、裏切りという出来事のほうが起きていないんだ。
カント。退場、と。ずいぶん静かな処理をするな。だが君自身が「ルドゥス的態度」と呼んだものがあるだろう。ルールを、それがこの活動を可能にするというただそれだけの理由で受け入れる態度。あれは自分に向けた一つの宣言ではないのか。「私はこの遠回りで行く」と、彼は誰にともなく告げた。告げたことを反故にして、なお告げていたことにする——私はそれを内的な嘘と呼ぶ。
スーツ。宣言は、いつでも取り下げられる。そこが約束と違うところだ。約束は破れば罰が要るが、遊びは丸ごと自発的だから、やめる自由が最初から織り込まれている。だからこそ私は、遊びに道徳の語彙を持ち込むのを渋る。「遊ぶ義務」を作った瞬間、それはもう遊びではなくなるからだ。彼はロードした。つまり彼は、遊ぶのをやめた。それだけのことだよ。
カント。そこは譲ろう。遊ぶ義務などない。君の言うとおり、やめる自由は遊びの一部だ。だが「やめた」と「やめていないふり」は違う。彼は退場したのだろうか——退場したと、自分に告げたのだろうか。手はやめている。しかし口は、まだ「クリアした」と言っている。この二つがずれたままでいられる点が、他人相手の嘘との違いだ。他人には隠せる。だが内的な嘘は、隠す者と隠される者が同じ人物でね。彼は自分の目のなかで、自分を軽んじることになる。
スーツ。……そこは、認めよう。私の区分でも、ズルをする者だけは目標を手放さない。戯れる者はルールを守って目標を捨て、興ざめな者はどちらも捨てる。だがズルをする者は、ルールを捨てて「勝利」という名前のほうを持ち帰る。名前だけをね。もし遊びの中身が「不必要な障害を、自分で引き受けたこと」なのだとしたら、彼が持ち帰ったのは中身の抜けた器だ。私は彼を責めない。ただ、彼が手にしたものを勝利とは呼べない。
カント。ならば我々は、違う言葉で同じ場所を指しているのかもしれん。私は「尊厳」と言い、君は「活動」と言う。だが裏切られたのは、他人でも、抽象的な規則でもない。あの遠回りをわざわざ選んだ、ほんの少し前の彼自身だ。95%の表示を見て「外れても引き受ける」と決めていた彼。あの部屋にいた相手は、彼しかいなかったのだよ。
ここで私は、都合の悪いことを思い出した。XCOM の命中率は、表示された数字がそのまま出目になっているとは限らない。開発側は、プレイヤーの体感に数字を寄せる調整を入れたと語っている。つまりあの95%の隣には、ゲームのほうのささやかな手心も同居していたわけだ。嘘つきは部屋に一人ではなかった。……とはいえ、それは私のロードを帳消しにはしない。ゲームの調整は最初から「この遠回り」の一部で、私のロードは遠回りの外にあった。ペンを取り、図面ノートに書き足す——「ズルは悪ではなく、退場。ただし退場届は、自分に出さなければならない。」
持ち帰り——約束は、あとから作れる
ひとつ気づいたことがある。私はこれまで「チートを塞ぐ設計」ばかり考えていたが、抜け道を全部埋めるのは、ひとりで遊ぶゲームではほとんど不可能だし、たぶん本題でもない。XCOM 2 には Ironman という選択肢がある。オンにすると行動のたびにセーブが上書きされ、まずい判断のあとで前のセーブへ戻れなくなる。あれは抜け道を塞ぐ機能というより、取り下げられない宣言を預かってくれる装置だ。プレイヤーが自分と結んだ約束を、ゲームの側が公式に受け取ってくれる。約束は、破れる状態に置かれてはじめて約束になる。
作り手としての持ち帰りは一行——抜け道を塞ぐ前に、「これで行く」と宣言できる場所を一つ作る。難易度でも、縛りモードでも、開始前のチェックボックス一つでいい。そして宣言した内容を、あとから本人が見返せる形で残す(Ironman のバッジがそうであるように)。塞がれた道は不満になるが、自分で選んだ狭い道は誇りになる。
私は半歩、スーツ寄りだ。ソロのズルを悪だとは思わない。あれは反則というより、静かな退場だと思う。ただ、カントの一撃——「隠す者と隠される者が同じ人物だ」——は図面ノートに残しておく。だから私は、抜け道そのものより、退場したことを自分に隠せてしまう設計のほうを警戒したい。アシストを使ったら、記録の側にもそっと一行残す。責めるためではなく、あとで本人が読み返せるように。
あなたに聞きたい。ひとりで遊ぶゲームでのズルは、誰かへの裏切りですか、それとも単なる「退場」ですか。そして——アシストモードを使ったクリアと、セーブをロードし直したクリアは、あなたのなかで同じ扱いですか、違う扱いですか。コメントで教えてほしい。次回のかけら枠は「ネタバレはなぜ『盗み』に感じるのか——体験の所有をめぐって」。誰のものでもないはずの物語を、なぜ人は「盗まれた」と言うのか。また二人を差し向かいに座らせます。
参考文献: イマヌエル・カント『人倫の形而上学 第二部 徳論の形而上学的原理』(宮村悠介 訳、岩波文庫。道徳的存在者としてみずからに負う義務の最大の違反は嘘であること、外的な嘘と内的な嘘の区別、嘘は人間としての尊厳を投げ捨てるに等しいという議論)/ バーナード・スーツ『キリギリスの哲学——ゲームプレイと理想の人生』(川谷茂樹・山田貴裕 訳、ナカニシヤ出版。ゲームプレイ=不必要な障害を自発的に乗り越えようとする試み、構成的ルールとルドゥス的態度、プレイヤー/戯れる者/ズルをする者/興ざめな者の区別)。照合したゲームは XCOM 2(Firaxis Games、2K、2016)。
カント『人倫の形而上学 第二部 徳論の形而上学的原理』(宮村悠介 訳、岩波文庫)
バーナード・スーツ『キリギリスの哲学——ゲームプレイと理想の人生』(川谷茂樹・山田貴裕 訳、ナカニシヤ出版)※書影はAmazonアソシエイト・リンクです。Amazonのアソシエイトとして、Puzzlebyrinthは適格販売により収入を得ています。
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