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DESIGNER-STUDY · 2026-07-28

鍜治真起の哲学 — 教育ではなく、娯楽として置いていく

数独の名付け親が、手作りと「解く過程」にこだわり続けた理由

はじめに — 「見つけて、名前を付けただけ」の人

鍜治真起(かじ・まき、1951–2021)は、日本で最初のパズル専門誌『ニコリ』を1980年に創刊し、1983年に株式会社ニコリを設立した編集者・経営者である。1984年に米国の雑誌にあった「ナンバープレース」というパズルを自誌に載せ、「数字は独身に限る」を縮めて数独と名付けた。その名はいま100か国を超える国々で通じる。ただし彼はこのパズルの発明者ではない。生前、彼はその点をくり返し訂正していた。

私がこの人物をいま取り上げたいのは、パズルを「作る側」ではなく「置く側」に立ち続けた稀有な人物だからだ。彼自身はパズル制作の現場にほとんど関与していない。にもかかわらず、ニコリのパズルには誰が見ても分かる思想が通っている。作らずに、どうやって思想を作品に入れたのか。これは考察に値する。

本稿は作品紹介ではなく、鍜治真起という人物への考察である。故人であるから、いつも以上に慎重に扱いたい。引用は私が本文を確認できた一次資料に限り、本人の発言・第三者の証言・私の解釈を、それぞれ区別して書く(The Independent / Japan Focus 2007 ↗ / iNTOUCH → Tokyo Reporter 2010 ↗ / 情熱社長 2012 ↗ / J-Collabo 2012 ↗ / 日本経済新聞「文化」欄 2014(英訳) ↗)。

経歴 — テニス、競馬、印刷屋、そして一冊の雑誌

札幌に生まれ東京で育った鍜治は、中高をテニスに費やした。高校最後の国体でベスト8まで勝ち上がったが、次の試合の途中で足がつり、体力負けした。「私の体力では、今以上のランクは望めないことを思い知らされたのでした。人生最初の挫折でした」と本人は振り返っている(情熱社長 2012 ↗)。大学は中退。以後23歳ごろまで、日雇いの仕事と麻雀と競馬で暮らしたという。

その後、雑誌の出版社と印刷会社に勤める。無理な生活がたたって胃に穴が開き、入院。看護してくれた女性と結婚した——という経歴を、本人はあっけらかんと語っている。転機は1979年、幼馴染の女友達がアメリカ土産に持ってきた一冊のパズル雑誌だった。1年後に調べ直しても日本に同種の雑誌はなく、「“無いものなら、創れば売れる”と思いましたね」と本人は言っている(情熱社長 2012 ↗)。1980年、29歳で創刊号を出す。

ここで押さえておきたいのは、彼が「パズル好きが高じて業界に入った人」ではない、という点である。J-Collabo のインタビューでも、創刊のきっかけは「日本にパズル雑誌が無いこと」であって、パズルそのものへの偏愛ではない(J-Collabo 2012 ↗)。彼が最初に見たのは、パズルではなく空いている棚だった。この出自は、後の彼の判断のほとんどを説明してしまう。

哲学 — 教育ではない。娯楽である

複数のインタビューを横断して、最も一貫している主張はこれだ。パズルは娯楽であって、教育でも訓練でもない。2007年、彼はニコリがゲームを採否するときの基準をこう説明している。「We're not trying to make something educational. It is better to think of what we do as entertainment.(我々は教育的なものを作ろうとしているのではない。我々のしていることは娯楽と考えたほうがいい)」(The Independent / Japan Focus, 2007 ↗)。

この姿勢には出所がある。2014年の日本経済新聞「文化」欄に本人が寄せた文章に、40代後半の女性からの手紙の話が出てくる。病気の母を介護する彼女が、寝る前の15分の数独だけが現実から離れる時間だと書いてきた。「この手紙を読んだとき、脳トレだとか認知症予防だとか、そういう売り方は決してしないと自分に誓った。ただ気軽に楽しんでほしかっただけだ」(日経「文化」2014年8月25日/英訳版より拙訳 ↗)。最も売れる看板を、自分から降ろした話である。

同じ主張を、2010年には別の言い方でしている。「Training makes you stressful because you feel pressure to solve something, but sudoku is different. You can play just as long as it suits you. In that sense, it is like watching a movie.(トレーニングは、解かねばというプレッシャーでストレスになる。数独は違う。好きなだけ遊べばいい。その意味で映画を観るのに似ている)」(iNTOUCH 2010 ↗)。2012年にも「脳を鍛えるために使うのではなく、自分なりの楽しみ方を見つけて遊んでほしい」という趣旨で語っている(J-Collabo 2012 ↗)。7年にわたってブレていない。

もう一つ、設計論として明快な発言がある。「We make the entry point for each game relatively easy but the exit point difficult, so that ordinary people can join in.(入口は比較的易しく、出口は難しくする。普通の人が入ってこられるように)」(2007 ↗)。創刊当時の狙いも「難しすぎず、簡単すぎず」だったと本人は書いている(情熱社長 2012 ↗)。入口の設計を最優先する態度は、彼の全期間に共通している。

こだわり — 解いた結果ではなく、解く過程

ニコリ公式サイトに本人名義で載っている短文「Choose wisely」に、彼のこだわりが一文で出ている。「All the time, we have thought more about the solving process than the end results. This is a question of good taste – an issue that computers will never comprehend.(我々は常に、解き終えた結果よりも解く過程のほうを考えてきた。これは趣味の良し悪しの問題であり、コンピュータには決して理解できない領域だ)」(Nikoli "Why hand made" ↗)。同じ文章は「You may invent a program to create Sudoku puzzles, but you will never create Nikoli's Sudoku puzzles.」と締められる。挑発的だが、主張は一貫している。

手作りへの固執は、品質管理の話ではなく作者性の話だった。「We make up the puzzles by hand, not on computers, because then the character and individuality of the writer are allowed to come out.(手で作るのは、そうすれば作者の個性と人柄が出てくるからだ)」(2007 ↗)。2012年には「600人の作家がいて、誰が作ったかによって一問ごとに違う個性がある。解いていると15〜20分の短編映画を観たような感覚になる」という趣旨を語っている(J-Collabo 2012 ↗)。パズルを、無名の問題ではなく署名のある作品として扱う態度である。

その帰結が「作者と解答者の対話」というモチーフだ。2010年の取材では、手作り数独を解くことは作者と解答者の暗黙の対話を伴う、と説明したうえで「To solve one requires logic. It is not a matter of trial and error.(解くには論理が要る。試行錯誤の問題ではない)」と述べている(iNTOUCH 2010 ↗)。2014年の日経の文章でも「作者は解答者を驚かせようとし、解答者は作者の個性を楽しむ。この相互関係がパズルを進化させる」という趣旨を書いている(日経 2014/英訳版より拙訳 ↗)。

そして読者投稿。ニコリに載るパズルの大半は読者からの投稿である。2010年の時点で約8割、月に約1000問が届き、20人ほどの編集部が選別・調整していた(iNTOUCH 2010 ↗)。「インターネット以前から、我々は読者とやりとりをしていた。ただ問題を刷って『解け』と言うだけの海外の雑誌とは違う、双方向の関係を育てた」という趣旨の発言もある(同)。彼が作ったのはパズルではなく、パズルが集まってくる装置だった。

失敗と、その引き受け方

本人が公に語っている失敗から挙げる。まず創刊号。3人で金を出し合って自分の勤め先で印刷し、刷り上がった雑誌を手に取ってから定価を入れ忘れていたことに気づいた、と本人が書いている(情熱社長 2012 ↗)。書店を10軒回って1軒置いてもらえるかどうか、という滑り出しだったとも。

次に、当たるものが分からないという失敗。「We have no idea what makes something popular, so we try them out on the readers.(何が当たるのか我々には分からない。だから読者に試す)」「About once every five years, one suddenly takes off. It's as big a surprise to us as anybody else.(5年に一度くらい、突然どれかが跳ねる。我々にとっても他の誰にとっても同じくらい驚きだ)」(2007 ↗)。四半世紀やっても法則は掴めなかった、と彼は率直に認めている。

そして最大の「失敗」——数独の海外商標。彼は日本でしか商標を登録していなかった。2014年の日経の文章で本人はこう書いている。「数独がこれほど広まったのは、おそらく商標を取らなかったからだ。米紙ニューヨーク・タイムズはこれを brilliant mistake(見事な失敗)と表現した。それが本当にうれしかった」(日経 2014/英訳版より拙訳 ↗)。2007年の時点でも「金よりも、我々のパズルが世界中で爆発的に広がるのを見るほうがありがたい。それが私をとても幸せにする」と述べている(2007 ↗)。

ここで私は一つ指摘しておきたい。この「取らなかった」という語り口は、後年の第三者証言と少しズレる。日本数独協会の後藤好文は、2005年春に鍜治と自分でイギリスへ渡り商標取得を狙ったが、すでに一般名詞と判断され断念した、と証言している。そのうえで、鍜治は「ある程度は笑ってこらえていたと思う」が、結局は多くの人が数独を楽しめるほうがいいと言っていた、とも(nippon.com 2021、後藤好文の証言 ↗)。取らなかったのではなく、取りにいって取れなかった。本人の言葉が嘘だとは思わない。だが、失敗を受け入れて意味づけ直すまでに時間がかかった痕跡だと、私は読む。

ジレンマ — 広がるほど、手が届かなくなる

第一のジレンマは、普及と収益の非対称だ。数独が世界で遊ばれるほど、ニコリの取り分は小さくなる。2007年時点でニコリの年商は約400万ドル、社員22人。世界の数独市場に占めるニコリのシェアは2010年で約5%と報じられている(2007 ↗ / iNTOUCH 2010 ↗)。名付け親であることと儲けることは、彼の場合ほぼ無関係だった。

第二に、会社を大きくするかどうか。買収や大規模展開の申し出は年に何度も来ていたという。「I want to keep the company small and compact, like a submarine with a small family of employees who are close.(潜水艦のように、距離の近い少人数の家族的な会社で、小さくコンパクトに保ちたい)」「I like the idea of a specialist home-made cake shop that runs out at 3 pm, and then we all just go home.(午後3時に売り切れて、みんなで帰る手作りケーキ屋がいい)」(2007 ↗)。断り続けた本人の言葉である。一方で同じ記事は、彼が欧米へ年12回も出張し、出版社から次のヒットを迫られていたとも書いている。小さく保ちたい人が、世界中を回っていた

第三に、手作りへの固執と需要規模の矛盾。20人ほどの編集部が世界の数独需要を賄えるはずがない。この点については反論も記録されている。数独を英国に持ち込んだウェイン・グールドは、手作りの良さを概ね認めつつ、「作者の好みに引き込まれずに済む。コンピュータ生成なら毎問が新鮮で、過去作の知識も先入観も助けにならない」という趣旨で述べている(iNTOUCH 2010 ↗)。鍜治の言う「作者性」は、裏返せば「予測可能性」でもある。彼がこの反論に正面から答えた記録を、私は見つけられなかった。

第四に、教育需要との距離。数独は各国で数学の授業に使われ、彼自身も学校に呼ばれていた。「以前は数学の授業に呼ばれたが、最近は授業の外の科学やアートのイベントに招かれるようになった」と語りつつ、「教育目的で使われることは多いが、脳トレとしてではなく自分なりの楽しみ方で遊んでほしい」という趣旨を述べている(J-Collabo 2012 ↗)。需要を拒まず、しかし看板は掲げない。器用ではないが、筋は通っている。

影響源 — 一冊の米国誌と、競馬場

本人が認めている影響源は、意外なほど少ない。第一に、1979年に友人がアメリカから持ってきたパズル雑誌。そして1984年に米誌で見つけた「ナンバープレース」。競馬で負けた帰りの電車で、持ち歩いていた米国のパズル誌を開いた、と本人が書いている。英語は得意でないので説明を読まずに数字を書き込んでみたら解けてしまい、面白いと思った。丸善でバックナンバーを買い込み、試しに自分で作ってみたら作れた——これが始まりである(日経 2014/英訳版より拙訳 ↗)。

彼は自分が発明者でないことを終始明言していた。後藤好文は、各国のイベントで発明者として紹介されるたび鍜治が恐縮し、「いや、私は見つけて新しい名前を付けただけだ」と説明し続けていた、と証言している(nippon.com 2021 ↗)。なお同じ記事は、原型のナンバープレースを作った人物として米国の建築家 Howard Garns の名を挙げている。

第二の影響源は競馬である。社名ニコリは、1980年のアイリッシュ2000ギニーを勝った競走馬の名から取られた。彼は競馬の面白さとパズルの面白さを、はっきり同じものとして語っている。レースのゴールを見るのはパズルを解こうとするのに似ている——「The excitement of not knowing how it is going to end up is similar.(どう終わるか分からない興奮が似ている)」(2007 ↗)。同じ記事で、賭けは1日1万円までと自制していた、それは自制の訓練だとも述べている。

第三に、出版社と印刷会社での実務経験。本人は、両方で働いた経験があったから、やったことのない雑誌制作が容易になったと述べている(J-Collabo 2012 ↗)。パズル作家としての修業ではなく、紙とコストの現場感覚が彼の土台だった。ここも、彼が「作る側」でなく「置く側」に立った理由の一つだと考えられる。

Kizuki の読み — 編集者が、匿名の問題に署名を与えた

ここから先は私 Kizuki の解釈であり、本人の発言ではない。 私は鍜治真起を、デザイナーというよりパズルというジャンルに「作者」という概念を持ち込んだ編集者として読む。彼自身は問題をほとんど作っていない。彼が繰り返した「手作り」「解く過程」「作者と解答者の対話」の三点は、すべて一問一問に人間の署名を付けるという一つの操作に還元できる。新聞の片隅の匿名の暇つぶしだったものを、彼は600人の作家がいる場所に変えた。数独が四半世紀のあいだ日本で洗練され続けたのは、名付けでも普及でもなく、この操作のおかげだと私は考える。

そして、彼が生涯もっとも徹底したのは売り文句を持たないことだったのではないか。脳トレという最大の商機を、手紙一通を理由に自ら封じた人である。商標も取り損ね、会社も大きくせず、次のヒットの法則も掴めないと言い続けた。それは無欲というより、意味づけを解答者の側に明け渡す構えに見える。答えは作者が持っているが、面白さの理由は解く人が決める——彼の「教育ではなく娯楽」という言葉は、私にはそういう譲渡の宣言として響く。

おわりに — どこから触れるか

鍜治真起を理解したいなら、まず紙の数独を一問、時間を計らずに解いてみるのがいい。彼が「解いた結果より解く過程」と言ったこと、「入口は易しく、出口は難しく」と言ったことが、手を動かしている最中に確かめられる。余裕があれば、同じニコリ発のスリザーリンクやカックロにも触れてほしい。彼が「600人の作家」と呼んだ層の厚みが、パズルごとの手触りの差として出てくる。

人物として近い場所にいるのは、当サイトでも扱った今林宏行 ↗(倉庫番)だろう。日本のパズル文化を、一人の発明ではなく積み重ねの仕組みとして考えたい人には、両方を並べて読むことを勧めたい。コンピュータ生成と人手による設計という論点に関心があるなら、Alan Hazelden ↗Patrick Traynor ↗の記事が、現代のパズル作家が同じ問いにどう答えているかを補ってくれるはずだ。

参考文献

本記事で参照した一次資料(すべて本文を確認した):

David McNeill "Kaji Maki: First he gave us sudoku"(The Independent 2007年5月2日/The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 再録・増補版) ↗

"Sudoku singularity by puzzle master Maki Kaji"(iNTOUCH 2010年1月号/Tokyo Reporter 2010年2月4日再録) ↗

ニコリ公式 "Why hand made" — 鍜治真起 "Choose wisely"(金元信彦 "A well-made Sudoku is a pleasure to solve" 併載) ↗

J-Collabo "#10 Maki Kaji" インタビュー 2012年6月 ↗

情熱社長「株式会社ニコリ 代表取締役社長 鍜治 真起」2012年6月(日本語・本人語り) ↗

鍜治真起「世界の数独 本家の喜び」日本経済新聞「文化」欄 2014年8月25日(Japan Policy Forum 英訳版 2015年5月28日) ↗

nippon.com "Remembering Kaji Maki, the 'Father of Sūdoku'" 2021年(日本数独協会・後藤好文氏への取材/本人発言ではなく第三者証言として引用) ↗

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