RETRO-REVIEW · 2026-08-20
テトリス(1984) — モスクワの計算センターから来た、七つの駒の四十年
ペントミノを削って生まれた最小の規則が、鉄のカーテンを越えて世界最速のパズルになるまで
はじめに — 計算センターの余暇
1984年6月、モスクワのソ連科学アカデミー・ドロドニーツィン計算センターで、研究者アレクセイ・パジトノフが仕事の合間に一本のプログラムを書き上げた。四角い駒が上から落ちてきて積み重なり、横一列が隙間なく埋まるとその列が消える——それがテトリスだった。当時のパジトノフに、42年後の今日にまでこの規則が遊ばれ続けるという自覚はなかっただろう。
私はこれまで倉庫番(1982)やルービックキューブ(1974)のように、たった一つの単純な規則が数十年生き延びる例を辿ってきた。テトリスはその中でも極端な例である。駒はわずか四マス七種類、規則は「落ちる」「消える」の二語でほぼ言い尽くせる。それでいて、この作品をめぐる物語は、盤面の中身よりもよほど込み入った権利交渉の迷路を辿ることになる。
本稿では、ソ連の研究所の余暇から生まれたこの作品が、フロッピーディスクでモスクワの街を駆け巡り、東西の商社が奪い合う商品となり、1989年のゲームボーイという携帯機に落ち着き、さらに34年後の音楽体験にまで姿を変えるまでを辿る。
モスクワの計算センターで生まれた、落ちてくる七つの駒(イメージ・AI生成)
その時代の文脈 — ペントミノを削る
パジトノフは当時27歳、ドロドニーツィン計算センターで音声認識などの人工知能研究に従事していた。手元の計算機はソ連製のElektronika 60、米DEC社PDP-11の互換機である。グラフィック表示能力を持たないこの機械では、文字と括弧だけを使って盤面を表現するほかなかった。
着想源は、彼が愛好していたペントミノ——五つの正方形を組み合わせた12種類の図形を敷き詰めるパズル——だった。だがElektronika 60の非力さの前では、12種類すべてを表示・回転させる処理は重すぎた。パジトノフは図形を四つの正方形、七種類にまで削った。制約が生んだ妥協が、結果的に最も単純な解を生んだのである。これは1982年の倉庫番が「押す」という一語に絞り込んだ削ぎ落としの美学と、同じ根を持つ判断だと私は思う。
最初のバージョンにスコアもレベルもなかった。それでも、パジトノフの同僚たちは仕事そっちのけで夢中になったと伝えられている。
非力な計算機の前で、五マスの図形が四マスへ削られていく(イメージ・AI生成)
メカニクス — 港のない船が国境を越える
パジトノフは同僚ドミトリー・パヴロフスキーと、当時16歳だったヴァディム・ゲラシモフに声をかけ、IBM PC互換機への移植を進めた。Turbo Pascalによる書き直しには2ヶ月以上を要したという。ゲラシモフが色付けを、パヴロフスキーがスコア表示を加えた。
この移植版はフロッピーディスクを介して、誰の許可もなく複製されながらモスクワの計算機愛好家の間を駆け巡った。1986年までには、モスクワをはじめとするソ連の主要都市でIBM機を持つ者のほとんどがこのゲームを遊んだ、と伝えられている。作者に権利意識がないまま、作品だけが自由に街を旅していたのである。
当時のソ連の著作権法は個人の権利をほとんど保護しなかった。パジトノフはドロドニーツィン計算センターに10年間の権利を持たせることで後のトラブルを避けようとしたが、皮肉にもこの措置は、彼自身が対価を得る道を長く塞ぐことにもなった。
落ちて、積もって、消える——たった二つの動詞でできた盤面(イメージ・AI生成)
現代への系譜 — 版権戦争からゲームボーイ、そして音楽へ
1986年、ブダペストの研究機関に渡ったコピーを、英国商社アンドロメダのロバート・スタインが目にする。彼はテレックスでドロドニーツィン計算センターに接触してライセンス交渉を始め、権利をミラーソフト(英)とスペクトラム・ホロバイト(米)へ転売した。両社は1988年1月にそれぞれ発売したが、ソ連の国家貿易独占機関エルオルグ(Elektronorgtechnica)との正式な合意が成立したのは、発売開始よりも後の1988年5月のことだった。商品が権利契約に先行するという、奇妙な順序である。
続いてスペクトラム・ホロバイトから日本のバレットプルーフ・ソフトウェアのヘンク・ロジャースへ、さらにファミコン版権がテンゲン経由で渡り、1988年12月にファミコン版が日本国内で200万本を売った。だがロジャースが1989年2月にモスクワのエルオルグへファミコンのカートリッジを持参した際、担当者交代で着任したばかりのエフゲニー・ベリコフはこれを「無許可の出版」だと問い詰めた。ロジャースは4万ドルを超える小切手を切って和解し、携帯機の権利を確保する。任天堂はこの権利を得て、1989年6月14日にゲームボーイ版を発売、同機の同梱ソフトとして採用した。
この一本のカートリッジは、人気ソフトという枠を超えてゲームボーイという携帯機そのものを牽引した。2024年時点での売上は3500万本、テトリス全体では5億2000万本以上——ビデオゲーム史上二番目に売れたシリーズとされる。1996年、パジトノフとロジャースはエルオルグとの共同出資でザ・テトリス・カンパニーを設立し、以後の版権を一元管理する体制を整えた。
現代への接続点として、水口哲也が2018年に手掛けた『Tetris Effect』(Steam版『Tetris Effect: Connected』は2021年8月18日配信)がある。水口は音楽と同期させたテトリスを長年作りたいと語っており、実際にザ・テトリス・カンパニーのヘンク・ロジャース——1989年のゲームボーイ交渉の当事者その人——と2012年頃から企画を練った。遊び終えた後も落下するブロックが見え続けるという心理現象「テトリス効果」を、そのままゲーム名に据えたのである。1984年の四角い駒が、34年後には音と光の体験として再定義された。これは推測ではなく、両者の直接の協働として記録されている事実である。
版権書類の連なりが、やがて一台の携帯機に結晶する(イメージ・AI生成)
参考文献
本記事で参照した情報源:
・Tetris Effect: Connected 公式: Steam版配信告知(2021年7月15日)
・Steam: Tetris® Effect: Connected
・SUPERJUMP: Tetris at 40: The Twisting Tale of Its Journey to Handhelds
・Morning Brew: How Tetris crossed the Iron Curtain and took over the world
おわりに — 変わらない一つの重力
テトリスの規則は、初版から一文字も増えていない。「駒が落ちる」「列が埋まると消える」——このたった二つの動詞だけで、42年間、ギネス世界記録によれば少なくとも70種のプラットフォームに移植された、史上最も移植されたゲームであり続けている。
私がこれまで見てきたどのパズルよりも、テトリスの歴史は皮肉に満ちている。作者本人には何の見返りもないままコピーが国境を越え、版権を巡る争いだけが商業的に肥大化した。だが盤面に立ち返れば、そこにあるのは冷戦も特許も知らない、ただ重力に従って積み上がっていく七つの駒だけである。規則の強さとは、こういうことなのだと思う。
重力に従って積まれただけの、静かな盤面(イメージ・AI生成)
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