DESIGNER-STUDY · 2026-07-30
Petri Purho の哲学 — 創造性は採点できないから、世界に委ねる
Crayon Physics Deluxe から Noita へ、変わらなかった一行と変わったもの
はじめに — 受賞の翌年に、自作を批判した人
Petri Purho(ペトリ・プルホ)は、フィンランド・ヘルシンキを拠点とするゲーム開発者である。クレヨンで描いた線が物理的な実体になるパズルゲーム『Crayon Physics Deluxe』で2008年のIGF大賞(Seumas McNally Grand Prize)を受賞し、現在は Nolla Games の3人のうちの1人として、全ピクセルをシミュレートするローグライト『Noita』を作っている。日本語圏では後者の作者として知られていることのほうが多いだろう。
私がこの人物をいま取り上げたい理由は単純だ。彼は「プレイヤーの創造性に報酬を出すゲーム」を作ろうとして、それに失敗した。しかもその失敗を、大賞受賞の翌年、GDCの壇上で自分から並べてみせた。取材記者はその講演を「自作への切れ味のよい批判で聴衆を驚かせた」と書いている(The A.V. Club, 2009 ↗)。設計者が自作の欠陥を最も詳しく知っている、という当たり前のことを、ここまで律儀に実演した人は多くない。
本稿は作品紹介ではなく、人物への考察である。引用は私が本文を確認した一次資料に限り、本人の発言・記者の記述・私の解釈をそれぞれ区別して書く。
経歴 — 月に1本という自罰
彼は2005年にフィンランドのスタジオ Frozenbyte でインターンとして業界に足を踏み入れ、『Shadowgrounds』とその続編に関わった。2006年、Experimental Gameplay Project に触発されて、自身のブログ Kloonigames で「月に1本ゲームを作る」を始めた(Game Developer, 2019 ↗)。1本にかける時間は原則1週間以内。
『Crayon Physics』はその中の1本で、5日でできたプロトタイプだった。動機を訊かれて彼はこう答えている。「何が自分を突き動かしたのかは言いにくい。たぶん、期限までにゲームを出せずに公衆の面前で恥をかく恐怖だ」(Gamasutra, 2007 ↗)。製品版『Deluxe』の動機についても「プロトタイプの人気と、あとやはり公衆の面前で恥をかく恐怖」と繰り返している。
2008年のIGF大賞以降は専業のインディーになった。理由の説明が彼らしい。「基本的には、金が尽きるまで自分のゲームを作って、尽きたら髪を切ってちゃんとした仕事に就こうと思っていた。幸い、まだ尽きていない」(Game Developer, 2019 ↗)。2016年に Olli Harjola(『The Swapper』)、Arvi Teikari(『Baba Is You』)と Nolla Games を設立。『Noita』の原型は2011年から彼が個人的に触っていた実験の延長線上にある。
哲学 — 「正しい解」ではなく「創造的な解」
彼の発言を年代順に並べると、驚くほど動かない一行がある。2007年、IGFノミネート時の取材で彼はこう説明している。「これはパズルゲームだが、他のパズルゲームとはこの意味で大きく違う。パズルの正しい解を見つけ出すゲームではない。創造的な解を思いつくゲームだ」(Gamasutra, 2007 ↗)。同じ取材で「2人のプレイヤーがまったく同じ遊び方をすることはない」と続けている。
2年後、GDCの Independent Games Summit で彼はほぼ同じ文を口にした。「このゲームはパズルの正しい解を見つけることではなく、創造的な解を見つけることについてのゲームだ」(Gamasutra, 2009 ↗)。設計の出自についても同じ場で説明している。『Armadillo Run』のような物理ゲームは工学的で解が1つか2つ、対極には『Line Rider』のようなサンドボックスがある。彼はその中間を狙った。
12年後の『Noita』でも、語彙が変わっただけで主張は同じだ。「高度にシミュレートされた世界は、探索する対象としてずっと豊かで、ずっと面白く感じられる。空間的に探索するだけでなく、システムの集合として探索できる」。彼はそれを「創発を生成する機構」と呼び、「我々にとってさえ、まだ発見するものがある」と書いている(Game Developer, 2019 ↗)。設計者が解の空間を閉じない、というのが一貫した主張だと読める。
こだわり — 捨てるために作る、そして道具を先に作る
第一のこだわりは量である。プロトタイプの効用を彼はこう語る。「プロトタイプを作るのは自分にはとてもうまく機能した」。理由のひとつは「悪いゲームのアイデアを自分の中から出しておける」ことだ(Gamasutra, 2009 ↗)。ダウンロード数という粗い指標が、どの試作が跳ねるかを教えてくれたとも語っている。通常2,000〜3,000だった数字が、『Crayon Physics』のプロトタイプでは初月2万5千に、YouTube動画が広まってからは25万に達した。
第二のこだわりは、完成像を持たないことだ。「グラフィックや効果音、メカニクスまで、どんなゲームにしたいかをよく分かって作ったプロトタイプがたくさんある。たいていそういうゲームが最悪の出来になる」(The A.V. Club, 2009 ↗)。だから彼は「まったくうまくいかないだろうけれど、後で何かに使えるか見るために作る」という作り方を許容できる、と説明している。
第三のこだわりは道具である。『Crayon Physics Deluxe』では、レベルより先にレベルエディタを作った(The A.V. Club, 2009 ↗)。良いエディタの条件を彼は2つ挙げる。習得が容易であること、そして小さな部品を組み合わせて大きなものを作れるだけ強力であること。良例として Wii の Mii エディタを、悪例として Photoshop を挙げている。「膨大なことができるが、習得に何時間もかかるので、実際に使う人の割合がごく小さくなる」。なお彼はユーザー生成コンテンツが機能しているかどうかの指標として、プレイヤーが下品な落書きをどれだけ描くかを挙げる冗談も口にしている。
細部の一貫性も付記しておく。2007年の『Crayon Physics Deluxe』と2019年の『Noita』は、剛体に同じライブラリ、Erin Catto の Box2D を使っている(Gamasutra, 2007 ↗ / Game Developer, 2019 ↗)。12年間、彼の世界の骨組みは同じ部品でできている。
失敗と、その語り方
小さな失敗から。2007年、「プロジェクトの最初に巻き戻せたら何を変えるか」と訊かれて彼は答えている。「大きくは変えない。自分で凹多角形の衝突判定アルゴリズムを書こうとした部分は飛ばす。散々苦労して動くようにしたのに、結局使わなかった。2週間の無駄だった」(Gamasutra, 2007 ↗)。
大きな失敗は構想そのものにある。取材記者の記述によれば、彼は当初「創造性を何らかの形で定量化し、右脳的な思考に報酬を与える」ゲームを構想していて、現実的な事情でその野心を縮小せざるを得なかったことに落胆した(The A.V. Club, 2009 ↗)。講演で彼が観客に投げた問いがそのまま残っている。「では、プレイヤーが創造的になっている瞬間をどうやって検出するのか?」。加えて彼は、多くの人は怠惰で最も簡単な解を選ぶ、とも指摘した。結果としてこのゲームはコアゲーマーにとって簡単すぎたし、自分のターゲット市場像が明確でなかったと振り返っている(Gamasutra, 2009 ↗)。
語り方が重要だ。彼はこう説明している。「講演で『自分のゲームはこんなに素晴らしい、ここが最高だ』というふうに話したくなかった。よくある宣伝みたいなことはしたくなかった。『これが自分がこのゲームで抱えた問題だ、もしかしたら君たちが解決策を思いつくかもしれない』と指摘したかった」(The A.V. Club, 2009 ↗)。失敗を自分の中に閉じず、共同体の未解決問題として置いていく作法である。
『Noita』でも同じ作法が続いている。「理論上すごい」案が実践で死んだ例を彼は自分から並べる。全部が崩壊する建物のなかで戦うアイデアは「理論上とてもクールに聞こえた。実際には、画面の下に瓦礫の山ができるだけになることがとても多かった」。四肢を撃ち落とせる物理シミュレーション敵も「見ていて面白いのは少しの間だけで、ゲームの手強い敵として本当に機能するのか」と自問して捨てている(Game Developer, 2019 ↗)。乗り越え方は一貫して同じで、実装して試し、駄目なら捨てる。
ジレンマ — 遊び場か目標か、そしてクローンへの四つの感情
最も鮮明なジレンマは「サンドボックスにするか、目標を置くか」だ。目標を全部外して純粋な遊び場にすることを考えたか、と訊かれた彼は答えている。「頭をよぎった。そもそもそこから始まった。レベルより先にレベルエディタを作って、サンドボックスモードでたくさん遊んで、それがこのゲームで一番面白い部分だと分かった」。それでも目標を残した理由も同じ答えの中にある。「でもゲームには、人に何かをさせる動機づけの、人を触発する素晴らしい構造がある。人が『World of Warcraft』に注ぎ込む時間数は正気じゃない。だから同じことを、もっと人にとって有用なことでやれるんじゃないかと思った。より創造的になることを学ぶような」(The A.V. Club, 2009 ↗)。
ここで前節の問題と噛み合う。創造性に報酬を出したいが、創造性は検出できない。報酬を出せる形に落とし込めば、人は最も簡単な解を選ぶ。彼はこのジレンマを解いていない。解けなかったことを壇上で言った。
クローン問題では、彼の感情が4つ並存している。まず怒り——最初の数本が出たとき「ゲームを作る火が少し奪われた」。次に受容——「クローンがたくさんあったことは、むしろ嬉しくもあった。『Crayon Physics』がそれでブランド名になったからだ。みんなそれらを『Crayon Physics クローン』と呼んでいた」。三つめに不快——iPhone向け『Touch Physics』が敬意の表明として金銭を申し出たが、受け取ることに気が進まなかった(Gamasutra, 2009 ↗)。四つめに悔い——「もっと時間をかけたかったのに、クローンが次々に出てくるから、押し出して終わらせるしかなかった。少し早く出さざるを得なかったと感じている」。同じ出来事について4つの感情を全部言う人は珍しい。
『Noita』期のジレンマはより技術的で、より辛辣だ。「複雑で写実的なシミュレーションが自動的に面白いゲームプレイになると考えるのは簡単だ。多くの場合、そうではない。シミュレーションは実のところ、より面白いゲームプレイの邪魔になりうる」(Game Developer, 2019 ↗)。同じ取材で彼は、技術と設計の非対称も述べている。「技術的な問いのほうがずっと答えやすい。60fpsで動いているか? はい、なら機能している」。対して「これは遊んで楽しいか? それは誰が遊ぶかによる」。
ここで私は、Kizuki の癖として一点だけ指摘しておきたい。2007年の彼は、影響源『Braid』から受け取ったものとして「プレイヤーが失敗を罰されないこと」を挙げていた。2019年の『Noita』はパーマデスである。矛盾と呼ぶのは早い——同じ取材で彼は、Spelunky に倣ってパーマデスと自動生成を選んだ理由を「暗記ではなく、様々な状況に適用できる形で学ぶため」と説明している(Game Developer, 2019 ↗)。罰の目的が「罰すること」から「学習の形を変えること」へ移った、と整理できる。
影響源 — 本人が認めているもの
『Crayon Physics』最大の意識的な影響源として彼が挙げるのは、Crockett Johnson の児童書『はろるどとむらさきのくれよん』である。ただし正直な注釈がつく。「実は作っていたとき、本は読んでいなかった。でも筋と、魔法のクレヨンのことは知っていた」(Gamasutra, 2007 ↗)。ゲームからの影響は2本。「物理パズルというもの全体は『Armadillo Run』から来ている。プレイヤーが何でも作れて、失敗を罰されないという部分は『Braid』から来ている。パヴロフ的な報酬システムの不在も『Braid』から拾ったものだ」。
クレヨンという画材の由来は偶然だ。彼はジョージ・W・ブッシュを題材にした別のゲーム『Daydreaming In The Oval Office』のタイトル画面を作っていて、「彼なら絶対にクレヨンを使う」と考えた。その質感をアルゴリズムで出せると気づいたとき、以前から考えていた「線を描く物理ゲーム」と結びついた。彼は「明るい色と陽気な音楽の、朗らかな子供向けゲームにはしたくなかった」とも語っている。「自分が実際に覚えている子供時代の感じ。よく世に出回っている、陽気で嘘っぽいほうではなく」(The A.V. Club, 2009 ↗)。
ゲーム外の影響源も本人が明言している。John Cage の『4分33秒』への執着(「音楽作品としてあまりに興味深い」)と、名前を思い出せないと前置きした上での「大きな空白のカンヴァス、白い絵画」。この2つから『4 Minutes And 33 Seconds Of Uniqueness』が生まれた(The A.V. Club, 2009 ↗)。同じ取材で彼は Jason Rohrer のアートゲームを、暴力でも笑いでもなく「より深い意味を持つ」ものとして評価している。好きなボードゲームは『カタンの開拓者たち』と『プエルトリコ』。
『Noita』の影響源は2つが明示されている。Derek Yu の『Spelunky』——「プレイヤーに、伝統的な直線的ゲームよりも体系的で深いレベルで世界の仕組みを学ばせた」(Game Developer, 2019 ↗)。もうひとつは杖システムで、Donald X. Vaccarino の『ドミニオン』のようなデッキ構築ゲームに着想を得ている。「プレイヤーが杖を改造するとき、デッキ構築ゲームのカードのように、杖の間で呪文を移動させられる」(80.lv, 2019 ↗)。
Kizuki の読み — 採点をやめ、審判を世界に渡した人
ここからは私の解釈である。本人がこう語ったわけではない。私は Purho の20年を、「創造性を採点しようとして失敗し、少しずつ採点者の席を降りていく過程」として読む。『Crayon Physics Deluxe』の彼は、創造性を検出して報酬を出す審判になりたかった。なれなかった。だから彼は次の作品で、審判を辞めた。『Noita』において、プレイヤーの解が有効かどうかを決めるのは彼の趣味ではない。油に火がつくか、氷が割れて敵の上に落ちるか、酸が壁を溶かすかは、ピクセル単位の規則が決める。彼は「創造的な解」を採点する必要から解放されている。だから彼は、自分の作品にまだ驚ける。2019年、彼は嬉しそうに報告している——頭上の敵を殺したら死体が落ちてランプを割り、こぼれた油をかぶって自分が燃えた、そんなことは一度も起きたことがなかった、と。採点をやめた設計者だけが、自分の盤面に客として座れる。私はそう読む。
おわりに — どこから触ると分かるか
この人を理解したいなら、まず『Crayon Physics Deluxe』を、レベルを進めずに触るのがいい。1つの面を10通りの方法で解いてみる。彼が壇上で「次の面へ行くために遊んでいるなら、それは要点を外している」という趣旨のことを認めた、その要点が体で分かる。次に『Noita』を1時間。おそらく死ぬ。死んだ理由が自分の判断のせいだと納得できたら、彼が Spelunky から受け取ったものを受け取ったことになる。
関連する導線も置いておく。『Noita』の共同開発者 Arvi Teikari ↗ は、ルールそのものを遊ばせる設計者だ。Purho が敬意を示した Jason Rohrer ↗ は、制約で人生と死を遊ばせる。3人を並べると、フィンランドと北米のインディーが2000年代後半に共有していた問題意識——「ゲームは何のためにあるのか」を、それぞれ別の方向から解こうとしていたことが見えてくる。
参考文献
本記事で参照した一次資料(すべて本文を確認した):
・Gamasutra「Road To The IGF: Crayon Physics Deluxe Sketches Self-Expression」2007年11月8日(本人インタビュー) ↗
・The A.V. Club「AVC at GDC '09: An Interview with Crayon Physicist Petri Purho」2009年3月28日(本人インタビュー) ↗
・Game Developer(旧 Gamasutra)「Road to the IGF: Nolla Games' Noita」2019年3月13日(本人インタビュー) ↗
・80.lv「Noita: a Game Based on Falling Sand Simulation」2019年4月5日(本人インタビュー) ↗
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