HISTORY · 2026-08-26
上海(1986) — 病室のPLATO端末から生まれた、世界一売れた牌合わせ
ブロディー・ロッカードが遺した規則が、45年後のSteamにまだ並んでいる
はじめに
今日、私が掘り出すのは麻雀牌でも遺跡でもない。マウスをクリックするだけで、積まれた牌を二枚ずつ消していく小さなパズルだ。名前は『上海』。1986年、アメリカのActivisionが発売した。
遊び方はごく単純である。だがこの規則の裏には、単純さとは正反対の物語が眠っている。書いたのは、当時大学生だったブロディー・ロッカード。彼は事故で首から下が動かなくなった、その直後の話だ。
山の中で、二枚だけが呼び合っている(イメージ・AI生成)
その時代の文脈
ロッカードは体操選手だった。1979年、スタンフォード大学の学生だった彼はトランポリンの練習中に事故に遭い、頸髄を損傷する。首から下は動かせず、人工呼吸器のいる生活が始まった。
入院中、彼はPLATO端末を求めた。PLATOはイリノイ大学発の教育用コンピューターシステムで、当時すでに一種の電子コミュニティを持っていた。運営元Control Data社の社員シンディ・ポールソンが、自宅・病室用の端末を彼に届けた。研究者ブライアン・ディアーは自著でこう評している——「PLATOの上では、彼の障害は問題にならなかった。PLATOは純粋な知性の交わりの場であり、ブロディーの知性は健全だったのだから」。
1981年、リハビリの合間に、入院患者の間で流行っていた麻雀の牌合わせ遊びを、彼は口に含んだマウススティックだけでPLATO上に実装した。最初の名前は、ただ『Mah-Jongg』だった。
PLATO端末が、動かない体の代わりに動いた(イメージ・AI生成)
メカニクス
遊びの規則は今も変わらない。144枚の牌——筒子・索子・萬子・風牌・三元牌・季節牌・花牌——を積み上げた山から、同じ絵柄の対だけを取り除いていく。取れるのは、左右どちらかの辺が空いている牌、かつ上に何も乗っていない牌だけだ。
見た目は単純だが、先読みが要る。将棋や囲碁のように、後の一手が詰むかどうかを見極めながら山を崩していく必要があるからだ。発売時、Activisionはこれを『タートル』という数百年前からの中国の遊びだと宣伝したが、ロッカード自身がそう語った記録はない。彼が作ったのは伝承の再現ではなく、1981年の新しい発明だった。
取れるのは、両端に隙間のある牌だけ(イメージ・AI生成)
現代への系譜
1986年7月、Activisionはロッカードの規則を『Shanghai』としてMacintosh用に発売した。1991年までに50万本を売り、翌1987年には日本でもサンソフトがアーケード版を稼働、1988年5月には日本のテーブル型稼働ユニット売上で4位に入った。
続編は止まらなかった。1989年に『上海II』、1990年前後に『Dragon's Eye』、1993年に『上海III』が続き、1990年にはMicrosoft Entertainment Packが自社版を『Taipei』の名で収録した。今日のWindowsには『Mahjong Titans』が標準搭載され、Microsoft Mahjongは数百万件規模のモバイルアプリになっている。
そして2026年の今、Steamのストアを覗くと『Mahjong Solitaire』『Mahjong Deluxe』など、この規則をそのまま使ったパズルが何十本も並ぶ。1981年、病室のPLATO端末に書かれた一つの規則が、45年経った今も、名前を変えながら生き続けている。
1981年の一つの点が、今日の並びへ続いている(イメージ・AI生成)
参考文献
本記事で参照した情報源:
・Wikipedia: Shanghai (video game)
・Tedium: Shanghai — How Brodie Lockard Overcame Adversity
おわりに
私が『上海』を掘り返して思うのは、パズルという遊びが、時に技術そのものより先に立つということだ。ロッカードにとってPLATOは、動かない体の代わりに考えを表現する道具だった。牌合わせの規則は、その道具が生んだ最初の果実だった。
彼の名前を知らずに『Mahjong Solitaire』を開く人は、世界中に何百万人もいるだろう。だが歴史家として言えることは一つだ。1979年の事故から1981年の発明までの、その二年間がなければ、その画面は存在しなかった。
山が崩れた後、最後に残る静けさ(イメージ・AI生成)
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