RETRO-REVIEW · 2026-08-08
Baba Is You(2017年ジャム版)— 「Not There」が生んだ48時間の原型
コペンハーゲンのNordic Game Jamから2019年のSteamヒットへ。今も無料で遊べるitch.io版が語る、ルール操作パズルの起点
はじめに
これは2017年4月21日から23日、デンマーク・コペンハーゲンのDockenで開かれたNordic Game Jamの、48時間という制約の中で生まれた一本のプロトタイプの話である。この年は700人が参加し144本のゲームが提出された。テーマは「Not There(そこにない)」。ヘルシンキ大学の学生であったフィンランド人、アルヴィ・テイカリ(Hempuli)が単独で作り上げた『Baba Is You』は、このジャムで優勝を果たした。
多くの人が『Baba Is You』を知るのは、2019年3月13日にSteamとNintendo Switchで発売された完成版としてだろう。しかし、私がここで掘り返すのは、その2年前、無料で配布されたジャム版そのものである。テイカリ自身のitch.ioページ(hempuli.itch.io/baba-is-you)には、今なお当時のデモ版がダウンロード可能な形で置かれている——Steamの外側に、確かに残っている祖形だ。
氷は溶岩のそばで、なぜ溶けないのか(イメージ・AI生成)
その時代の文脈
Nordic Game Jamは2006年にコペンハーゲンで始まり、北欧最大級の規模に育ったゲームジャムである。2017年の会場はDocken。参加者は与えられたテーマのもとで数十時間のうちにゲームを完成させ、審査を受ける。テイカリはこの年、以前に手掛けたメトロイドヴァニア風の『Environmental Station Alpha』(2015年)を経て、ジャムの場に単独で参加していた。
彼が使った制作環境は、大規模スタジオの開発基盤ではない。Clickteam社のツール『Multimedia Fusion 2』と、友人ルーカス・メラーの助力によるLuaスクリプトの組み合わせだった。個人が趣味の延長で扱えるツールと、itch.ioという無料配布のプラットフォーム——この2010年代半ばのインディー制作文化が、48時間という極端な制約のもとで一つの発明を生む土壌となった。
48時間、テーマは「Not There」(イメージ・AI生成)
メカニクス
テイカリ自身の証言によれば、着想の起点は「Not There」というテーマそのものにあった。論理における「Not」の働き——ある概念Xを「Not X」と書くことで反転させる——を考えていた彼の頭に、溶岩のそばに置かれながら溶けない氷という像が浮かぶ。「ICE IS NOT MELT」という一文がそれを可能にする、というアイデアである。
彼は2019年のインタビューで、ジャム前に自分がプレイしていたゲームとして『Stephen's Sausage Roll』、『Snakebird』、『ゼリーのパズル(Jelly no Puzzle)』を挙げ、これらのターン制ブロックパズルからの影響と「Not X」という発想が組み合わさったと明言している。当初は各オブジェクトに既定の性質(氷は溶岩の近くで溶ける、など)を持たせ、それを「Not」で無効化する設計を考えていたが、開発の途中で「オブジェクトに既定の性質を持たせない」方が面白いと判断し、方針を転換した。意味のすべてを、盤面に置かれた言葉のルールだけから生まれさせる——この決断が、後の完成版の核となる。
ジャム版のBabaは、後年よく知られる山羊めいた生き物ではなく、アンテナのついたロボットとして構想されていた。友人ジェイソン・ボイヤーがファンアートで人型の山羊として描いたことをテイカリが気に入り、後にスプライトをその方向へ改めた——という経緯も、彼自身がのちに明かしている。48時間で仕上げられた原型は、見た目すら完成版とは異なっていたのである。
並んだ言葉が壊れれば、ルールも消える(イメージ・AI生成)
現代への系譜
ジャムでの優勝は始まりに過ぎなかった。『Baba Is You』は2018年のIndependent Games Festivalに学生部門で出品され、「Excellence in Design」と「Best Student Game」を受賞、最高賞であるSeumas McNally Grand Prizeにもノミネートされた。さらに、正式発売前の2018年4月、フランスの一業者がほぼ同じ見た目でApp Storeに模造品を公開する事件が起きている。テイカリはApple社フランス法人と協力してこれを削除させた——無料のプロトタイプが業界の注目を集めていたことを示す、苦い証拠でもある。
完成版は2019年3月13日、Steam・Nintendo Switch向けに発売され、同年のGame Developers Choice AwardsでBest DesignとInnovation Awardを、D.I.C.E. AwardsでOutstanding Achievement in Game Designを受賞した。2021年6月にはモバイル版が、同年11月には無料のレベルエディタ「Baba Make Level」が追加され、48時間のジャム作品は数年をかけて、数々の受賞歴を持つジャンルの代表作へと育っていった。
系譜はさらに先へ伸びる。2022年に発表された『Patrick's Parabox』の開発者パトリック・トレイナーは、Game Developer誌のインタビューで、自作のグリッド型パズル設計を語る際に『Baba Is You』を『Stephen's Sausage Roll』や『A Monster's Expedition』と並べて挙げ、これらのソコバン系パズルが持つ「盤面と物理性について考える」魅力から着想を得たと述べている。私はここで「Baba Is Youが直接Patrick's Paraboxを生んだ」と単純化するつもりはない。しかし、2017年のジャム会場でひとりのプログラマーが試した「言葉を押してルールを書き換える」という着想が、48時間の外側へ、そして他の設計者の手へと確かに渡っていったことは、証言として記録されている。
2017年のジャムから、2019年のSteamへ(イメージ・AI生成)
参考文献
本記事で参照した情報源:
・Independent Games Festival: Baba is You | Entry 2018(アーカイブ)
・GDC Vault: Reading the Rules of ‘Baba Is You’ (Arvi Teikari, GDC 2020)
・Gamasutra: Road to the IGF: Hempuli Oy’s Baba Is You(アーカイブ)
・Gamasutra: IGF Award-winning Baba Is You cloned before it was even released(アーカイブ)
・Game Developer: Designing the mind-bending puzzles in Patrick’s Parabox
おわりに
2017年4月、コペンハーゲンの会場で48時間のうちに書かれた一つの思いつきは、その時点ではまだロボットの姿をした、粗い試作品だった。しかし「ある概念を、盤面に置かれた言葉だけで定義し直す」という発想の核は、すでにそこに完成していた。2019年の商業的な成功、数々の受賞、そして他の設計者への影響——それらすべての種は、賞金のないジャム会場の、たった2日半に蒔かれていたのである。
歴史家としての私の関心は、この事実の順序にある。無料で公開されたitch.ioのジャム版は、今も消えていない。Steamに並ぶ完成版だけを見ていては、この発明がどこで生まれたかを見誤る。ルールを押して書き換えるという遊びの起点は、商品化される前の、無料で共有された試作品の中にあった——そのことを、私はここに記録しておきたい。
扉の外に、まだ置かれたままの原型(イメージ・AI生成)
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