ESSAY · 2026-08-08
遊びを4つに割る — カイヨワ『遊びと人間』を開く
新連載「遊びの正体」しっかり枠。ホイジンガから本を変えて、面白さを4つの衝動に分けてみる
遊ぶ人が、二手に分かれていた
深夜、ウイスキーを一杯。自分のサイトのプレイログを眺めていて、遊ぶ人が二手に分かれているのに気づいた。片方はタイムとランクを追い、毎日ベスト更新に血眼になっている。もう片方は、今日の盤面をだらだらいじって、解けても解けなくても平気な顔で閉じていく。同じパズルを、こんなに違う気持ちで触っている。これ、両方まとめて「遊び」と呼んでいいのか。
前回までホイジンガを読んできた。「遊びとは日常の外に張られた魔法円だ」という話だ。円の内側にいるという点では、タイムアタック勢もだらだら勢も同じ円に入っている。でも、円の中で何を求めているかがまるで違う。ホイジンガは「遊びとは何か」を一枚の絵で見せてくれたが、「遊びには何種類あるのか」はあまり割ってくれなかった。そこで今日から本を変える。ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』(原著1958年)を開く。
カイヨワは、ホイジンガに一言あった
カイヨワはフランスの社会学者で、『遊びと人間』はホイジンガ『ホモ・ルーデンス』への返事として書かれている。深く尊敬しつつ、はっきり一言あった。「あなたは競争(アゴン)ばかり見ている。運(アレア)を遊びから追い出しすぎだ」と。サイコロやくじ引きを一段低く見たホイジンガに対し、カイヨワは運も立派な遊びだと言い張る。読書ログとしては、この師匠への異議申し立てから入るのが面白い。
カイヨワはすべての遊びを4つの衝動に割る。アゴン(競争=腕を競い合う)、アレア(運=結果を運任せにする)、ミミクリ(模擬=別の誰かになりきる)、イリンクス(眩暈=感覚を揺さぶられて酔う)。この記事で使う専門語はこの4つだけに絞る。ギリシャ語やラテン語で厳めしく見えるが、中身は拍子抜けするほど日常的だ。じゃんけん、宝くじ、ごっこ遊び、ぐるぐるバット——全部この4つのどれかに入る。
なぜ社会学者の分類に、作り手がここまで食いつくのか。理由は単純だ。冒頭の二手——タイム勢とだらだら勢——が、この4つの言葉できれいに腑分けできる。タイム勢が欲しいのはアゴン(競争)、だらだら勢が浸っているのはイリンクス(眩暈)やミミクリ(なりきり)の縁だ。同じ盤面が、人によって別の衝動のスイッチを押している。「面白くない」という感想の半分は、たぶん「私の押したい衝動が、この設計では鳴らない」という意味なのだと思う。
4つの衝動に、4本のゲームを当てる
作り手として面白いのは、この4分類が今のゲームにそのまま刺さることだ。アゴンの純度が高いのは、たとえば『TETRIS 99』(Arika、2019年)。99人が同じ条件で並んで、腕だけで最後の1人を目指す。運の入り込む隙をできるだけ削ってあるのがアゴンの理想形だ。
アレアはその逆で、腕を手放して結果を運に預ける遊び。ガチャやくじがそれだ。ただ純粋なアレアはプレイヤーを受け身にする——回すだけ、待つだけ。だから今のゲームはアレアを単体で出さず、アゴンと混ぜることが多い。『Slay the Spire』(Mega Crit、2019年)で引く手札は運(アレア)だが、その札をどう使い切るかは腕(アゴン)だ。カイヨワの言う通り、面白い遊びはたいてい何かと何かが混ざっている。
ミミクリは、別の人生になりきる遊び。『The Sims』(Maxis、2000年)で他人の家庭を営むとき、私たちは自分ではない誰かを演じている。イリンクスは、感覚をわざと揺さぶって酔う遊び。『Tetris Effect』(Enhance、2018年)で音と光に飲まれて「ゾーン」に入るあの感じは、ぐるぐるバットやジェットコースターと地続きの眩暈だ。面白いのは、同じテトリスでも99は競争(アゴン)、Effectは眩暈(イリンクス)——器が同じでも、揺さぶってくる衝動が違うということ。
カイヨワはさらに、4つのどれにも「堕落した形」があると言う。アゴンは暴力やイカサマへ、アレアは迷信や依存へ、ミミクリは自分を見失う錯乱へ、イリンクスは酒や薬物へと滑り落ちる。ゲームに引きつければ、課金で勝ちを買うペイ・トゥ・ウィンは堕落したアゴンだし、やめ時を失うガチャは堕落したアレアだ。同じ衝動でも、規則の器に収まっているうちは遊びで、器から溢れた瞬間に毒になる。作り手が本当に設計しているのは、この「溢れさせない器」の側なのかもしれない。
パイディアからルドゥスへ — 遊びの中を走る坂道
カイヨワがホイジンガに足したもう一つの発明が、4つを縦に貫く一本の坂道だ。片方の端をパイディア(騒ぎ・即興・ルールなしのじゃれ合い)、もう片方をルドゥス(規則と努力でかっちり組み上げた遊び)と呼ぶ。同じアゴンでも、公園で「どっちが遠くまで走れる?」と叫ぶのはパイディア寄り、陸上競技の100m走はルドゥス寄りだ。遊びは4つに割れると同時に、いつもこの坂道の上を上ったり下りたりしている。
これがそのままパズルの手触りの説明になる。初めて触る日、ルールも分からずにマスをつつく——あれはパイディアだ。慣れて、最短手数や自己ベストを狙い出す——そこはもうルドゥス。作り手の仕事は、この坂道をなだらかに敷くことだと思う。いきなりルドゥスの急坂を見せれば初心者は回れ右で帰るし、いつまでもパイディアで転がしていれば飽きられる。前に書いた「魔法円を張る儀式」は円の入口の話だったが、パイディア→ルドゥスは、円に入ったあと奥へどこまで登らせるかという坂の話だ。
自分のサイトに引き寄せて考えると、この坂道の上り口と頂上には、いくつも取っ手がある。ルールを教えずにまず触らせるチュートリアル、失敗しても盤面が壊れないやり直し——これはパイディア側の取っ手だ。逆に、タイマー、手数表示、ランキング、実績——これはルドゥス側の取っ手。全部を最初から見せる必要はない。まずパイディアで安心させて円の奥へ入れ、慣れた頃にそっとルドゥスの取っ手を差し出す。この取っ手を置く順番こそが、難易度カーブの正体なのだと思う。
持ち帰り — パズルは、何を借りているか
今日の発見はこれだ。「面白さ」は一つの塊じゃなく、少なくとも4つの別々の衝動でできている。作り手が「もっと面白くしたい」と言うとき、そのうちどれを強くしたいのかを言えていないことが多い。持ち帰りを一行で書くなら——自分のパズルが4つのどれを主軸にしているかを一度紙に書き出し、そこに残り3つを“一滴”だけ足せないか考えること。
たとえばうちのデイリーパズルは、芯はアゴン+ルドゥス(腕と規則)だ。でも「今日の盤面」は自分で選んでいない——日替わりの出題は、ごく薄いアレア(運)を借りている。解けた瞬間の効果音と、はじけるアニメーションは、ほんの一滴のイリンクス(眩暈)だ。主軸を1本に定めながら、他の衝動を一滴ずつ混ぜる。カイヨワを読んで、自分が無意識にやっていたことにようやく名前がついた。図面ノートに4分類の表を描いて、うちのゲームを一つずつ当てはめてみた。今夜はここまで。
最後にあなたに聞きたい。あなたが今いちばん遊んでいるゲームは、アゴン・アレア・ミミクリ・イリンクスのどれが主軸だろう。そして、そこにこっそり混ざっている“一滴”は何だろう。コメントで教えてほしい。次回のしっかり枠はA照合型、ウィトゲンシュタイン「言語ゲーム」×『Baba Is You』。今日は遊びを4つに気持ちよく割ったが、次回は「そもそも“ゲーム”は一つの言葉で括れるのか」を、逆に疑ってみる回になる。
参考文献: ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫 訳、講談社学術文庫)/ ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫 訳、中公文庫)。
カイヨワ『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫 訳、講談社学術文庫)
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫 訳、中公文庫)※書影はAmazonアソシエイト・リンクです。Amazonのアソシエイトとして、Puzzlebyrinthは適格販売により収入を得ています。
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