DESIGNER-STUDY · 2026-08-21

岩谷徹の哲学 — 迷路を、迷路に見せない

『パックマン』・四匹の性格・そして「引き算」で考えるということ

はじめに

岩谷徹(いわたに とおる)は、1980年にナムコで『パックマン』を企画した人物である。日本語圏で名前を知らない人は少ないだろうが、では彼が何を考えて設計していたかを一文で言えるかというと、案外難しい。「女性客を呼ぶために作った」という有名な話の先へ、あまり読まれていない気がする。

この人を机に載せたのは、スーザン・ラマーズの1986年の書籍『Programmers at Work』が、40周年版として2026年7月に刊行されると告知されているからだ(Programmers At Work 公式サイト)。あの本には、当時31歳の岩谷のインタビューが入っている。1986年の彼と、2011年に GDC の壇上に立った彼と、2015年に大学教員として講演した彼を、同じ机に並べて読める状態になったということだ。

並べてみると、一つ引っかかるものが出てくる。「パッと見てゲームの目的が分かること」を生涯かけて説いてきたこの人が、2011年には「単純なゲームの氾濫」を批判している。単純さの極北を作った人が、単純さを叱る。番茶を淹れ直して、この二つがどう同居しているのかを追いかけた。以下は『パックマン』の作品紹介ではなく、岩谷徹という人物への考察である。

経歴 — 「電動木馬から始まった会社」の企画者

岩谷は1955年生まれ。ナムコ(当時の中村製作所からの流れを継ぐ会社)に入り、ビデオゲームの企画を担当した。最初に手掛けたのはピンボールとビデオゲームを掛け合わせた『ジービー』(1978)、続いて『キューティQ』『ボムビー』。そして1980年の『パックマン』である。以後も企画・プロデュース職を続け、その後は大学に移った。

本人は2015年のインタビューで、現在地をこう説明している。「I left the video game industry to work at a university, and to pursue the study of Game Theory for social good」「Currently, I am teaching students Game Theory, Game Planning, and Serious Games in the Department of Game, Faculty of Arts at Tokyo Polytechnic University」(Geek Culture, 2015)。産業を離れて、遊びを学問として扱う側に回ったわけだ。

会社の出自についての彼の言い方も面白い。2016年のトークで「ナムコはVRから始まった会社」だと述べ、最初の製品が5円1プレイの電動木馬だったことから現在のVR研究までを一本の線で説明している(4Gamer, 2016)。木馬とVRを同じ棚に置く人だ、という点は覚えておいてよい。彼の設計論は基本的に「何が起きているか」ではなく「人がどう感じるか」で棚を作る。

哲学 — 引き算で、一目で、納得のいく失敗を

岩谷の哲学の芯は、2015年10月28日の日本オンラインゲーム協会主催の講演「ゲームを創るということは、人の心を知ること」に、かなりはっきり出ている。彼はそこで「足し算ではなく引き算で考える」べきだと述べ、『パックマン』は「何も足せない、何も引けないところまで考え抜いて」作ったと語っている(4Gamer, 2015)。

同じ講演で彼は、良い設計の条件をいくつか挙げている。パッと見てゲームの目的が分かること。ミスの理由が明確に理解できること。難度に「踊り場」を用意し、プレイヤーがゲームを手玉に取れる瞬間を作ること。前提にあるのは人間観のほうで、人は「FUN FIRST」であり、基本的に難しいことや苦しいことを歓迎しないと彼は言う。設計論の前に、まず「人はそんなに我慢しない」という認識が置かれている。

GDC 2011 の講演でも同じ話が出ている。プレイヤーが諦めかけるところまで追い込んだら、そこを越えたら易しい区間で報いる——記者はその趣旨をこうまとめている。「Players should approach giving up, then get rewarded with an easier section once they clear that hardship」(Game Developer, 2011)。

ここで1986年に戻る。ラマーズのインタビューで、彼はゴーストの波状攻撃をこう説明していた。「When a human being is constantly under attack like this, he becomes discouraged. So we developed the wave-patterned attack—attack then disperse」(Programmers at Work, 1986)。時間とともにゴーストは再集合し、波の山と谷は次第に浅くなっていく、という趣旨も続く。1986年の「波」と2015年の「踊り場」は、言葉が違うだけで同じ思想だ。三十年、彼はここを動かしていない。

こだわり — 動詞から始め、迷路を隠し、性格を分ける

一つめのこだわりは、動詞から始めることだ。2016年のトークで彼は、システム設計では「最初に“動詞”を考える」と説明し、『パックマン』の発想の道筋を「女性なら……ファッション……恋愛……“食べる”!」と再現している(4Gamer, 2016)。GDC 2011 でも同じ話を、より生活寄りの言い方でしている。「girls love to eat desserts – my wife often eats desserts. … The verb eat, that gave me a hint to create this game」(Game Developer, 2011)。撃つでも跳ぶでもなく、食べる。ここから全部が決まっている。

二つめは、私がこの人の設計でいちばん好きな部分だ。彼は迷路のゲームを作りながら、迷路を目立たせないようにした。「迷路というと敬遠する人もいると思ったので、目立たないように青く細いネオン管のようにして、黒をバックにすることで背景にスッと溶け込むようなデザインにしました」(バンダイナムコ「知新」インタビュー)。2016年のトークでも、壁が輪郭線だけなのは「面倒臭い迷路のゲーム」と思われないためだったと語っている(4Gamer, 2016)。迷路は必要だが、迷路の看板は要らない。パズルを作る人間として、この判断は重い。

三つめは、追う側に性格を配ることだ。四匹には「オイカケ」「マチブセ」「キマグレ」「オトボケ」という呼び名があり、それぞれ別の動き方をする(バンダイナムコ「知新」インタビュー)。2015年の講演では中身がより具体的に語られている。赤は常にパックマンを追跡、ピンクはその先の32ドット地点、青は点対称の位置、オレンジはランダム。そして全部を赤で統一すると「面白くなくなる」と彼は述べている(4Gamer, 2015)。

この三つは、どれも「引き算」の話ではない点に注意したい。動詞を一つに絞るのは引き算だが、四匹に別々の思考を持たせるのは明らかな足し算である。彼が削っているのはプレイヤーが理解しなければならない量で、増やしているのは盤面が返してくる反応の量だ。パックマン側の語彙は最小、ゴースト側の語彙は最大。この非対称は、彼の言う「引き算」が見た目の単純さの話ではないことを示している。

失敗と乗り越え方 — 『ジービー』は難しすぎた

岩谷が公に語っている失敗のうち、設計論に直結するものが一つある。デビュー作『ジービー』についての回顧だ。「『ジービー』では難しくしすぎてしまって、初期販売は伸びたけれども、売上がすぐにガクッと落ちてしまった」(バンダイナムコ「知新」インタビュー)。数字が出て、そして落ちた。彼はその落ち方を難易度のせいだと自分で言っている。

この一文を先に読んでから彼の難易度論を読むと、順番が逆だったことが分かる。「人は難しいことを歓迎しない」も「踊り場を作れ」も「諦めかけたら易しい区間で報いろ」も、抽象的な人間観から降ってきた原則ではない。売れ行きが落ちたグラフを一度見た人間が、その後三十年ぶん言い続けている実務的な教訓だと読める。

彼の検証の仕方も、同じ実務性の延長にある。社内テストでは「お昼休みにやってくれているかどうかが、人気のバロメーターのひとつでした」と述べている(バンダイナムコ「知新」インタビュー(中編))。義務で遊ぶかどうかではなく、休み時間に自発的に触るかどうかを見る。ロケーションテストで女性客が声を上げて遊んでいるのを確認して「コンセプトがきっちりと当たった」と判断した、という話も同じ手つきだ(同前編)。

ジレンマ — 上司の一色化圧力と、単純さへの叱責

彼が語っているジレンマの一つめは、組織の中で作家性を通す話だ。2015年の講演によれば、上司からゴーストを全部赤にすべきだという指示が出た。彼はそれに正面から反論するのではなく、社内40名にアンケートを取り、全員がカラフルな方を支持したというデータで経営側を説得した。相手の価値観を把握して、その相手に効く説得手段を選ぶべきだ、というのが彼の教訓である(4Gamer, 2015)。

面白いのは、同じ講演で彼がリーダー論として逆のことも言っている点だ。リーダーの最大の役割は意思決定であり、A案とB案に割れたら権限で即座に決めるべきで、時間をかけてデータを比較しろという指示は泥沼化のリスクがある、と。「間違う可能性を割り切る覚悟も必要」だとも述べている。若い頃の自分がデータで上を動かした話と、後年の自分が「データ比較を命じるな」と説く話が、同じ壇上に並んでいる。矛盾と言うより、立場が変わったことの正直な記録として読むべきだろう。

二つめが、この記事の入口に置いた引っかかりだ。2011年、彼は業界への警告として「When you look at games coming out today, it's doubtful that any of us will be talking about them in ten years' time」と述べ、その理由をこう説明している。「The reason I want to emphasize this is that starting last year or so, you've had this flood of very simple games on the iPhone and social networks and so forth」(Game Developer, 2011)。

『パックマン』は、四方向レバー一本で、目的が一目で分かる。単純さの見本のような設計だ。その作者が「単純なゲームの氾濫」を嫌う。ただし同じ記事で彼が使っている言葉をよく見ると、彼が求めているのは「very detailed, yet neat and approachable」であり、開発者は利益最大化を経営に任せて「think more about what games mean to them」であるべきだと言っている。叱っているのは単純さではなく、単純さの奥に何もないことだ——と、少なくとも本人の言葉の範囲ではそう読める。

影響源 — ホイジンガ、カイヨワ、マズロー、そして電車のぬいぐるみ

本人が明かしている理論的な下敷きは、2015年の講演にまとまっている。ホイジンガの「人間は遊ぶ存在」、カイヨワの遊びの四分類、マズローの欲求五段階説をベースに研究を進めていると彼は述べている(4Gamer, 2015)。企画者としての実務を、遊戯論と動機づけ理論の側から裏打ちしようとしている人だ、ということになる。

もう一つの影響源は、理論ではなく習慣のほうだ。同じ講演で彼は、日頃の「観察」の重要性を説いている。電車でぬいぐるみを持っている人を見たら、流行しているキャラクター、好まれるサイズ、持ち主の人となりまで観察して仮説を立てる。アイデア出しの会議では「どんな意見でも否定しない空気」が要る、周囲が失笑するようなアイデアがヒットすることも頻繁にあった、とも語っている。

そして『パックマン』の直接の種は、この観察の癖の中にあった。妻がよくデザートを食べている、という家庭内の観察が「食べる」という動詞に化けた(Game Developer, 2011)。当時のゲームセンターについての彼の言い方も観察の産物だ。「That was a playground for boys. It was dirty and smelly」。だから明るく清潔にしたかった、と彼は述べている。設計の出発点が、作品ではなく場所と人だった。

Kizuki の読み — 作者ではなく、観察者として設計する人

ここからは私の解釈である。岩谷徹を「単純さの人」と読むと、2011年の批判で必ずつまずく。私はこの人を、単純さの人ではなく徹底した観察者として読む。彼の設計はいつも作品の内側から始まっていない。汚くて臭いゲームセンター、デザートを食べる妻、昼休みに自発的に触るかどうかの社員、電車でぬいぐるみを持つ他人、そして売上が落ちた『ジービー』のグラフ。全部、外側の観察から入っている。だから壁は輪郭線でよかったのだ——「迷路」という言葉に人が身を引くのを、彼は先に見ていた。単純さは彼の美学ではなく、観察に対する応答の形にすぎない。そう置くと2011年の叱責も筋が通る。彼が怒っていたのは、単純さの手前で観察をやめた作り方に対してであって、単純さそれ自体ではない。そして『パックマン』を「今ここにいらっしゃる方をはじめ、本当に多くの皆さんの協力でつくられたもの」と言い、個人への過度な評価を退けるあの言い方も(バンダイナムコ「知新」インタビュー(中編))、作者を名乗らない観察者の一貫した姿勢として読める。

おわりに — どこから触れるか

岩谷徹を理解したければ、まず『パックマン』を「四匹がどう違うか」だけを見ながら数回遊ぶのがいい。赤に追われながら、ピンクが先回りしていることに気づく瞬間がある。あの気づきの設計が、彼の言う「ミスの理由が明確に理解できること」の実物だ。そのあとで『ジービー』の話を読むと、彼がなぜ難易度に踊り場を置いたのかの手触りが変わる。

読む順番としては、1986年のラマーズのインタビュー、2011年の GDC 講演、2015年の JOGA 講演の三点を、この順で並べるのが一番効く。三十年ぶんの言葉が、驚くほど動いていないことが分かる。動いているのは彼の立場だけだ。企画者から、プロデューサーへ、そして「目の見えない人を含めたあらゆる人に届くゲームを作りたい」と語る大学教員へ(4Gamer, 2015)。

関連して読むなら、当サイトのアレクセイ・パジトノフ(秩序をつくる遊びを終わらせない)と今林宏行(片づける荷物が片づけの邪魔をする)が近い。三人とも、盤面をほとんど増やさずに、人の側の反応だけを設計している。

参考文献

本記事で参照した一次資料:

・Programmers At Work 公式サイト「Toru Iwatani, 1986 PacMan Designer」(Susan M. Lammers『Programmers at Work』1986年収録の岩谷インタビュー紹介ページ。40周年版は2026年7月刊行予定と告知)

・Game Developer「GDC 2011: Pac-Man Creator Iwatani Discusses Female-Friendly Design Lessons」2011年3月2日(GDC 2011 本人講演のレポート)

・Game Developer「Pac-Man Creator Iwatani's 'Cautionary Message For The Industry'」2011年6月24日

・GDC Vault「Classic Game Postmortem: PAC-MAN」GDC 2011(岩谷徹 本人講演の映像)

・バンダイナムコ ファンファーレ「バンダイナムコ知新 第7回『パックマン』誕生秘話【前編】」(岩谷徹氏ほか開発関係者インタビュー)

・バンダイナムコ ファンファーレ「バンダイナムコ知新 第7回『パックマン』誕生秘話【中編】」(同)

・4Gamer「『パックマン』の生みの親,岩谷 徹氏が語るゲーム企画の神髄とは。JOGA主催の『ゲームを創るということは,人の心を知ること』セミナーレポート」2015年10月29日(2015年10月28日の本人講演)

・4Gamer「『パックマン』と『ゼビウス』の開発者が当時の秘話や将来的なゲームの姿を語った。“ナイト「GAME ON」第三夜”の模様をレポート」2016年5月31日(2016年5月27日の岩谷徹氏・遠藤雅伸氏トーク)

・Geek Culture「EXCLUSIVE: Interview with Toru Iwatani, creator of Pac-Man」2015年5月22日

本記事では引用していないが、関連する本人インタビュー:

・人工知能学会誌 34巻1号「ゲームAIの原点『パックマン』はいかにして生み出されたのか?:岩谷 徹インタビュー」(聞き手:三宅陽一郎、2019年)

補助的に参照した資料:

・Wikipedia「岩谷徹(ゲームクリエイター)」(生年・担当作品・所属の確認)

・Wikipedia「Tōru Iwatani」(経歴の確認)

リアクション(ログイン不要)

匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで

学ぶ — カリキュラム

学ぶ第8編 作り手編 — 設計者の哲学第19章 引き算と手触りの人たち11 / 11本

関連シリーズ

デザイナーの哲学第47回 / 全72回

次に読む

編集部からのおすすめ