RETRO-REVIEW · 2026-09-07

ロードランナー(1983) — 一人で150面を作れず、隣の子に払った駄賃

その「編集モード」が、ボンバーマンを生んだ

はじめに

『ロードランナー』は、ダグラス・E・スミスが1983年6月にブローダーバンドから発売したパズルプラットフォーマーである。四角い主人公が足場のレンガに穴を掘って敵を落とし、金塊を拾いながら塔を昇る。それだけの構造で、世界中に広まった。

だが今日、私が掘り返したいのはゲーム本体の面白さではない。スミスが同梱した「編集モード」——遊び手が自分で面を作れる機能——の方だ。

独りで150面を作りきれなかった開発者が足したその機能は、のちに日本で一つの人気キャラクターを生み、40年以上先のSteamの棚にまで同じ発想の跡を残すことになる。

その時代の文脈

1981年、スミスはワシントン大学で建築と数値解析を学ぶ学生だった。友人らと大学のVAX-11/780に『Kong』というゲームを移植し、大学側に見つからないよう、偽のグラフ描画プログラムの中に隠して動かしていたという。

8歳の甥にせがまれ、彼は週末3日でApple II向けの版を書いた。最初のモノクロ版はブローダーバンドに一度断られている。カラーのビットマップに作り直し、ボタン一つで左右に穴を掘れる操作へ仕上げてから、ようやく契約に至った。

ブローダーバンドは1万ドルの前払いと23%のロイヤリティを提示した。スミスは別の版元からの10万ドル一括提示を断り、この契約を選んでいる。タイトルは当初『Miner』だったが、発売元の判断で『Lode Runner』へ改題された。

メカニクス — 六つの動詞と、独りでは作れなかった150面

動詞はたった六つ。上下左右への移動、左に穴を掘る、右に穴を掘る。それだけだ。スミスは面ごとに敵の動きを作り込む代わりに、面のデータを読んで敵を動かす汎用のエンジンを書いた。おかげで150面を同じ論理のまま量産できた。

それでも150面を独りで設計しきれず、スミスは近所の子どもたちに面ごとの駄賃を払って手伝わせたという。ブローダーバンドはそれらを難易度順に並べ、エディタ自体を製品の機能として残すようスミスに勧めた。

日本のファミコン版(ハドソン)は1984年7月20日発売である。長らく7月31日発売と伝えられてきたが、ハドソン関係者への取材によって7月20日が正しいと確認されている。この移植版にも、横14×縦13マスの画面を自作できるエディットモードが搭載された。任天堂自身の『エキサイトバイク』や『レッキングクルー』のエディタより先に、である。

1985年、コロコロコミック誌が開いた自作面コンテストには19万8533通もの応募が集まった。「遊ぶだけでなく作る」という発想を、当時の子どもたちがどれだけ本気で受け止めたかを示す数字である。

現代への系譜

この編集機能が思わぬ形で実を結んだ先が、ハドソン自身の『ボンバーマン』(ファミコン版、1985年12月20日発売)である。主人公の絵は、ハドソン版ロードランナーの敵キャラクターの絵を流用して作られたと伝えられている。ボンバーマン版のエンディングでは、爆弾魔がロードランナーの主人公に姿を変える。つまりこの作品は『ロードランナー』の前日譚として作られていたのである。

『テトリス』(1984年)の生みの親アレクセイ・パジトノフは、長年『ロードランナー』を自分の好きなパズルゲームに挙げていたという。私が以前書いた通り、モスクワの計算機科学者もまた、この穴掘りゲームに惹かれた一人だった。

スミスが1983年に選んだ道——ゲームと一緒にエディタを届け、遊び手を作り手に変える——は、その後も形を変えて繰り返されている。2012年、Valveは『Portal 2』に公式のパズルメーカーを追加し、Steam Workshopでの共有を可能にした。私が以前書いた『PuzzleScript』も、ルールとエディタを最初から手渡すという同じ発想の子孫の一つだ。両者にスミスからの直接の系譜があるとまでは言えない。だが「編集モードを本体機能にする」という選択そのものは、40年以上経っても古びていない。

参考文献

本記事で参照した情報源:

Wikipedia: Lode Runner

Wikipedia(日本語): ロードランナー

Wikipedia: Douglas E. Smith

The Digital Antiquarian: Lode Runner

GAME Watch:「ロードランナー」ファミコン版が40周年

Wikipedia: Bomberman (1983 video game)

Portal Wiki: Puzzle Creator

おわりに

スミスがエディタを足した理由は、案外身も蓋もない。独りで150面を作りきれなかっただけだ。だがこの慎ましい動機が、日本でひとつの人気キャラクターを生み、40年以上先のパズルゲーム設計にまで影を落とすとは、彼自身も予想していなかっただろう。

1983年6月、ブローダーバンドの棚に並んだ一本のフロッピー。その日付を、私はもう一度書いておきたい。地層はいつも、こういう小さな日付の下に埋まっているものだ。

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