DESIGNER-STUDY · 2026-09-07
マーティン・ガードナーの哲学 — 知らないことを、読者への配慮に変える
『サイエンティフィック・アメリカン』「数学ゲーム」/ ヘキサフレクサゴン / ライフゲーム
「私は数学者ではない」と言い続けた人が、25年パズルを配り続けた
「私は徹底してジャーナリストだ。この分野で他の人がやっていることを、ただ書いているだけだ」(Cambridge University Press ブログ「The Martin Gardner Interview」2008 ↗)。マーティン・ガードナー(Martin Gardner)は、自分を数学者の側に置かなかった。同じ趣旨の発言は、彼のインタビューに何度も出てくる。
彼は25年間、雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』でパズルの連載を書いた。ヘキサフレクサゴン、ペントミノ、ソマキューブ、ライフゲーム。いま当たり前に知られているパズルの多くは、彼の連載を通って世界に出た。
それなのに本人は、数学の学位を持っていない。大学で専攻したのは哲学で、数学の授業は一つも取らなかった。今回はこの人を、作品ではなく人物として読む。
ヘキサフレクサゴンの解説動画より(YouTube チャンネル Numberphile「The Forgotten Flexagon」)
先に結論を書く。この人の哲学は「やさしく書く」ではない。「自分が分かっていないという事実を、原稿の難易度そのものに使う」だ。
哲学科の学部卒、雑誌ライター、そして1957年1月
1914年10月21日、オクラホマ州タルサに生まれた。1936年にシカゴ大学を哲学専攻で卒業。第二次世界大戦では海軍に従軍し、戦後ニューヨークへ移って雑誌ライターになった(MacTutor 数学史の伝記 ↗)。
経歴について本人はこう語っている。「私が就いてきた仕事は、だいたい行き当たりばったりだ。空きがあると誰かに聞いて、それで入った」(Cambridge ブログ part 2, 2008)。学位も学部で止まった。「学士より上の学位は取っていない」(Notices of the AMS, 2005)。
転機を作ったのは手品だった。連載の種になった記事の材料は、手品師の仲間から来た。「私の手品のつながりからだよ、信じられないだろうが」(Notices of the AMS, 2005)。
それがヘキサフレクサゴンの記事になる。1枚の紙を折って作る図形で、めくるたびに別の面が出てくる。彼は共同発明者のジョン・テューキーに会うためプリンストンまで行ったと語っている。記事は1956年12月号に載った。
編集者ジェラルド・ピールの一言が連載を生んだ。「これに似た素材は、定期連載になるくらいあるのか?」(Notices of the AMS, 2005)。1957年1月、「数学ゲーム」が始まる。連載は1981年まで続いた。
「私は徹底してジャーナリストだ」— 専門家の椅子に座らない
複数のインタビューを横断すると、主張は一つに絞れる。自分を専門家の位置に置かないことだ。1998年の対談でも同じことを言っている。「私の関心は広いが、初歩の水準を出ることはほとんどない」(Skeptical Inquirer「A Mind at Play」1998年3月 ↗)。
では何を強みだと考えていたのか。答えは意外に具体的だ。「『サイエンティフィック・アメリカン』でやっていた種類の連載には、それは有利だったと思う。書く対象を自分が理解しなければならなかったし、そのおかげで普通の読者が分かる書き方ができた」(Notices of the AMS 2005年6月号 インタビュー ↗)。
自伝ではもっと踏み込む。「コラムニストとしての成功の最大の秘密は、数学をあまり知らなかったことだ」(自伝『Undiluted Hocus-Pocus』2013年 / Gathering 4 Gardner による引用 ↗)。
学ぶ手段としての執筆も繰り返し語っている。「何かを学ぶのに、それについて書くよりよい方法はない」(Skeptical Inquirer, 1998)。彼は読者と同じ場所から出発することを、25年守り続けたと読める。
トポロジーと手品。この二つが何度も戻ってくる
題材の選び方には、はっきりした偏りがある。一つはトポロジー——形を曲げたり伸ばしたりしても変わらない性質を扱う分野だ。「トポロジーは私を惹きつける。とても基本的な性質を相手にしているからだ」(Notices of the AMS, 2005)。
もう一つは手品だ。「それが私の一番の趣味だ。有名な手品師たちと知り合えたのは楽しかった」(Cambridge ブログ, 2008)。しかもこの二つは彼の中でつながっている。「私が特に好きなのは、トポロジーの法則を破ることに基づいた手品だ」(Notices of the AMS, 2005)。
「Martin Gardner and Flexagons」(YouTube チャンネル Jill Britton)
「数学的な手品は、数学の構造の美しさと、トリックとしての面白さを合わせたものだ」(自伝より / Gathering 4 Gardner)。ヘキサフレクサゴンがまさにそれだった。紙を折るだけの手遊びなのに、めくると面が入れ替わる。
仕事のやり方も徹底していた。「娯楽数学の素材が載る数学誌を7誌か8誌購読していて、記事を切り抜いてはそれぞれのフォルダに入れていた」。そして「1本のコラムに対して、調べ物とメモの入ったフォルダが4つか5つあることもあった」(いずれも Notices of the AMS, 2005)。
学位も、専門も、経歴も「行き当たりばったり」だった
本人が公に語っている挫折は、派手なものではない。むしろ「なれなかったこと」の話だ。大学院はほとんど行っていない。「海軍を出たあと、GI法で彼のゼミを一つ取った。学部生のときではない。私が取った大学院の授業は、それだけだ」(Notices of the AMS, 2005)。
数学者にはならなかった。そのことをどう思っていたかも語っている。「シカゴ大学の学部生のときに哲学へ強い関心を持たなかったら、私は数学を専攻して専門家になり、この分野に何か貢献をしていたかもしれない」(MacTutor の伝記が引く本人の言葉 ↗)。
もう一つ、本人が「後悔」という言葉を使った領域がある。疑似科学の批判だ。「ある意味で、悪い科学を暴くことにあれだけ時間を使ったのを後悔している。あれの多くは時間の無駄だ」(Skeptical Inquirer, 1998)。
この一言は軽くない。彼の名は娯楽数学と同じくらい、懐疑主義の側でも知られている。その仕事を、本人が「多くは時間の無駄」と言い切っているのだ。
知らないことは、欠点なのか武器なのか
発言を並べていくと、同じ事実が正反対に評価される場面が出てくる。2005年の彼はこう言う。「私の数学の知識はとても低い水準だ。微積分までで、それより上で書かれている論文は何も理解できない」(Notices of the AMS, 2005)。
一方で自伝では、その同じ無知が「成功の最大の秘密」になっていた。同じ人が、同じ事実を、欠点としても資産として語っている。私はこれを言い間違いではなく、生涯かけて折り合いをつけた問題だと読む。
本人が実例を挙げている。ライフゲームだ。「私のコラムの中でも一番人気があったものの一つは、コンウェイのライフゲームを扱ったものだった」。そして続けてこう言う。「もし数学をもっと知っていたら、私はそれを特別だと思わなかったかもしれない。だが私は、半分素人のような立場からそれに近づいた」(Notices of the AMS, 2005)。
ライフゲームの発明者ジョン・コンウェイ本人が語る動画より(YouTube チャンネル Numberphile「Inventing Game of Life」)
もう一つのジレンマは、信仰と懐疑だ。懐疑主義の代表的な書き手でありながら、彼は自分をこう説明する。「私は学問の世界で言う『哲学的有神論者』だ」(Cambridge ブログ part 2, 2008)。「悪い科学は、この国が着実に愚かになっていくことに加担している」(Skeptical Inquirer, 1998)と書いた人が、同時に神を信じ続けた。本人はその両立を、隠すのではなく説明する側を選んでいる。
カルナップ、手品師たち、そしてルイス・キャロル
本人が認めている影響源は、はっきりしている。第一は哲学者ルドルフ・カルナップだ。「カルナップは私に大きな影響を与えた。形而上学の問いは、経験でも理性でも答えられないから無意味だ、と彼は私を納得させた」(Cambridge ブログ, 2008)。1998年の対談でも「カルナップは私に大きな影響を与えた」と繰り返している。
第二は手品師たちである。趣味であると同時に、題材の入口でもあった。連載の第一歩になったヘキサフレクサゴンを知ったのも、手品仲間からだった。
第三はルイス・キャロルだ。彼の『Annotated Alice』(注釈付き『不思議の国のアリス』)は「100万部以上売れた」と本人が語っている(Cambridge ブログ, 2008)。読書の原点は母だという。「母が私に『オズの魔法使い』を読んでくれた。私は母の肩越しに文字を見ていた。そうやって読み方を覚えた」(MacTutor の伝記が引く本人の言葉)。
忘れてはいけない影響源がもう一つある。読者と数学者たちだ。「娯楽数学に関心のある一流の数学者たちから、素材が届いていた」(Notices of the AMS, 2005)。彼の連載は一人で書いたものではなく、届いた素材を選び直す仕事でもあった。
Kizuki の読み — この人を私はどう読むか
ここからは私の解釈である。私はガードナーを「パズルを作った人」ではなく「難易度を設計した人」と読む。
パズルの設計でいちばん難しいのは、問題そのものではない。解く人がどこで詰まるかを見積もることだ。専門家はここでよく失敗する。分かってしまった人には、分からない状態がもう見えない。ガードナーの場合、その見積もりの装置が自分自身だった。微積分で止まる人間だから、微積分で止まる読者の景色がそのまま見えていた。
だから「知らなかったことが成功の秘密だ」という一言は、謙遜ではなく手法の説明だと私は読む。彼は自分の無知を消そうとしなかった。消さずに、読者の側に立つための計測器として使い切った。25年その計測器を壊さずにいられたことが、この人の一番の技術だったのではないか。
どこから触ると、この人が分かりやすいか
最初の1冊なら『Annotated Alice』を薦めたい。パズルの本ではないが、「読者が詰まるところに一言添える」という彼の芯が、注釈という形でいちばん素直に出ている。
手を動かすなら、ヘキサフレクサゴンを1枚折ってみるのが早い。紙とハサミだけで、連載の第一歩を自分の指で再現できる。
このサイトの記事なら、彼の連載が世界に押し出したパズルの側から辿るのも面白い。ペントミノ(1965)、ソマキューブ(1933)、そして彼が再評価したヘンリー・デュードニーとサム・ロイド。
人物への導線としては、彼を憧れの人と呼んだScott Kim、そして「発明ではなく発見だ」と言い続けたエルノー・ルービックが近い。
参考文献
本記事で参照した一次資料:
・Notices of the AMS 第52巻6号(2005年6月)「Interview with Martin Gardner」(聞き手 Donald J. Albers) ↗
・Cambridge University Press ブログ「The Martin Gardner Interview」(2008年9月・Albers による取材) ↗
・Cambridge University Press ブログ「The Martin Gardner Interview Part 2」(2008年9月25日) ↗
・Skeptical Inquirer「A Mind at Play: An Interview with Martin Gardner」(1998年3月・聞き手 Kendrick Frazier) ↗ / 全文再掲: Medium 版 ↗
・Gathering 4 Gardner「Who Was Martin Gardner?」(自伝からの本人発言の引用を含む) ↗
・自伝『Undiluted Hocus-Pocus: The Autobiography of Martin Gardner』(Princeton University Press, 2013) ↗
・MacTutor 数学史「Martin Gardner (1914-2010)」伝記(本人発言の引用を含む) ↗
本文中の画像として使用した動画:
・Numberphile「The Forgotten Flexagon」(YouTube) ↗
・Jill Britton「Martin Gardner and Flexagons」(YouTube) ↗
・Numberphile「Inventing Game of Life (John Conway)」(YouTube) ↗
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