DESIGNER-STUDY · 2026-08-20
Simon Flesser の哲学 — 難しさを、操作から謎へ移す
Year Walk・DEVICE 6・SPL-T・Lorelei and the Laser Eyes と、ボタン一つの世界
はじめに
サイモン・フレッセル(Simon Flesser)は、スウェーデン・マルメの二人組スタジオ Simogo の共同創業者である。日本語圏では、iOS の文字組み小説パズル『DEVICE 6』(2013)や、2024年に出た推理パズル『Lorelei and the Laser Eyes』の作り手、と言えば通じる人が増えてきた。だが名前で認識されている印象はまだ薄い。
この人を机に載せたのは、2025年に Simogo Legacy Collection が出て、2010年からの初期作が一つの窓にまとまったからだ。十五年ぶんの仕事が一望できる状態になった今なら、発言の並べ替えができる。ちょうど『Lorelei』が Thinky Awards の2024年 Game of the Year を獲った直後でもある(Wikipedia)。
並べてみて最初に引っかかったのは、矛盾に見える二つの発言だった。「We wanted anyone who had never held a controller to be able to play this game」(TouchArcade, 2024)。同じ作品について、別のインタビューでは自分のパズルの難度を「Very difficult」と言っている(Screen Rant, 2024)。番茶を淹れ直して、この二つがどう同居しているのかを追いかけた。以下は作品紹介ではなく、人物への考察である。
経歴 — iOS 一本足から、十五年
Simogo は2010年、サイモン・フレッセルとマグヌス・ガーデベック(Magnus "Gordon" Gardebäck)の二人がスウェーデン・マルメで設立した(Wikipedia)。スタジオ自身の説明は短い。「We're driven by the curiosity to explore interesting and surprising ideas」「We create all kinds of games, for all kinds of platforms」(Simogo 公式 About)。ジャンルもプラットフォームも宣言していないのが、この文章の特徴だと言える。
初期は iOS 専業だった。『Kosmo Spin』(2010)、『Bumpy Road』(2011)、『Beat Sneak Bandit』(2012)。転機は2013年で、スウェーデンの民間伝承を題材にした『Year Walk』と、活字レイアウトそのものを迷宮にした『DEVICE 6』が同じ年に出る。DEVICE 6 は Apple Design Award と IGF の音響部門を獲った。2015年にはブロックを分割し続けるだけの純粋パズル『SPL-T』、2019年に音楽アクション『Sayonara Wild Hearts』(BAFTA 芸術功労賞)、2024年に『Lorelei and the Laser Eyes』(Wikipedia)。
作風の振れ幅がかなり大きい。だがフレッセル本人は、この振れ幅を「挑戦」ではなく当たり前のことのように語る。『Year Walk』が前作までの明るさを捨てたときも、理由はこれだけだった。「we just create the things that we want to create and we had talked about doing something that felt a little more serious or perhaps dark for quite a while」(GodisaGeek, 2013)。
哲学 — 「誰も作っていないもの」を作る、という職業倫理
十年以上ぶれていない主張がある。目的は「ユニークなものを作ること」だ。2013年、DEVICE 6 のころに何を目指しているかと訊かれて、フレッセルは五語で答えている。「To make unique things, I think」(Pocket Gamer, 2013)。2024年にも、ほぼ同じことをもう少し個人的な言葉で言い直している。「Personally, I also want to make things that feel relevant, and for me that is to make things that no one else is making」(Hardcore Gamer, 2024)。
興味深いのは、これが芸術的野心というより職業的な健康法として語られていることだ。同じインタビューにこうある。「You want to try and find ways to make your work feel fulfilling, create things that surprise yourself」(Hardcore Gamer, 2024)。自分を驚かせること、が仕事の条件として置かれている。前作の続編を作らないという Simogo の実績は、宣言ではなくこの条件の帰結だと読める。
この裏返しとして、業界批判も一度だけはっきり口にしている。2013年、ゲームが似通っていくことについて。「I think that is one of the biggest problems of the gaming industry. It's culturally feeding itself, which in turns makes it uninteresting for people without a gaming background」(GodisaGeek, 2013)。ゲームがゲームを餌にして育つと、ゲーム文化の外にいる人には用のないものになる——この指摘は、後に見る「誰でも遊べるように」というこだわりと同じ根から出ている、と整理できる。
そして、そのやり方を貫くコストは自分たちで引き受けている。DEVICE 6 のような商業的に不利な作りで不安はなかったかと訊かれ、「Not worried, no. Although we were sure about the game's qualities and uniqueness, we were prepared for it to get a slightly more modest commercial reception」(Pocket Gamer, 2013)。売れなさを覚悟した上で出す、という言い方をしている。
こだわり — 操作を疑う癖と、暗号を置く距離
作品ごとに繰り返し出てくるのは、まず操作系を疑う癖である。2024年の言葉では「We always want to try and challenge established control-standards, and explore how things could be done differently」(TouchArcade, 2024)。この癖は2013年から確認できる。当時のスマホゲームが画面に描いた十字キーを、彼はこう切って捨てていた。「I wish virtual buttons could just dissappear and never be seen again」(GodisaGeek, 2013)。
ボタンを憎むだけでは設計にならない。彼が代わりに置いているのは「重さ」だ。『Lorelei』の操作について、「We want the game to feel deliberate, and players to commit to their choices」(TouchArcade, 2024)。一手を軽くしない、選んだ以上は引き受けさせる。ちなみにこの一ボタン方式は前作の現場で拾ったものだという。「The one-button approach was formed during Sayonara Wild Hearts as I was testing sections」(Hardcore Gamer, 2024)。前の作品の副産物が、次の作品の背骨になっている。
もう一つは暗号を置く距離への執着だ。ここは彼が最も具体的に手の内を明かしている箇所なので、そのまま引く。「The bigger puzzles would have their cipher distributed throughout the game, whereas the puzzles leading to that cipher should always have the clues close at hand」(Screen Rant, 2024)。大きい謎の鍵は世界中に散らす。その鍵にたどり着くための小さい謎は、手元に材料を揃えておく。難易度を数値ではなく距離で設計している、と読める。
そして本人が挙げる私的な好みが、この構造と噛み合っている。「I like symmetry and I like when you find symmetry between things」(Screen Rant, 2024)。彼が言う「見つける対称性」は、離れた二点が呼応していると気づく体験のことだろう。距離を置くのは、対称性を発見させるためだ、と整理できる。
失敗と、その引き受け方
本人が公に認めている弱点から。色である。「I'm not very good at colors and struggled a lot with them during Sayonara Wild Hearts」(Hardcore Gamer, 2024)。BAFTA の芸術功労賞を獲った作品について、当人が色で苦しんだと言っている。そのプロジェクト全体の評価も本人はこう置いている。「Sayonara Wild Hearts was a tough project」——対して『Lorelei』は「mostly a joy for the team to work on」(TouchArcade, 2024)。
自作のパズルへの反省も残っている。2013年、『Year Walk』のパズルについて。「If anything I think we might have made some of the puzzles a little on the easy side」(GodisaGeek, 2013)。この一文と、十一年後の「Very difficult」(Screen Rant, 2024)を並べると、彼のキャリアの一本の線が見えてくる。矛盾ではなく、2013年に書いた反省文の回収である、と私は読む。
そして、最も大きい「失敗」は作品の外にあった。初期の代表作がすべて iOS 専用だったために、OS が進むたびに遊べなくなる危険にさらされ続けたことだ。スタジオはこう書いている。「For many years we have talked about how we should approach the issue of preserving our mobile games, which are in constant danger of disappearing or ending up being unplayable with new OS versions or hardware configurations」(Simogo Legacy Collection)。
乗り越え方が、この人らしい。作り直さなかったのである。「We quickly came to the conclusion that this approach would not only be very time consuming—it wouldn't serve the actual purpose, which was to preserve our games」(同上)。ここで2013年の発言が効いてくる。当時、既存作を更新することについて彼はこう言っていた。「I think updates and changing games can sometimes feel a bit revisionistic」(GodisaGeek, 2013)。十二年後、自作が消えかけたときも、彼はその原則を曲げずに移設を選んだ。
ジレンマ — 「誰でも遊べる」と「とても難しい」を同じ箱に入れる
冒頭に置いた矛盾に戻る。「We wanted anyone who had never held a controller to be able to play this game」(TouchArcade, 2024)と「Very difficult」(Screen Rant, 2024)。フレッセル自身は、前者の理由をこう補足している。「One of the factors is that we want everyone to be able to play. You're sort of creating an even playground for players that have played games for a lot of — for all of their lives, and players that have never played a game before」(Screen Rant, 2024)。even playground——平らな運動場、という語が鍵だ。彼が均そうとしているのはパズルの難度ではなく、ゲーム経験の差から来る有利不利である。だから操作を一ボタンに削り、難しさは全部パズルの側に置いた。同居しているのではなく、置き場所を分けている。
二つ目のジレンマは、はっきり答えが割れる論点だ。攻略サイトを見られたら負けなのか。彼の答えは意外だった。「We think it's interesting if players need to understand the puzzles, even if they are looking at guides」(Screen Rant, 2024)。答えを教わっても、なお理解しないと先へ進めない設計にする、という趣旨で語っている。答えを隠す方向ではなく、答えを知っても理解が要る方向へ寄せた。
三つ目が、彼が最も苦しいと認めている調整である。パズルの手加減について訊かれ、「Very difficult. It's about communicating an idea, and you need to have the players understand how this stuff is connected, but you don't want to make it too obvious」(Screen Rant, 2024)。ここで難しいと言っているのはパズルではなく設計作業そのものだ。同じことを別の場で、もっと機械的な比喩で言い直している。「Creating and tuning them ultimately becomes a communication challenge, in which you tweak how much of the information you can obfuscate」(Hardcore Gamer, 2024)。どれだけ濁せるかのつまみを回す作業、と。
そして本人は、その作業の目的を「難しくすること」だとは言っていない。「Creating these types of cipher puzzles is maybe not so much about making them challenging as much as it is about making them interesting」(Hardcore Gamer, 2024)。成功の基準も、解けた人数ではない。「That it makes people think about things, and have ideas about things」(Screen Rant, 2024)。
四つ目は、詰まったプレイヤーをどうするかというジレンマへの、彼なりの逃げ道である。「Even though the puzzles are difficult, you never get stuck」「There is always something new to do. And the more you discover, the more you will understand how everything is connected」(TouchArcade, 2024)。ヒント機能で救うのではなく、常に別の入口を開けておく。難易度を下げずに手詰まりだけを消す、という発想だと整理できる。
影響源 — 本人が認めているもの
『Lorelei』について、フレッセルは影響源をかなり具体的に列挙している。「Films like L'Année dernière à Marienbad, books like the Magus, the work of Paul Auster and videogames like traditional adventure games and Resident Evil, Zelda and Metroid」(TouchArcade, 2024)。別のインタビューでは映画の重みを補強している。「The 1961 film L'année dernière à Marienbad was one of the biggest inspirations for the game」(Hardcore Gamer, 2024)。アラン・レネの『去年マリエンバートで』、ジョン・ファウルズの『魔術師』——時間と記憶の順序が壊れる作品群である。
作家からは、手法を一つ持ち帰っている。「The way Paul Auster describes fictional media within itself was inspirational」(Hardcore Gamer, 2024)。作中に架空の本や映画を書き込むオースターのやり方。『Lorelei』が館の中に無数の文書や上映を抱えているのは、この引用元をたどれば納得がいく。
ゲームからの影響では、2013年に一人だけ名指しした開発者がいる。日本の CiNG(『Another Code』『Hotel Dusk』)だ。「I really love how CiNG breaks down the borders between the player and the game by integrating the hardware into the story and puzzles」(Pocket Gamer, 2013)。ハードウェアそのものを物語とパズルに組み込む——DEVICE 6 が端末を回させ、スピーカーを鳴らし、画面の向きを謎の一部にしたことの出所が、ここに明示されている。
最後に、影響とは逆向きの参照。「We were also inspired generally by the trend of open world games, but we instead wanted to try and create an intimate world, instead of open」(TouchArcade, 2024)。流行から受け取ったのは方向ではなく反対語だった。open に対して intimate、という語の選び方に、この人の設計の癖がよく出ている。
Kizuki の読み — 難易度を、人格から座標へ
ここからは私 Kizuki の解釈であり、本人の発言ではない。フレッセルの十五年を並べて私が受け取ったのは、この人が難易度をゲームの人格ではなく、盤面上の座標として扱っているということだ。多くの作り手にとって難易度は作品の性格——親切な作品か、突き放す作品か——だが、彼の語り口ではそれが常に「どこに何を置くか」の話に変換される。鍵は遠くへ、その手前の材料は近くへ。操作からは難しさを抜き、パズルへ寄せる。ヒントで救うのではなく、別の扉を開けておく。彼が「Very difficult」と言うとき、それは指の難しさでも忍耐の難しさでもなく、離れた二点を結ぶ距離のことを指している。そして本人が成功の基準に置いたのは「解けた」ではなく「考えた」だった(Screen Rant, 2024)。だとすれば、彼にとって解答は目的地ではなく、対称性に気づかせるための合図にすぎないのだろう、と私は読む。
おわりに — どこから触れるか
この人を理解するのに一本選ぶなら『DEVICE 6』だと思う。文字組みそのものを迷路にした2013年の作品で、彼が言う「ハードウェアを物語とパズルに組み込む」という CiNG からの影響が最も剥き出しに出ている。長らく iOS 専用で遊べなくなりかけていたが、Simogo Legacy Collection に収録された。パズルとしての密度を先に見たいなら『Lorelei and the Laser Eyes』、抽象パズルの骨だけを見たいなら『SPL-T』(2015)である。
隣に置いて読むなら、当サイトの既存記事では、画面一枚に世界を閉じ込める設計を語った Ken Wong、言葉を捨てて世界を玩具にした Jakub Dvorský、そして「分からないままの時間」を設計したと語る Andrew Shouldice あたりが響き合う。とくに Shouldice の記事とは、詰まったプレイヤーをどう扱うかという一点で正面から比較できるはずだ。
番茶が冷めた。彼が2013年に書いた反省文を、2024年の作品で回収していたことを確認できただけでも、今日は収穫だったと言っておく。
参考文献
本記事で参照した一次資料:
・Pocket Gamer「Simogo's Simon Flesser - 'We tend to do things our way'」(DEVICE 6 期のインタビュー)2013年
・GodisaGeek「Interview: Year Walk Developer Simogo Co-Founder Simon Flesser」2013年4月
・Simogo 公式サイト「About Simogo」(スタジオ自身による説明)
・Simogo 公式サイト「Simogo Legacy Collection」(保存方針についてのスタジオ自身の記述)
補助的に参照した資料:
・Wikipedia「Simogo」(設立年・作品リスト・受賞歴の確認)
・Simogo 公式サイト「The Sensational December Machine」(2014年の短編プロジェクトの確認)
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