ESSAY · 2026-09-29

「積む」のも遊びのうちか——買ったまま起動していない棚について

セネカとベンヤミンを差し向かいに座らせる、『Strange Horticulture』の棚の前で

起動していない棚と、名前のない鉢

夜。ウイスキーを一杯。Steam のライブラリに「未プレイ」の絞り込みをかけてみた。思っていたより長い列が出た。

セールで買ったもの。友だちに勧められて買ったもの。発売日に買って、なぜか開けていないもの。どれも、買った瞬間は本気だった。

世間ではこれを「積みゲー」と呼ぶ。少し後ろめたい響きがある。でも、本当に後ろめたいことなのか。積むのも、遊びのうちではないのか。

照合に選んだのは『Strange Horticulture』(Bad Viking、2022)。雨の町アンダーミアで、小さな植物店を営むゲームだ。

棚には鉢が並ぶ。プレイヤーは一冊の図鑑と手がかりを頼りに、どの鉢が何の植物かを一つずつ言い当てていく。まだ名前の分からない鉢も、同じ棚に並んでいる。

その棚を、私は一度も「借金」だと感じなかった。まだ知らない鉢は、店の一部に見えた。現実の棚とは、何が違うのだろう。

図解: 棚に12本の箱が並び、そのうち3本だけが色で塗られている。左に OWNED 12、右に PLAYED 3 の文字持っている数と、遊んだ数。12本のうち、色がついているのは3本だけ(図解・筆者作成)

図面ノートの余白で、二人が棚の前に立つ

というわけで、二人に座ってもらった。片方はローマのストア派の哲学者、セネカ。もう片方は、自分の蔵書を箱から出しながらエッセイを書いたヴァルター・ベンヤミン。以下の発言は、二人の著作から私が推測して組み立てたものだ。本人がこう言った記録ではない。

セネカ。「数えることから始めよう。『心の平静について』に書いた。持ち主が一生かけても目録すら読み切れない書物の山が、何の役に立つのか。多すぎる本は、学ぶ者を教えない。重荷になるだけだ。わずかな著者に身を預けるほうが、ずっといい」

ベンヤミン。「目録、とおっしゃいましたね。あなたが数えているのは本ではなく、背表紙の列です。私は『蔵書の荷解きをする』を、まだ棚に並んでいない本の前で書きました。木箱をこじ開けて、床に本が散らばっている。その状態のまま書いたんです」

セネカ。「散らかっているなら、なおさらだ。私は同じところで、書物が学問の道具ではなく、食堂の飾りになっていると嘆いた。読まれない本は、客に見せるための壁紙だ」

ベンヤミン。「見せるための本なら、私も嫌いです。でも蒐集家の本は、客のためにあるのではない。アナトール・フランスの話をしましょう。蔵書を見た客が聞いた。『これを全部お読みになったんですか』。彼は答えた。『十分の一も。あなたはセーヴルの食器を毎日お使いになりますか』」

セネカ。「皿は時間を食わない。いや、読まない本も時間は食わない、と言いたいのだろう。だが買う前に迷った時間、セールの画面を眺めた時間は、確かに消えている。『生の短さについて』にも書いた。私たちは短い生を授かったのではない。自分で短くしているのだ」

ベンヤミン。「その時間を、消えたと見るかどうかです。私の本には一冊ごとに、どの町の、どの店で、どんな日に手に入れたかが残っている。所有とは、人が物と結べるいちばん深い関係です。物が持ち主の中で生きるのではない。持ち主のほうが、物の中に住むのです」

セネカ。「住む、か。……それなら私の言う『わずかな著者に身を預けよ』と、そう遠くない。住むなら、数は少ないほうがいい」

ベンヤミン。「ええ。住みきれない数を買ったとき、棚はあなたの言う壁紙になる」

二人はここで、同じものを嫌っていた。数のための棚だ。セネカは時間の側から、ベンヤミンは記憶の側から、同じ一点を指している。問題は積むことではない。積んだ一本ずつに、手に入れたときの物語が付いているかどうかだ。

『Strange Horticulture』の棚が後ろめたくない理由も、ここで少し分かった。名前の分からない鉢にも、いつ、誰が持ち込んだかが付いている。あれは残り本数ではなく、店の記憶として並んでいる。

私は半歩ベンヤミン寄りだ。ただ、セネカの言う「住みきれない数」も、たしかにある。

持ち帰り——未プレイを「残り◯本」で見せない

持ち帰りを一行で書くなら——未プレイを「残り◯本」で見せない。手に入れたときの一行を、そのまま残す。

図面ノートで直した。自作パズルのパック画面に「未クリア 24」というカウンターを置いていた。これを消した。代わりに、まだ開けていない盤面の横に、解放した日付と、その日に解いた盤面の名前を小さく出す。

数字は急かす。日付は思い出させる。同じ「まだ」でも、画面の前の顔が違う。

この連載では前に、実績100%は誰のための完走かで「終わらせること」を考えた。ネタバレはなぜ「盗み」に感じるのかでは、体験の所有を扱った。今回は、体験する前の所有の話だ。『Strange Horticulture』そのものについてはレビューに書いた。

あなたに聞きたい。あなたの棚でいちばん長く眠っている一本は、どこで、どうやって手に入れたものですか。それをすぐ思い出せるなら、その一本はまだ遊びのうちかもしれない。コメントで教えてほしい。

次回のかけら枠は「ガチャは遊びか賭博か」。運を買うことの線引きを、また二人に裁いてもらいます。

画像について: 今回は Steam の画像サーバーに接続できず、スクリーンショットの中身を自分の目で確かめられなかった。確かめていない画像は載せない方針なので、ゲーム画像は入れていない。図は筆者作成の図解1点のみ。

参考文献: セネカ『生の短さについて 他二篇』(大西英文 訳、岩波文庫。「心の平静について」を収録) / ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(浅井健二郎 編訳、ちくま学芸文庫。「蔵書の荷解きをする」を収録)。

セネカ『生の短さについて 他二篇』(大西英文 訳、岩波文庫)セネカ『生の短さについて 他二篇』(大西英文 訳、岩波文庫)ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(浅井健二郎 編訳、ちくま学芸文庫)ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(浅井健二郎 編訳、ちくま学芸文庫)※書影はAmazonアソシエイト・リンクです。Amazonのアソシエイトとして、Puzzlebyrinthは適格販売により収入を得ています。

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