SOUNDTRACK · 2026-08-15
Kine のサウンドトラック — 間違えられないジャズを設計する
Chel Wong
はじめに — 幕が上がる前の、音合わせ
Kine が始まると、私は書き割りのような夜の街に立つ小さな機械を見下ろしている。ドラムマシンの Quat、アコーディオンの Roo、そしてトロンボーンの Euler。Komugi のレビューが扱ったとおり、Chump Squad(Gwen Frey)のこの3Dパズルは、バンドの成功を夢見る楽器たちがサイコロのように転がって劇場都市を渡っていく話だ。最初に耳へ届くのは、ウッドベースの歩くような一定のライン。テンポはだいたい 110 から 120 のあいだ、肩の力が抜けたミディアム・スウィングだ。
作曲は Chel Wong。ビッグバンドの厚塗りではなく、ショウ・チューンの明るさを小編成に移した音で、ブラシのドラム、アコーディオン、そしてトロンボーンが入れ替わり顔を出す。レコード棚から言えば、これはコンサートのジャズというより、ミュージカルの開演前のオーケストラピットの音だ。まだ誰も主役ではない。だがベースだけは、最初の画面から最後まで、ずっと歩くのをやめない。
パズル固有の特徴 — 一歩ごとに一音、しかも絶対に外れない
Kine の音楽設計でいちばんパズルらしいのは、プレイヤーの操作そのものが発音になっている点だ。盤面で機体をひと転がしするたびに、その機体の楽器が短い音を鳴らす。Quat を動かせば打音、Roo なら蛇腹のひと呼吸、Euler ならスライドの一声。つまり私の指は、移動キーを押しているのと同時に、伴奏の上でずっと即興をしている。
ここで作曲者が向き合った問題が面白い。Chel Wong は Indie Game Fans の Q&A で制作の内側を語っている。決め打ちのジャズソロを移動に割り当てる案や、音を一対一で厳密にトリガーする案ではなく、彼女は3つの楽器それぞれに大量の音を録りためた『バンク』を用意し、そこから調に合う音を優先するランダム再生で応える方式を選んだ。本人いわく、まともに鳴らすまでは悪夢のようだったが、直す価値のある悪夢だった、と。さらに彼女は二つの制約を最初から譜面に埋めている。全体を貫く一定のベースライン、そして進行に応じて楽器の層が増えていく積層構造だ。ベースが常に足場を歩いてくれているから、上に乗る音は、どのタイミングで鳴っても転ばない。
体験との隠れたリンク — 回転の数学が書いたラブストーリー
裏取りをしていて、思わずコーヒーを置いた話がある。Gwen Frey は Irrational Passions のインタビューで、3体の名前の由来を明かしている。彼女は元々3Dアニメーターで、Euler はオイラー角、Quat はクォータニオン、Roo は回転順序(Rotate Order)——すべて3DCGで物体を『回転』させるための数学用語なのだ。転がる=回転することが遊びの中心にあるパズルで、登場人物の名前が回転の実装から採られている。しかも Frey は、オイラー角が回転順序の指定なしには意味をなさないことを、そのまま物語に写した。Euler は Roo に夢中で、独立して完結するクォータニオンの Quat は一体で飄々としている。数学の依存関係が、そのまま恋の構図になっている。
音楽の側にも、出来すぎた偶然がある。Frey は La La Land に強く影響を受け、ジャズを軸に据えると決めてから、地元ボストンのゲーム開発者ミートアップで Chel Wong に出会った。Wong はジャズのトロンボーン演奏経験を持つ作曲家——主人公 Euler と同じ楽器の奏者だ。Wong 本人が『彼女が探していた人物に、私がほぼそのまま当てはまっていた。あれは人生でいちばん運が良かった瞬間だと思う』と振り返っている。最初の試作がしっくりこなかったとき、Wong が土台に借りたのは La La Land の Another Day of Sun のコード進行だったという。ゲームの音楽がメカニクスと同じ夢を見ている例は多くないが、Kine では作曲者の経歴までもが主人公と重なっている。
パズルとのアナロジー — 考える時間は休符でいい
Kine のパズルは、少ない動詞で立体を渡るタイプの、じっくり考える系だ。手が止まる時間は長い。だがこのゲームでは、手が止まっても音楽は困らない。ベースは歩き続け、私が黙っていれば上物はただ薄くなるだけだ。つまり長考は無音ではなく休符として扱われる。そして解法が見えた瞬間、確かめるように連続で転がすと、一歩一音の即興が急に密度を上げて、短いソロのようにつながる。考える=休符、確信=フレーズ。プレイヤーの思考のBPMが、そのまま演奏の抑揚になる構造だ。
これはジャズのセッションの手触りに近い。下手なソリストが入ってきても、リズム隊が止まらなければ曲は壊れない。Kine のリズム隊は絶対に止まらないベースラインで、ソリストは私だ。間違った転がし方をして崖から落ちても、音楽は私を叱らない。次の一手を待って、また同じテンポで足場を差し出す。失敗を減点として鳴らさないこの距離感は、A Monster's Expedition の指先のリズムとも通じるが、Kine はそこへ『あなたの音は必ず調に合う』という保証まで足している。
聴くべきトラック
まずは1曲目の The Bass-ics。タイトルどおり、ゲーム全体を支えるベースの思想がいちばん裸で聴ける。歩くベースの上に、楽器がひとつずつ挨拶に来る構成で、Kine の音楽設計の縮図だ。作曲者 Chel Wong 本人のチャンネルで公式に公開されている。
アコーディオン練習曲の趣がある Practicing the Accordion は、Roo のたどたどしさが愛おしい一曲。こちらも本人のチャンネルにある——
通しで流したい日は Kine Full OST ↗ を。皿を回す派なら、Bandcamp の Kine Official Soundtrack ↗ で全曲を高音質で聴ける。
おわりに — 盗むなら、音符ではなく安全網を
自分が曲を作るなら、Kine から盗むのは格好いいフレーズではない。『演奏者が間違えられない場』の作り方だ。調をひとつに束ね、絶対に止まらないベースを敷き、入力にはキー内の音を優先するバンクで応える——即興を受け止める側の設計に知恵を全部使い、旋律はその上で自由にさせる。FRACT OSC が全曲を C ペンタトニックに揃えたのと同じ系譜の判断で、インタラクティブな音楽の要諦は結局ここに尽きる気がする。鳴らす音を書くのではなく、鳴ってよい音の集合を書く。
ゲームを再訪するなら、一度だけ、解けている面をわざとゆっくり歩いてみてほしい。休符だらけの自分のソロが、それでも曲として成立していることに気づくはずだ。黒コーヒーのおかわりを淹れながら、私は少し考える。私たちの制作にも、止まっている時間を休符に変えてくれるベースラインのような何かが、一本あればいいのだ。
参考リンク
・Steam: Kine Soundtrack (公式 OST DLC)
・Chel Wong — Kine Official Soundtrack (Bandcamp)
・Indie Game Fans: Soundtrack Spotlight — Kine Q&A with Chel Wong
リアクション(ログイン不要)
匿名で残せます • 同じリアクションは1日1回まで
関連シリーズ
パズルのサウンドトラック第70回 / 全104回
次に読む
関連レビュー
Tetris Effect: Connected
落ちてくるブロックを積んで列を消す、あのテトリス。ルールはそのままに、30を超えるステージで音と光がプレイに合わせて動く。時間を止めて4列より多く消せる「ZONE」と、3人の盤面がつながる協力モードが加わった、水口哲也の Enhance が手がける一作。
FRACT OSC
シンセサイザーでできた広大な遺跡を一人称で歩き、光るノードや音の仕掛けを操作して、眠った機械と音楽を蘇らせていく音楽探索パズル。説明はほとんどなく、何が触れられるのかを自分の目で見極めることそのものが謎解きになる。IndieCade で音響デザイン賞を受けた Phosfiend Systems の2014年作。



