SOUNDTRACK · 2026-07-23
Vessel のサウンドトラック — 解くほどに曲が組み上がる水の音
Jon Hopkins(音楽) / Leonard J. Paul(ダイナミック実装)
はじめに — 薄暗い工場に滲む音
発明家 M・アークライトが、水でできた労働者「フルロ」を生み出してしまった蒸気仕掛けの世界。Komugi のレビューが扱ったこの液体パズル・プラットフォーマーを起動すると、まず耳に届くのは輪郭のやわらかい電子音の層だ。派手なメロディが名乗りを上げるのではなく、湿った低音とパッドが工場の暗がりに滲んでいく。だいたいのテンポは掴みにくいほど遅く、拍の角が水に丸められている。液体が画面を這う速度と、この音の重さがよく合っている。
音楽を書いたのは電子音楽家 Jon Hopkins。Domino から出したアルバム群で知られる人だ。ただし Vessel の面白いところは、彼が「この作品のために新曲を書き下ろした」のではない点にある。ここで鳴っているのは、Hopkins が既に世に出していた完成曲を、オーディオディレクター Leonard J. Paul のエンジンが解体して敷き直した音なのだ。最初の数歩で漂う『人工的なのに呼吸している』空気は、その解体の産物だと言っていい。
解くほど積み上がる — 報酬としての『曲の完成』
Vessel の音楽設計で一番の勘どころは、パズルの進捗と曲の厚みが結びついていることだ。ひとつの仕掛けに取りかかった時点では、音はなめらかで、背景の奥にそっと置かれている。プレイヤーがほどき方を掴み始めると、そこにドラムとベースが差し込まれ、音はだんだん複雑になる。そして仕掛けが解けきった瞬間、フル尺のトラックが鳴りきる。解の完成と、曲の完成が重ねてある。
この仕組みを可能にしたのが Leonard J. Paul だ。彼は GDC 2012 で「The Dynamic Audio of Vessel」と題した講演を行い、FMOD・Lua・C++ を土台に、グラニュラー合成、減算合成、レイヤー化したシーケンス、スペクトル層、LFO 変調、そして『非対称ループ』といった技法で Hopkins の音を動的に組み替えたと語っている。ここで私が唸ったのは非対称ループだ。長さの揃わないループを重ねると、繋ぎ目が予測できなくなり、同じ素材でも二度と同じ表情で戻ってこない。ループなのに、ループに聞こえない。
つまりこの音楽は、勝ったときに鳴る短い『ジャジャーン』ではない。プレイヤーは仕掛けと格闘しているあいだ、知らぬ間に曲を一枚ずつ積み上げている。解けた瞬間に鳴るのは、報酬として外から降ってくる音ではなく、自分が組み立ててきた曲の最後のピースなのだ。
書き下ろさない、という選択 — 完成曲を解体する勇気
もうひとつ書いておきたいのは、素材そのものの出所だ。Vessel が使うのは、Hopkins の 2009 年のアルバム『Insides』から7曲(同名曲「Vessel」を含む)、そして『Contact Note』から3曲。つまり合計10曲、すべて既発の完成トラックである。ゲームのために新録したのではなく、店に並んでいたレコードを持ち込んで、その場でステムに解いて鳴らしている。
これは作曲家にとって、かなり肝の据わった選択だ。完成された曲は普通、混ざりきって一枚岩になっている。それを後から要素へ分解し、パズルの進捗に合わせて出し入れできるということは、元の曲が『分解に耐える構造』で書かれていたことを意味する。Hopkins の Insides 期の音は、持続するパッド、粒立った電子音、後から立ち上がるリズムという層が比較的くっきり分かれている。だからこそ Paul のエンジンは、それを景色として敷いたり、前に押し出したりできた。既発曲の流用に見えて、その裏では『分解できる曲だったから成立した』という条件が効いている。
パズルとのアナロジー — 解も曲も、同じ順で像を結ぶ
私はいつも音楽を BPM で測る癖があるのだが、Vessel でメトロノームを当てる意味はあまりない。ここで対応しているのは拍の速さではなく、像が組み上がっていく順序だ。液体パズルの解は、一度に降ってはこない。フルロをどこへ流すか、どの光へ寄せるか、断片が頭の中で少しずつ噛み合い、最後にカチッと像を結ぶ。曲もまったく同じで、パッドの下敷きから始まり、リズムが差さり、最後の一層でようやく全体が見える。
だから解けた瞬間の快感は、二重になっている。パズルが解けた達成と、曲が完成した達成が、同じタイミングで重なる。Doremi として言えば、これは音楽が『進捗の可視化』を肩代わりしている状態だ。プレイヤーは自分がどれだけ近づいたかを、画面ではなく耳で測っている。無音でもなく、鳴りっぱなしのループでもなく、解の距離を音の厚みに翻訳する——Vessel の音楽は、そういう第三の位置に立っている。
聴くべきトラック — まずは同名曲から
ゲーム内では動的に解体された音だが、素材そのものは Hopkins の公式音源として通しで聴ける。まずはアルバム『Insides』収録の同名曲、そのまま「Vessel」から。粒立ったピアノとくすんだ電子音が、ゆっくり厚みを変えていく——ゲーム内であの音がどう敷かれ、どう前に出てきたかを思い出しながら聴くと、解体前の『一枚岩』の姿が見えて面白い。
続けて、ゲームが最も多く引いたアルバム『Insides』そのものを。リード曲「Light Through the Veins」は9分かけて像を結んでいく曲で、Vessel の『積み上がり』の思想と地続きだ(Jon Hopkins - Light Through The Veins (Official Audio) ↗)。公式音源はアーティストの Bandcamp と各配信、そして Steam で本編とともに手に入る。
おわりに — 私が盗むなら『分解に耐える構造』
自分が曲を作るなら、Vessel から盗むのは技法よりも設計思想のほうだ。動的音楽と聞くと、つい『縦の重ね(ステム)を用意する』という実装の話に寄りがちだが、Vessel が教えてくれるのはその手前——最初から分解を前提に、層の役割を分けて書いておくことだ。持続する景色の層、途中で立ち上がるリズムの層、最後に像を決める層。この3つを混ぜきらずに残しておけば、エンジンがなくても、後から自分の手で出し入れできる。既発曲すら動的音楽に化けたのは、元がそう書かれていたからだ。
そして非対称ループ。長さの違うループを重ねて繋ぎ目を溶かす手は、ゲームに限らず、待ち時間や環境音楽を書くときにそのまま効く。同じ素材で飽きさせない一番安上がりな方法だ。聴き直すなら、作業のBGMにではなく、何かを『解いている』最中に。締め切り前の頭が回っていない時間帯にこの音を流すと、進捗と音の厚みが不思議と同期してくる。液体の手触りごと味わいたければ、Komugi のレビューから本編へ。動的音楽の別解が聴きたければ、当欄の COCOON や FRACT OSC の回も隣に置いておく。
参考リンク
・Steam: Vessel(Strange Loop Games)
・Jon Hopkins 公式 Bandcamp: Insides(同名曲「Vessel」を収録)
・公式音源(Provided to YouTube by Just Music): Jon Hopkins - Vessel
・GDC Vault: The Dynamic Audio of Vessel(Leonard J. Paul, GDC 2012)
リアクション(ログイン不要)
匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで
関連シリーズ
パズルのサウンドトラック第53回 / 全53回
