REVIEW · 2022-03-14
Hyperbolica
非ユークリッド空間は動詞になったのか、レビュー群を読む
はじめに
非ユークリッド幾何学でできた世界を、一人称で歩く。双曲空間では平行線が平行のままでいられず、少し歩くだけで見える景色が総取っ替えになる。球面空間では逆に、遠くのものほど大きく見える。その中に街と住人とミニゲームを配置したのが Hyperbolica だ。2022年3月14日にリリースされ、開発・発売はいずれも個人開発者 CodeParade。レンダリングパイプラインは必要に迫られて自作したと本人が語っている。
私はこの記事を、Steam に積み上がったユーザーレビュー群を読んで書く。2026-08-09 時点の評価ラベルは「非常に好評」、Steam での購入者 1,218 件のうち 84% が好評。購入外を含めた全レビューでは 1,320 件中、好評 1,097・不評 223 だ。数字の上では上々に見える。だが不評の 223 件は、驚くほど同じ一点を指している。
その一点とは「これはゲームなのか」である。CodeParade は開発期間の数年を YouTube の devlog として公開しており、レビュアーの相当数がその視聴者としてこの作品に到達した。つまり期待の高さと、期待の中身の両方が、発売前に作品の外側で形成されていた。レビュー群を読解する素材としては、これ以上ないほど条件が揃っている。
青空の下、地面が球のように強く湾曲した屋外。ドローンとオレンジ色の六角形リングが見える(Steam スクリーンショット)
第一印象
helpful 上位の positive レビューで最も票を集めているのは、作品の内容ではなく作者への驚嘆だ。エンジンを破壊して破片から作品を組み上げた狂科学者、デジタルのピカソ——最上位のレビューはその一言で終わっている。数学を専門にすると名乗るレビュアーは「自分にはこれが必要だった」と書き、そのすぐあとに「ゲームプレイだけを目当てにするなら勧めない」と付け足す。この二段構えが、positive 側のかなり典型的な形だ。
肯定側が繰り返す語は、fascinating、impressive、unique、そして tech demo である。tech demo という語が肯定的な文脈で堂々と使われるのは珍しい。彼らはこう言っている——これは技術のデモだが、そのデモが見せているものを他の誰も見せてくれない、と。ここで評価されているのは面白さではなく、観察解像度の書き換えそのものである。
一方、否定側の第一声はほぼ全員が同じ姿勢から始まる。「ずっと楽しみにしていた」「devlog を全部見ていた」。そのうえで落胆を書く。最も的確な要約は「中身のほうが小さい」という一行だろう。外から見た可能性のほうが、入ってみた中身より大きかった、という感覚だ。
夜の森。円盤状に描かれた地図の掲示物と、その脇に立つ黄色い箱型のロボット(Steam スクリーンショット)
世界観
賛否を問わず、レビュー群がほぼ全会一致で褒めている要素がひとつある。空間そのものの体験だ。とりわけ球面空間の農場と、無限に続くように見えるカフェの二か所は、肯定側でも否定側でも名指しで挙げられる。肯定側の表現で最も多いのは「見えている範囲より世界がずっと広いことに何度も驚かされる」というものだ。頭の中に地図を作ろうとして失敗する、という報告も繰り返し出てくる。
この「地図が作れない」は比喩ではない。開発者自身がインタビューで、双曲空間の地図を平らな紙に描くことは数学的に不可能であり、プレイヤーは目印の連鎖でしか位置を覚えられないと説明している。作中で配られる地図が円盤の形をしていて、縁に向かうほど情報が詰まっていくのはそのためだ。観察解像度をこれほど直接に問題にした作品は多くない。
ところが同じ性質が、不評の最大の根拠にもなる。双曲空間では同じ「広さ」に入る体積が指数的に増える。埋めるべき面積が普通のゲームより桁違いに多いのだ。否定側が繰り返す「似たような場所」「中身のないNPCの群れ」という不満は、この体積問題への回答が量産だったことを指している。減算で締めるのではなく、加算で埋めた。空間の性質がそのまま制作コストの罠になった珍しい例で、Manifold Garden が無限反復を「一種類の景色」に畳んで解決したのとは逆の方向に進んでいる。
淡いピンクのアーチ天井が連なる室内。テーブルと椅子の並ぶ手前に、縁ほど細かくなる円盤状の地図(Steam スクリーンショット)
メカニクスの言語化
否定側の中核的な主張は、驚くほど正確に言語化されている。曰く、この作品でジオメトリが本当に効いているのは、迷路と、箱を押すパズルと、地中の動物にまつわるパズルのいくつかだけで、それ以外の内容はユークリッド空間でもそのまま成立する。あるレビュアーは、まっすぐな柵の脇を歩き続けるには曲がり続けなければならない、とNPCが説明してくれる場面を挙げ、「それで終わりだった」と書く。性質は提示されたが、解に組み込まれなかった、という指摘だ。
Puzzlebyrinth の語彙に翻訳すると、これは動詞と文法の話になる。双曲空間はこの作品において徹底して文法である。距離・角度・向きの意味を書き換える規則の層だ。ところが動詞のほうは、歩く・話す・拾う・渡す、という汎用のまま据え置かれた。文法だけを差し替えて動詞を差し替えなかったとき、変化は背景に沈む。Antichamber が空間の非整合そのものを進行の鍵にし、Superliminal が遠近を「掴んで置く」という一個の動詞にまで落としたのと、ちょうど対になる位置にある。
興味深いのは、否定側のレビュアーが批判で終わらず設計案まで書いていることだ。エリアごとに双曲空間の性質をひとつ割り当て、プレイヤーがそれを使いこなせるように導き、後半でその積み重ねを前提とした難しいパズルを置くべきだった——複数のレビューがほぼ同じ提案に到達している。これは学習曲線の設計そのもので、レビュー群が自力で「足りなかったのは面数ではなく順序だ」という結論に辿り着いた形になっている。
一人称視点。赤い納屋の前の草地に水色に光る渦があり、手前には濃紺の筒状の道具、左には揺り椅子のピンクのロボット(Steam スクリーンショット)
操作の手触り
不満が最も密集しているのは、実はパズルではなくアクション寄りの場面だ。スキー、カフェでのスケート、雪合戦、ドローンレース、そして終盤の戦闘。否定側の語彙は floaty、unresponsive、frustrating に集中し、照準がない・当たり判定が大きい・上下に避けられないといった具体的な不満が並ぶ。スキーの一節を「クリアに30分かかった」と書くレビュアーもいる。日本語のレビューにも「この空間で制限時間のレースをさせるのはやめてほしい」という一行があった。
同じ場面を肯定側はまったく違う語で書く。ある長文レビューは、双曲空間では遠くのものが速く迫り、曲がり角の出口は直感よりずっと広い、だから普段なら簡単な滑走が真面目な学習曲線になる、と説明している。つまり両者は同じ現象を見ていて、片方はそれを「調整不足」と呼び、片方は「再学習」と呼んでいる。
酔いについても評価軸が割れる。VR で遊んだレビュアーは、歪んだ周辺視野を意識から外していないと胃が落ち着かない、と書きつつ「それだけで飯が食える」と続ける。肯定側でさえ nauseating という語を使う。一方、直近のレビューには「VR酔い耐性があるので何ともなかった、そもそも双曲空間から2Dへの射影なのでFOVの概念があまり効かない」という技術的な観察もある。体調の話が設計の話と地続きになっている、珍しい部類の作品だ。
設計として見れば、ここには収穫がある。アクションは距離と速度の見積もりが安定していることを前提にする。双曲空間はその前提を壊す層だ。だからこの空間はアクションと相性が悪い——それが実際に遊ばせて確かめられた、というのは十分に成果である。
一人称で赤いスキー板が見えている雪原。前方に木製のジャンプ台と赤い旗のポール、周囲に雪をかぶった針葉樹(Steam スクリーンショット)
参照したレビュー群
本記事は 2026-08-09 時点の Steam ユーザーレビュー群を読んで書いた。レビュー本文の直接引用はせず、繰り返し現れた典型的な主張を再構成している。
・Steam: Hyperbolica(非常に好評 / Very Positive、Steam での購入者 1,218 件中 84% が好評。全レビューは 1,320 件で好評 1,097・不評 223)
・helpful(全期間)順の positive 上位 6 件、negative 上位 10 件、日本語レビュー 3 件、および recent 順 10 件、合計 29 件を読了
・(開発者側の記述)Game Developer: Q&A: The mind-bending geometry of non-Euclidean experiment Hyperbolica(2021年、John Harris によるインタビュー)
結論
recent 順のレビューを読むと、論争は静まっている。2026年に書かれたものは総じて短く、そして好意的だ。「面白い幾何学の授業だった」「変な世界が好きなので生きていて良かった」といった二、三行が並ぶ。発売直後の熱と落胆はもう見当たらない。代わりに二つの声が残っている。ひとつは「この技術で、今度はゲームプレイに寄せた作品が見たい」。もうひとつは「8ドル以上は出さないと思う」。期待が下がり、価格も下がった状態で触れた人たちの、落ち着いた評価だ。
レビューから読み取れるクリア時間の中央値は、おおむね2〜4時間。長い人でも10時間を大きくは超えない。この尺で 12.99 ドルという価格が、賛否の分水嶺として何度も明示的に持ち出されている。金額の話に見えて、実際には「何に対して払っているのか」という定義の争いだった。エンジンにか、それともゲームにか。
Steam の 84% に対し、私は設計の観点から 7.0 を付ける。差は、文法を書き換えた仕事を高く買いながら、動詞を書き換えなかったことを減点しているという一点に尽きる。観察解像度を作り替える力は本物で、球面の農場と円盤の地図は、他のどこでも代替できない体験を提供している。一方、その空間を前提にしなければ解けない問題は数えるほどしか置かれておらず、埋め合わせに配置された大量のNPCが尺を薄めている。
誰に向くか、は比較的はっきりしている。幾何学そのものに興味がある人、Antichamber や Superliminal で空間の錯覚に惹かれた人には、ここでしか手に入らないものがある。逆に、歯応えのあるパズルの連なりを求めて来ると、レビュー群が二百件以上かけて言っている通りの落胆が待っている。なお CodeParade はその後 4D Golf を出しており、Steam のバンドルではこの二本が並んで売られている。技術の次に何を載せるかという問いに対する、作者自身の二度目の回答がそこにある。
緑のアーチ天井が連なる室内。画面上部に「41.53」「4/10」のタイマーとカウンタ、右下に大きなマグカップ(Steam スクリーンショット)
このゲーム、あなたは?
押すと「あなたの棚」に入ります(アカウントのページで見られます)。
リアクション(ログイン不要)
匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで
次に読む
関連レビュー
4D Golf
上下左右前後に加えて四つ目の軸がある空間を回る、一人称のミニゴルフパズル。断面を見比べながら四次元方向に向きを変え、隠れた通路や切り替わる重力を読んでカップを目指す。120以上のホールと四次元コースエディタを備えた、Hyperbolica の CodeParade による一作。
Return to Monkey Island
1990年代に途切れた海賊コメディの続きを、シリーズ創始者 Ron Gilbert が30年ぶりに引き受けたポイント&クリックアドベンチャー。画面下の動詞メニューを捨てた一体型の操作と、答えを段階的に開く劇中のヒント本を備え、Guybrush Threepwood がふたたび「モンキー島の秘密」を追う。
The Last Campfire
火の粉の姿をした主人公エンバーが、迷い込んだ地下の世界を歩き、動けなくなった魂たちの行く手をふさぐ小さな仕掛けを解いていく3Dのパズルアドベンチャー。No Man's Sky の Hello Games が絵本の形で作った一本。




