SOUNDTRACK · 2026-08-19

The Vanishing of Ethan Carter のサウンドトラック — 三度を抜いた和音で、渓谷を歩かせる音

Mikolai Stroinski

はじめに — 渓谷の一歩目に鳴る、決めない和音

地図もHUDも持たされないまま渓谷に降り立ち、最初の一歩を踏み出すと、鳴るのは旋律ではなく、宙に浮いたような和音だ。四度と五度ばかりが積まれ、真ん中の音――長調か短調かをその場で決めてしまう三度――がわざと省かれている。2014年にポーランドの The Astronauts が出したこの一人称ミステリー、The Vanishing of Ethan Carter の音楽を書いたのは、当時はまだブレイク前だった Mikolai Stroinski。Komugi のレビューが Steam レビュー群から拾った『褒める順番』は判で押したように風景、次に音楽、物語は三番目以降だという。私が今日この一枚を選んだのは、その『二番目』の理由を、譜面の外側から確かめたかったからだ。

だいたいBPM50、いや、もはや拍を数える意味があるのか怪しいほど、和音と和音の間が間延びしている。中心にあるのはピアノ一本で弾かれる『Ethan's Theme』――オーケストラで着飾る前の、素の旋律。そこに弦のロング・トーンと、輪郭のぼやけたパッドが後から重なってくる。楽器の数は多くない。多くないのに、渓谷の広さだけがやたらと伝わってくる。その仕掛けを、今日は少し覗いてみたい。

パズル固有の特徴 — 解決しない和声が、地図なしの足取りに合う

Stroinski はこのスコアを書く前に、感情、編成、和声の設計図を先に文章として作り込む、建築の設計図に近い準備をしていたという。そのうえで意図的にやったのが、和声を『解決させない』ことと、和音から和音への間隔を薄める(dilute)ことだ。三度を避けて四度・五度を軸にするのは、和音に『これは長調/短調だ』という結論を出させないための選択で、結果としてスコア全体が『開かれた』手触りになる。

この『開かれ方』は、ゲーム側の不親切さ――地図もHUD も、目的地を示す矢印もない、という不親切さ――と対になっている。時間制限もヒントもなく、ただ渓谷を好きな速さで歩き、好きな場所でしゃがみ込んで手がかりを拾う。音楽が和声的な『正解』を出さずに漂い続けるのは、ゲームが行き先の『正解』を出さずにプレイヤーを放置するのと同じ態度だ。Return of the Obra Dinn や The Case of the Golden Idol のような、私が以前扱った推理パズルの多くは、正解を突きつける瞬間(名前を確定させる、絵を完成させる)にはっきりした区切りがある。Ethan Carter の和声はその区切りを、ほとんど最後まで持ち越す。

アナロジー — 保留され続けた和音と、最後に一度だけ許される合唱

解ける速さで言えば、この作品はせっかちな推理パズルの対極にいる。Obra Dinn や Golden Idol が『一つの断定、一つの確信』を単位にテンポを刻むのに対し、Ethan Carter は長い持続音の上を、確信のないまま歩き続ける時間の方が長い。私はふだん、パズルを解くテンポと音楽のテンポのアナロジーを、拍やループの単位で語ることが多いのだけれど、この作品に関しては単位が『和声が解決するまでの距離』そのものになる。

そして、その保留は本当に、ゲームの最後の最後まで取っておかれる。アルバムの最終曲は『Valley of the Blinding Mist』の Credits Vocal Mix――同じ主題に、初めて歌が乗る、初めてはっきり調性が決まるバージョンだ。数時間ぶんの『まだ決めない』和音を聞いたあとに、たった一度だけ許されるこの合唱は、ずるいくらいよく効く。事件の全貌が並び終わった瞬間にだけ、音楽も『並び終わる』。その一致が、私がこの譜面をここまで気に入った理由の全部だと思う。

聴くべきトラック

まず一曲なら Ethan's Theme ↗(公式レーベル Sumthing Else Music Works の SoundCloud より)。オーケストラで飾られる前の、ソロ・ピアノの生の輪郭がここにある。この曲の断片が、アルバムの至るところに紛れ込んでいる、という前提で聴くと面白い。

最後に取っておきたいのが Valley of the Blinding Mist (Credits Vocal Mix) ↗(同レーベル公式)。数時間分の『解決しない和音』の後に、これだけが調性と歌を得る一曲だ。アルバム全体(全17曲)を通しで聴くなら Sumthing Else Music Works 公式 SoundCloud プレイリスト ↗、購入して手元に置きたい人は Steam の公式サウンドトラック DLC ↗ を。

おわりに — 私が作るなら盗む点

もし私が曲を作るなら、盗みたいのはこの二点だ。まず、主題は最初、飾らない一つの楽器(ピアノでも、声でも)で素のまま書いてしまうこと。オーケストレーションはあとから考えればいい。そしてもう一つ、その主題を後の曲で引用するとき、丸ごと繰り返さず、輪郭かリズムか音程のどれか一つだけを持ち出すこと。全部を隠せば気づかれないし、全部を出せば芸がない。ちょうど一つだけ残す、というさじ加減が、Ethan Carter の全編に効いている。

そしてもう一つ、これは黒コーヒーを飲みながらの反省なのだけれど――『解決』は使い切ってはいけない。何時間分もの和音を『まだ決めない』まま引っ張って、たった一度、しかも作品の一番最後だけに調性と歌を許す。その一度のために、それまでの全部を我慢する価値がある。次にレコードを一枚選ぶときは、この譜面をもう一度、渓谷を歩きながらでなく、部屋で座って聴き直してみようと思う。

参考リンク

・Game Audio Network Guild: Mikolai Stroinski discusses The Vanishing of Ethan Carter Soundtrack(作曲プロセス、和声設計、Ethan's Theme の変奏について)

・filmmusic.com: The Vanishing of Ethan Carter Soundtrack(レーベル Sumthing Else Music Works、リリース日、全17曲のトラックリスト)

・Sumthing Else Music Works 公式 SoundCloud: The Vanishing of Ethan Carter Original Soundtrack(全曲プレイリスト)

・Steam: The Vanishing of Ethan Carter Soundtrack(公式 OST DLC)

・Wikipedia: Mikolai Stroinski(経歴、The Witcher 3 等の代表作)

・Puzzlebyrinth: Komugi によるレビュー — The Vanishing of Ethan Carter

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