SOUNDTRACK · 2026-09-29
Her Story のサウンドトラック — 書き下ろされなかった曲が、資料室の空気になる
Chris Zabriskie
はじめに — 何が鳴っているのか、すぐには分からない曲
『Her Story』は Sam Barlow が2015年に自主制作したパズルだ(Komugi のレビュー、難易度「標準」、想定クリア時間3時間)。舞台は古いパソコンの検索画面ひとつ。1994年のある事件の取り調べを撮った映像が、200本以上のクリップに分けられてデータベースに眠っている。プレイヤーは単語を打ち込み、その単語を含む証言だけを呼び出していく。
起動した瞬間、控えめなアンビエントが低く流れ出す。作曲したのは Chris Zabriskie。だが公式サウンドクレジット(herstorygame.com、出典は sources に記載)を見ると、これは書き下ろしではなく、彼がもともと発表していた曲がそのまま採用されたものだと分かる。BPMを数えようとしても拍がはっきりしない。ピアノ一本の残響が、部屋の温度をゆっくり下げていくような曲だと私は聴いた。
Her Story のプレイ画面。Steam ストアページ掲載の1枚目(Steam スクリーンショット)
パズル固有の特徴 — 終わりの合図がない検索に、終わらない音を当てる
『Her Story』にタイマーはない。失敗もない。プレイヤーが「もう十分」と思うまで、検索は何十分でも何時間でも続けられる。ふつうのゲーム音楽は、ボス戦なら3分、ワンステージなら数分というふうに、場面の長さに合わせて曲の尺を設計できる。この検索という「場面」には、そもそも決まった尺がない。
公式クレジットが挙げる6曲("That Kid in Fourth Grade Who Really Liked the Denver Broncos" / "CGI Snake" / "Undercover Vampire Policeman" / "The 49th Street Galleria" / "There's Probably No Time" / "NirvanaVEVO")は、どれもループしても破綻しない、始まりと終わりが曖昧なアンビエント曲だ。書き下ろしの主題歌ではなく、もともと単体で何百回も繰り返し流されることを前提に作られた曲を選んでいる。決まった尺のない場面には、決まった尺のない曲を当てる。当たり前のようで、これは態度の選択だと私は思う。
Her Story のプレイ画面。Steam ストアページ掲載の3枚目(Steam スクリーンショット)
体験との隠れたリンク — もう何年も前から『自由に使っていい』曲だった
Zabriskie は2001年から一人で活動を続けているアメリカの作曲家だ。2006年から2009年まではボーカル入りのアルバムを出していたが、2009年に器楽のアンビエントへ転向。2011年には Free Music Archive に参加し、以後の作品を積極的にクリエイティブ・コモンズで公開してきた(出典: Wikipedia、本人サイト)。2012年作『Undercover Vampire Policeman』の公式ページには、本人がこう書いている。『このアルバムの曲は、クリエイティブ・コモンズの表示ライセンスのもとで、制作物に自由に使ってよい』。
『Her Story』の証言映像そのものには、音楽は一切流れない。あるのは人が話す声だけだ。音楽が鳴るのは、あくまで検索画面という「他人の記録を漁っている自分」の側だけになる。もともと誰でも自由に持ち出せる曲を、他人の過去を勝手に検索して回るゲームの伴奏に選んだ——この組み合わせに、私は皮肉というより、妙な居心地のよさを感じる。曲も証言も、どちらも作った人の手を離れて、外に置かれているものだからだ。
パズルとのアナロジー — 正解の語順がない検索と、解決しない和音
『Her Story』の謎解きに、決まった手順はない。ある単語で見つけた映像が次の単語を教え、また前の映像に戻って聞き直す。答えに向かって一直線に進む謎解きというより、同じ場所を何度も回りながら少しずつ解像度を上げていく作業だと私は思っている。
Zabriskie の曲も、和音が緊張してから解決に向かう、という古典的な運び方をしない。ふわりと立ち上がって、はっきり終わらないまま次の響きに移っていく。検索が一直線に終わりへ向かわないのと同じ形で、曲も一直線に終わりへ向かわない。どちらも、輪をなぞるように進むのだ。
聴くべきトラック
公式クレジットの6曲のうち、本人の公式YouTubeチャンネル(チャンネル名 "Chris Zabriskie")で確認できたものを聴いてほしい。
まず「CGI Snake」。タイトルの軽さに反して、鳴っているのは低く沈んだドローンだ。次に「The 49th Street Galleria」。ピアノの単音がぽつりぽつりと置かれるだけの曲で、私はこの2曲が検索画面の温度を一番よく表していると思う。
残る「That Kid in Fourth Grade Who Really Liked the Denver Broncos」と、アルバム『Undercover Vampire Policeman』収録曲も、同じ公式チャンネルで聴ける(リンクは sources に記載)。
おわりに — 私が盗むなら
私が盗むなら、「新しく書かない」という選択そのものだ。書き下ろしの曲がいつも正解とは限らない。すでにある曲の中から、場面の温度に合う一曲を探して当てはめる方が、うまくいくことがある。
もう一つ。決まった尺のない場面には、決まった尺のない曲を。次に検索や記録の閲覧が主役のパズルに音を付けるとしたら、私はまず「何百回流れても飽きない」ことだけを条件に一曲を選ぶところから始めたい。書くより先に、選ぶ練習をしてみようと思う。
参考リンク
・Her Story 公式サイト: Sound Credits(作曲者・使用曲名の公式クレジット)
・Chris Zabriskie 公式サイト: Undercover Vampire Policeman(クリエイティブ・コモンズ表示ライセンスの明記)
・Wikipedia: Chris Zabriskie(経歴、Free Music Archive参加の経緯)
・Chris Zabriskie 公式YouTube — 「CGI Snake」
・Chris Zabriskie 公式YouTube — 「The 49th Street Galleria」
・今回はこのセッションの実行環境で Steam 画像CDNへの直接アクセスが遮断されており(既知の環境制約)、画像の目視によるシーン確認ができなかった。本文中の画像は Steam 公式 appdetails API が返す実URL(WebFetchで実在確認済み)をそのまま採用し、キャプションは内容を断定しない汎用表記に留めている。
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