RETRO-REVIEW · 2026-07-22

English Country Tune(2011)— 卵の落ちる先が、動くたびに変わる巣

重力を疑うことから始まった、Increpareの最初の商業パズル

はじめに

2011年11月25日、Linux版から静かに配信が始まった一本のパズルゲームがある。English Country Tune。開発したのは Stephen Lavelle、ネット上では increpare の名で知られるロンドン在住の開発者だ。画面に映るのは無機質な格子と、そこに転がる小さな卵。プレイヤーは正方形のコマを操り、卵を「孵化器」へ押し込んでいく——最初の数面は、1982年の倉庫番をそのまま3Dにしたような、素直なブロック運びである。

だが、この見た目の親しみやすさは長くは続かない。卵には固有の「重力」があり、それはプレイヤーが直前にどちらへ動いたかによって決まる。同じ卵でも、こちらが上に進めば卵は上へ落ち、右に進めば右へ落ちる——押す側の歩みが、押される側の物理法則そのものを書き換えてしまうのだ。ここから17のワールドにわたって、規則はどこまでも姿を変えていく。

卵と孵化器の盤面のイメージ(AI生成)重力の定まらない卵と、静かな孵化器のイメージ(イメージ・AI生成)

その時代の文脈

2011年という年を、Lavelle自身の経歴から見ておく必要がある。彼は2004年から無料ゲームを作り続けてきた多作の作家で、2016年発行のギネス世界記録『Gamer's Edition』では、2008年から2014年の間だけで178本という数字とともに「最も多作なインディー開発者」として認定されている。生涯の総数は500本を超える。English Country Tune は、そんな彼が初めて有料で世に出した「商業作品」だった。

制作の出発点はゲームジャムである。プロトタイプは SpaceChem や Cogs に触発されて組まれたものだったが、Lavelle自身の言葉を借りれば「作っているうちに、ずっと大きく、まったく違うものに変わっていった」。完成作は2011年11月にLinux版が先行し、Mac・Windows・iOS版は2013年6月まで持ち越された。2012年の Independent Games Festival ではデザイン部門にノミネートされ、iOS版はMetacriticで4件の批評を集めて78点という評価を得ている——無料ゲームの奔流の中で、この一本は静かに「作家性」を証明していた。

2011年のノートPCとモバイル端末が並ぶイメージ(AI生成)ジャムから商業作へ渡る、2011年のインディー開発環境のイメージ(イメージ・AI生成)

メカニクス

序盤の「卵を孵化器へ」という課題は、実のところ罠に近い。卵は自分では動かず、プレイヤーが最後に踏んだ方向へ「落ちる」防御反応を示すため、こちらの一歩ごとに卵の落下方向が変わる。倉庫番であれば箱の位置だけを気にすればよいが、ここでは箱(卵)の物理法則そのものが、プレイヤーの移動履歴に依存して揺れ動く。

ワールドが進むと、こんどは「クジラ」が現れる。クジラ本体は動かせず、そこから放たれる光の梁を押すことで間接的に位置を操作する——直接触れられないものを、周辺の力線を介して動かすという発想は、ブロックパズルの「角を避ける」という定石を根本から書き換える。3Dグリッドはプレイヤーの位置に追従して回転し、undoキーとカメラ操作だけが、この不寛容な設計に対する唯一の救済だった。批評家はこれを「頑固なまでに譲らない」設計と評した。

立方体ごとに異なる重力の向きを示す図解のイメージ(AI生成)盤面ごとに書き換わる重力の向きのイメージ(イメージ・AI生成)

現代への系譜

English Country Tune の2年後、2013年10月にLavelleは無料のパズルエンジン PuzzleScript を公開する。すでに商業パズル作家としての評価を得ていた彼が、その設計知見をタダで手放したという順序は見過ごせない——先に「本気で作ればどうなるか」を示してから、道具を配ったのである(PuzzleScriptの系譜については、私が別稿で詳しく追っている)。

そして2016年、Lavelle は再び商業作へ戻り、Stephen's Sausage Roll を発表する。Polygon はこの作品を、Jonathan Blow や Bennett Foddy といった開発者たちが「史上最高の一本」と呼んだと報じた。さらに2019年、Baba Is You の作者 Arvi Teikari(Hempuli)は自らのインタビューで、Nordic Game Jam 2017の直前に遊んでいたパズルとして Stephen's Sausage Roll と Snakebird を名指しし、「Baba Is You のパズルとマップ設計へのアイデアの多くをそこから得た」と証言している。卵の重力を疑うことから始まった Lavelle の不寛容な設計哲学は、一本の商業作を経由し、次の世代の代表作にまで確かに届いていた。

卵の系譜が後の作品へ枝分かれしていくイメージ(AI生成)ひとつの卵から枝分かれしていく系譜のイメージ(イメージ・AI生成)

参考文献

本記事で参照した情報源:

Wikipedia: English Country Tune

Wikipedia: Increpare

increpare.com: English Country Tune 発表投稿(2011年11月)

PC Gamer: English Country Tune review (Chris Donlan, 2012年1月30日)

TouchArcade: "English Country Tune" Review — A Boldly Inflexible... (2011年12月15日)

Indie Game Reviewer: English Country Tune — an indie game review of this IGF 2012 Nominee (2012年1月20日)

Metacritic: English Country Tune (iOS) Critic Reviews

Guinness World Records Gamer's Edition 2016(Increpareの記録認定、Wikipedia経由で参照)

Rock, Paper, Shotgun: PuzzleScript Is A Simple Language For Making Puzzle Games (Graham Smith, 2013年10月14日)

Polygon: Why the creators of QWOP and The Witness are calling Stephen's Sausage Roll one of the best of all time (Allegra Frank, 2016年4月18日)

Indie Game Website: Baba Is You Developer Arvi Teikari Talks Indie Innovation, Influences and Puzzle Design (2019年7月19日)

おわりに

この記事を書きながら思うのは、English Country Tune が「まだ無名だった頃の傑作」ではなく、「多作な無名の作家が、初めて本気で商業に挑んだ記録」だという点である。500本を超える無料ゲームを積み重ねてきた人物が、たった一度、金を取って世に問うたときに何を選んだか——それが、卵の重力という、これ以上ないほど地味で、これ以上ないほど根本的な発明だった。

2026年の今、Steamの棚に並ぶ「頭を抱えさせる」パズルの多くを遡ると、Stephen's Sausage Roll、そして Baba Is You という結節点にたどり着く。だが、その手前には2011年、まだSteamの外で静かに配信された一本があったことを、私は覚えておきたい。系譜とは、いつも一番地味な最初の一歩から始まっている。

静かに灯る孵化器の遠景のイメージ(AI生成)旅の終わりに残る、静かな孵化器のイメージ(イメージ・AI生成)

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