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DESIGNER-STUDY · 2026-08-03

Scott Kim の哲学 — 正解を、解いた人のものにする

「パズルは楽しい。そして正解がある」という二行から四十年

はじめに — 「正解がある」と言い切った人

Scott Kim(スコット・キム、1955年生まれ)は、アメリカのパズル作家・ゲームデザイナーである。日本語圏では「アンビグラム(回転や鏡像で別の語に読める文字デザイン)の人」として知られているかもしれないが、この人の本業はもうひとつある。1990年に独立してから、『Discover』誌や『Games』誌に何千というパズルを書き、『Bejeweled 2』をはじめとする商業パズルゲームのパズルモードを設計してきた設計者だ(Neurology Now, 2009年9・10月号 ↗Jeremy Gibson Bond『Introduction to Game Design, Prototyping, and Development』第12章 ↗)。

私がいま彼を読み直したいのは、このサイトが扱ってきたほぼすべてのパズル作家が、意識するとしないとにかかわらず、彼が1999年と2000年の GDC で Alexey Pajitnov と組んで開いた終日ワークショップ「The Art of Puzzle Game Design」の下流にいるからだ。あの日の配布物は、その後四半世紀にわたって「パズルとは何か」の共通語彙になった。

この記事は作品紹介ではない。彼が公に書き、公に語ったものだけを横断して、この人が何を一貫して主張しているのかを読む。引用は原文を確認したものだけを使い、私の解釈は末尾の一節にまとめる。熱い番茶を淹れてから始めた。

経歴 — 音楽から入り、Tetris で進路を決めた

スタンフォード大学で1977年に音楽の学士を取り、1988年に「コンピュータとグラフィックデザイン」という自分で設計した専攻で博士号を取っている(Neurology Now, 2009 ↗)。1985年のインタビューでは、コンピュータを覚えた場所について「1975年にスタンフォードの音楽学部で計算機音楽の連続講義が始まった。重要なのは、それがスタンフォード人工知能研究所で行われていたことだ」と語り、そこを「私の培養地(breeding ground)」と呼んでいる(Programmers at Work, 1985年のインタビュー ↗)。同じ研究所には『ゲーデル、エッシャー、バッハ』のダグラス・ホフスタッターがいた。

パズル作家としての出発点はもっと早い。彼が最初に発明したパズル——一度だけ折られた紙が何の文字かを当てる「折られた文字」——は、マーティン・ガードナーが『Games』誌で紹介している(Scott Kim「What is a Puzzle?」 ↗)。SF作家のアイザック・アシモフは彼を「アルファベットのエッシャー」と呼んだ(Neurology Now, 2009 ↗)。

ゲームデザイナーになる決心は、80年代末に『テトリス』を遊んだときについた。「テトリスは古典的な幾何パズルを見事に翻案して、きわめて独創的なコンピュータゲーム——最初のコンピュータ・パズルゲーム——を作った。私はこう思った、これが自分の作りたいタイプのゲームだ、と」(Neurology Now, 2009 ↗)。その十年後、彼はそのテトリスの作者と並んで壇上に立つことになる。

哲学 — 「パズルは楽しい。そして正解がある」

彼の定義は二行しかない。「1. パズルは楽しい、2. そして正解がある」。本人はこれを、パズル収集家スタン・アイザックスとの会話から出てきた「私のお気に入りの定義」として紹介し、こう注釈する。「定義の第1部は、パズルが遊びの一形態であると言っている。第2部は、パズルをゲームや玩具のような他の遊びの形態から区別している」(「What is a Puzzle?」, The Games Cafe ↗)。二十年後の EG 2008 の講演でも、彼は同じ定義から話を始めている(TED / EG 2008「The art of puzzles」 ↗)。

重要なのは、この二行が対称ではないことだ。第2部の「正解がある」は客観的に検証できるが、第1部の「楽しい」は検証できない。彼自身がそう書いている。「しかし美と同じで、楽しさは見る者の目の中にある。ある人にとって楽しいものが、別の人には拷問かもしれない」。だから彼は、設計者の第一の仕事をこう定める。「パズル作家としての私の最初の仕事は、自分のパズルを聴衆の好みに合わせて仕立てることだ」(同)。

この「楽しさは主観、正解は客観」という非対称を彼は嘆かない。むしろそこから、彼のいちばん人柄の出る一文が出てくる。「世界中のどんな問題も、どれほど退屈なものであっても、それを解く機会に飛びつく人がどこかにいる——そう考えるとくすぐったい気持ちになる」(同)。皿洗いを苦役と見るか遊びと見るかは、聞く相手による、という文脈での発言である。

こだわり — まず玩具を作れ、操作で難しくするな

彼が繰り返し書く実務的な規範は、驚くほど数が少ない。第一に「良いパズルを設計するには、まず良い玩具を作れ」。理由も添えてある。「プレイヤーは、解に到達する前でも、パズルをいじっているだけで楽しめるべきだ」。彼はクロフォードの分類(ゲーム/パズル/玩具/物語)を借りて、玩具はパズルの下層にある土台だと位置づける(「What is a Puzzle?」 ↗)。テトリスは目標を知らなくてもブロックを回して楽しめる、というのが彼の例示だ。

第二に、難しさの出どころを取り違えるな。彼はルービックキューブを挙げる。「コンピュータ上のルービックキューブはひどい感触になる。三次元の物体を二次元のコントロールで操作するのは不器用だからだ」。そこから引き出す教訓は一行。「プレイヤーが挑むのはパズルそのものであって、パズルの操作系ではないことを確かめよ」(同)。二十数年前の文章だが、今のタッチ操作のパズルアプリにそのまま刺さる。

第三に、順序。GDC 1999 のスライドを後年ジェレミー・ギブソン・ボンドが教科書で整理したところによれば、彼の設計工程は八段階(着想/単純化/制作ツール/ルール/問題/テスト/順序/表現)で、そのうち「順序」の原則はこうだ——新しい概念は必ず単独で、最も初歩的な形で導入し、次にその概念だけで難度を上げ、最後に既知の概念と混ぜる(Bond, ch.12, GDC 1999 スライド97 を引用 ↗)。制作ツール(construction set)が問題作りより前に来ているのが、この人らしい。

そしてもうひとつ、作品を貫くのは「知覚の転換」への嗜好である。折られた文字も、図と地の反転も、アンビグラムも、答えは見えているのに解釈を切り替えないと見えない。「このパズルを解くには、絵の解釈のしかたを変えなければならない。個人的に、私はそうした知覚の転換を伴うパズルが好きだ」(「What is a Puzzle?」 ↗)。

失敗と乗り越え方 — 教室でうまくいき、教室を出た瞬間に負ける

ゲーム産業での失敗談を、彼は公にはあまり語っていない。私が読めた範囲で本人が繰り返し語る失敗は、別の戦場のものだ。数学教育である。2024年2月のブログで、彼は自分の敗け方を具体的に書いている。「まず私は教師に、生徒と数学ゲームで遊ぶ時間をくださいと懇願する。Rush Hour や Prime Climb や Set を教室に持ち込む。全員が遊んで楽しい時間を過ごす」。ここまでは成功する。「しかしそれから、すべてが『通常』に戻る。私は彼らに『楽しい』数学を見せただけだ。だが彼らの頭の中では、それは年に一度の遠足のような、逸脱した体験として囲い込まれる」(「Joyful Mathematics」2024年2月10日 ↗)。

この負けは一度ではない。「私が生きてきたあいだの数学改革は、ことごとく盛大にしくじってきた」と彼は書き、コモンコアを名指しで例に挙げている(「5 barriers to spreading joyful mathematics」2024年2月10日 ↗)。憧れの人であるマーティン・ガードナーが、40年やっても教育を動かせなかったと1998年に書き残していたことにも触れ、「彼が影響を与えられなかったと嘆いているのを聞くのは、身にこたえる」と述べている(同)。

乗り越え方として彼が選んだのは、正面突破ではなかった。「私個人の信念としては、従来型の数学教育は壊れ方がひどすぎて、漸進的な修理では直せない」。ではどうするか。「私は個人的に、カリキュラム標準をめぐる戦争に参加したくない。棒より人参のほうを好む。誰にでもより良いやり方を示す、魅力的な代替案を打ち立てることを提唱する」(「Joyful Mathematics」2024 ↗)。手本として彼が挙げるのは『セサミストリート』——義務化ではなく、面白さで一世代を引き込んだ例である。

設計者としての足元の失敗についても、一つだけ記録がある。ボンドの教科書は、Kim が長年の経験を積んだ後でも、簡単だと思ったパズルが驚くほど難しく、難しいと思ったパズルがあっさり解かれる、という事態に依然として遭遇すると伝えている(Bond, ch.12 ↗)。彼の八段階に「テスト」が独立した工程として入っているのは、たぶんこれが理由だ。

ジレンマ — 孤独な遊びに、競争の興奮をどう戻すか

本人が「私にとっての主要な課題のひとつ」と明記した葛藤がある。パズルは、ゲームと違って一人でやるものだ、という前提から出てくる問題だ。「ゲームデザイナーとしての私の主要な課題のひとつは、パズルゲームに競争のスリルをいくらか取り戻す方法を見つけることだ」(「What is a Puzzle?」 ↗)。彼はこの文を、ボードゲームの社交性を称える同僚のコラムに応答するかたちで書いている。オンラインのランキングやデイリー形式の共有が当たり前になる、ずっと前の話である。

もうひとつ、本人が明示的に「ジレンマ」と呼んではいないが、二つの発言のあいだに緊張が残っている論点がある。2000年前後の彼はこう書いていた。「遊びは日常生活のルールを一時停止することから始まり、実用的でないことをする許可を我々に与える。折られた文字にはたしかに実用的価値がない」(同)。ところが2009年の彼は、神経科学者リチャード・レスタックと組んで脳トレ本を準備しながらこう語る。「パズルは時間の無駄だと思うなら、ジョギングやヨガのような精神の運動だと考えればいい。パズルは楽しいだけでなく、あなたにとって良いものでもある」(Neurology Now, 2009 ↗)。実用でないことが遊びの条件だと書いた人が、実用性でパズルを売っている。

私はこれを転向とは読まない。読み方を変えたのだと読める。彼が2024年に到達した立場——「メカニクスだけを意味なしに教えれば、どんな科目でも興味を殺せる」(「Joyful Mathematics」2024 ↗)——は、有用性そのものを否定していない。有用性を先に置くと死ぬ、と言っている。順番の話なのだ。まず玩具を作れ、という彼の設計規範と、形が同じである。

三つ目は、聴衆に合わせることと、独創であることの折り合いだ。「私の最初の仕事は聴衆の好みに合わせること」と書く一方で、彼は他人の枠組みの中で作ることに興味がないとも述べている(EG 2008 講演 ↗ の要約より、AMS Graduate Student Blog, 2016 ↗)。『Discover』誌での彼の解法は妥協ではなく分割だった。一つのパズルを難度の違う複数の問いに割り、易しいものから難しいものまで並べる(「What is a Puzzle?」 ↗)。

影響源 — 本人が名前を挙げている人たち

定義の共同発明者として、彼はパズル収集家スタン・アイザックスを挙げる。分類の枠組みは、クリス・クロフォードの1984年の著書『The Art of Computer Game Design』から借りたと明記している。「まだこの主題について最も明晰な本だ」というのが彼の評価だ。遊びの精神については、バーナード・デコーヴンの『The Well Played Game』を「素晴らしい本」と呼び、その要点を「よく遊ばれたゲームでは、プレイヤーたちは全員にとってゲームを楽しく保つためにルールを変える意志を持つ」と要約している(すべて 「What is a Puzzle?」 ↗)。

マーティン・ガードナーについては、はっきり「私にとっての、そして多くの数学の芽にとってのヒーローだった。彼は歴史上の誰よりも多くの人に数学の喜びへの扉を開いた」と書いている(「5 barriers」2024 ↗)。作品の質感については本人の自己申告がある。自分のパズルを「テトリスと M.C. エッシャーの精神に沿ったもの——視覚的に刺激的で、思考を促し、広く訴求し、きわめて独創的」と説明している(Neurology Now, 2009 ↗)。

そして表記(notation)への信条。1985年、まだパズル作家として独立する前の彼は、こう語っている。「音楽であれ、言語であれ、コンピュータ言語であれ、すべての表記法はただの作りものだと理解することが重要だ。それらは変えることのできる記号だ。選択肢がある。表記を変える能力が、人間に力を与える」(Programmers at Work, 1985 ↗)。四十年後、彼が学校数学に対して怒っている理由——記号の再生産だけを教えている——は、この一文の裏返しである。

Kizuki の読み

ここからは私の解釈である。Scott Kim を、私は「正解の所有権を移す人」と読む。彼の定義の第2部——パズルには正解がある——と、彼が晩年に敵視している学校数学は、表面上まったく同じものを扱っている。どちらも正解がある。違うのは、その正解が誰のものかだ。学校では、正解は先に誰かが持っていて、生徒はそれを再生産する。パズルでは、正解は解いた人の側に、発見として立ち上がる。同じ「正解がある」でも、所有権の向きが逆なのだ。彼の設計規範がすべて「渡す順番」の話になっているのは、たぶんこのためだろう。まず玩具を渡してから目標を渡せ。新しい概念は単独で渡せ。有用性より先に意味を渡せ。四十年前に彼が「表記を変える能力が人間に力を与える」と言ったときの「力(empower)」も、記号を上手に扱う力ではなく、記号を自分のものとして持ち直す力のことだったと読める。彼が生涯かけて設計してきたのは、パズルというより、正解が他人のものから自分のものに変わるその一瞬なのだと思う。

おわりに — どこから触れるか

この人に最短で触れたいなら、まず「What is a Puzzle?」を読むのがいい。A4で五枚ぶんの短い文章に、彼の主張がほぼ全部入っている。次に EG 2008 の13分の講演で、折られた文字から図と地の反転まで、彼の発明が動く形で見られる。作品として遊ぶなら、彼がパズルモードを設計した『Bejeweled 2』が最も入手しやすい。

関連する導線としては、彼と壇上を共にした Alexey Pajitnov(designer-pajitnov ↗)、抽象を手触りに変えることを考え続けている Frank Lantz(designer-lantz ↗)、既知の遊びを作り替える Zach Gage(designer-gage ↗)あたりが近い。彼が教室に持ち込む道具のひとつ、ソマキューブについては当サイトにも記事がある(ソマキューブ(1933) ↗)。

参考文献

本記事で参照した資料(すべて本文を確認した):

Scott Kim「What is a Puzzle?」(本人執筆、The Games Cafe 掲載、scottkim.com 版の保存 PDF) ↗

Programmers at Work「Scott Kim」1985年のインタビュー抜粋(Susan Lammers 著、公式サイト掲載) ↗

Neurology Now / Brain & Life「Get to Know Scott Kim, the "Escher of the Alphabet"」2009年9・10月号(本人インタビュー) ↗

Scott Kim 本人ブログ「Joyful Mathematics — What it is and how to spread it」2024年2月10日 ↗

Scott Kim 本人ブログ「5 barriers to spreading joyful mathematics — and how to overcome them」2024年2月10日 ↗

TED / EG 2008「Scott Kim: The art of puzzles」(本人講演) ↗

Jeremy Gibson Bond『Introduction to Game Design, Prototyping, and Development』第12章「Puzzle Design」(Kim & Pajitnov, GDC 1999「The Art of Puzzle Game Design」のスライドを引用・整理した二次資料) ↗

AMS Graduate Student Blog「Scott Kim: The Power of Puzzle Creation」2016年6月29日(EG 2008 講演の要約、二次資料) ↗

The Life & Times of Video Games「Soundbite: Scott Kim shares a few secrets of puzzle design」2019年2月12日(音声インタビュー。本記事では引用していないが、さらに聴きたい読者への案内として挙げる) ↗

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