SOUNDTRACK · 2026-07-31
Myst のサウンドトラック — 音楽を入れないと決めた島に、後から流れた気配
Robyn Miller
はじめに — 拍のない、心拍より遅い漂い
桟橋に降り立つ。海のような、そうでないような広い水面が広がり、白い書物の島には放棄された図書館が建っている。歩き出すと、足音のほかにはほとんど何も鳴らない。やがて、どこからともなく低い持続音が滲んでくる——パンフルートのような、息を含んだ電子の声だ。私は癖で BPM を測ろうとしたが、拍がない。あるのは、だいたい毎分50を下回るかどうかという、心拍より遅い漂いだけ。1993年に Cyan Worlds が世に出し、2021年に自ら Unreal Engine で建て直したこの一人称パズルアドベンチャー(Komugi のレビュー)——その音を書いたのは、共同創設者にして共同デザイナー、Robyn Miller その人である。
音色は、生楽器ともアナログともつかない湿った合成音が主体だ。旋律は薄く、和音は解決を先延ばしにしたまま宙に置かれる。原作のこの40分ほどの音は、当時の予算の都合で一台のシンセサイザー——E-mu Proteus MPS——だけで、夜の時間を使って二週間ほどで書かれたという。道具が一つしかないという制約が、逆にこの島の音の統一感を作った。黒コーヒーを一口すすりながら、私はこの『足りなさから生まれた気配』に、まず耳を澄ませる。
制作の裏側 — 最初は『音楽を入れない』と決めていた
Myst の音楽で私がいちばん惹かれるのは、鳴っている音そのものより、それが最初は存在しないはずだったという事実だ。Miller 兄弟は当初、音楽はパズルの邪魔になると考えていた。プレイヤーは装置の前で何十分も立ち尽くし、記号を睨み、手記を読み返す。そこへ音楽が物語を語り始めれば、思考は急かされ、集中は削られる——そう危惧して、Myst はもともと無音で作られていた。作曲家の第一手が『引く』ことだった、というのは私には示唆的だ。
ところが、いくつかテストをしてみると、控えめな環境的音楽はゲームプレイを損なわなかった。それどころか、Miller 自身の言葉を借りれば、それは『いる場所の気分をほんとうに助けているように思えた(seemed to really help the mood of certain places)』。ここが分岐点だ。音楽は物語を運ぶためではなく、場所の温度を保つために後から招き入れられた。だから Myst の曲は前に出ない。歌わず、盛り上げず、ただその一角の空気を数度あたためたり冷やしたりする。無音を初期値に置き、必要な場所にだけ音を足す——この引き算からの設計を、私は何度でも聴き直したくなる。
体験との隠れたリンク — 音そのものが鍵になる Age
音を絞ったこの島には、逆に、音そのものがパズルの中心に据えられた場所がある。Selenitic Age——隕石に削られた荒涼とした地だ。ここには五つのパラボラ受信皿を備えた塔が立ち、島の各所に置かれたマイクが、その土地固有の音(風、火、水、時計、結晶)を拾って送信している。プレイヤーは受信皿を送信機の方角に合わせ、塔の基部の装置が鳴らす音の順番を聴き取り、その順にスライダーを並べて扉を開ける。ここでは耳が手であり、音が鍵だ。
さらにその先には、音で進む迷路がある。分かれ道で立ち止まると小さな音が鳴り、それが正しい方向を告げる。目ではなく耳で空間を読む設計だ。効果音と音楽の境界を溶かし、環境音そのものを解の一部にする——この発想は、後年 Miller が Riven で水と装置を音楽の一部にした流儀の、はっきりとした原型に見える。音を最小限に絞ったからこそ、鳴っている一音一音が情報として立ち上がる。無音の設計と、音を鍵にする設計は、じつは同じ思想の裏表なのだ。
パズルとのアナロジー — 滞在時間が読めない場所に、時間軸のない音を
Myst のパズルは、ヒントもハイライトも出ない島を歩き、装置と手記だけを頼りに一族の顛末を読み解く『観察と手控え』のゲームだ。プレイヤーがある一角にどれだけ留まるかは、誰にも予測できない。30秒で通り過ぎるかもしれないし、30分そこで詰まっているかもしれない。この滞在時間の読めなさこそが、音楽から起承転結を奪う。盛り上げて落とす構造は、線形に進む物語でしか成り立たないからだ。
だから Miller は、時間軸を捨てて空間軸に賭けた。曲はテーマを語る代わりに、その場所の気配だけを受け持つ。切り出して聴けば輪郭は薄い。けれど島に立ってその一角の音として浴びれば、風景に寸分の狂いもなく溶ける。解けない何時間もの間、音楽が『まだか、まだか』と急かしてこないこと——それは演出上の遠慮ではなく、行きつ戻りつする思考のテンポへの誠実さだと私は思う。針の振れない持続音は、堂々めぐりする足取りを、決して置き去りにしない。
聴くべきトラック
まずは Robyn Miller 公式の 2022 リマスター版(全29トラック)を通しで浴びてほしい。一台のシンセで書かれた原作の音が、雑味を落として澄んだ姿で並んでいる。下の埋め込みは公式の自動生成アルバム再生リストだ。
個別に挙げるなら、まず『Myst Theme (Remastered)』。この島の顔でありながら、決して声高に名乗らない主題だ。次に『Mechanical Mystgate (Remastered)』——歯車仕掛けの Age の、金属質でわずかに不穏な気配を凝縮している。まとまった別バージョンを聴きたいなら、Miller が2022年に Bandcamp で公開した『Lost Tracks, Pt. I - Myst』も面白い。VR 版のために書かれ、使われなかったスケッチ群で、あの島の音がどんな試行錯誤の上に立っていたかが透けて見える。
・Myst Theme (Remastered) — 公式音源(Robyn Miller)↗
おわりに — 自分が作るなら盗む点
私がここから持ち帰るのは、『無音を初期値にして、必要な場所にだけ音を足す』という順番だ。ふつう作曲は、真っ白な五線譜に音を書き込んでいく足し算で進む。だが Myst は逆から入った。まず全部消し、テストで『ここは音があったほうが呼吸が深くなる』と分かった一角にだけ、控えめな持続音を戻す。滞在時間の読めないパズル空間では、この引き算の設計が効く。書きたい欲を一度こらえて、鳴らさない勇気を持つ——盗むならここだ。
もう一つは、音そのものを鍵にする発想。Selenitic の受信皿と音の迷路は、音楽と効果音の境界を溶かし、耳を操作装置に変えた。曲を『聴かせるもの』から『使わせるもの』へずらす一手は、パズルというジャンルだからこそ許される贅沢だと思う。次に Myst を起動したら、図書館を出てすぐ、どこにも進まずしばらく立っていてほしい。水面と風と遠い装置の唸りの隙間に、後から招かれた気配がそっと滲んでくる。原作の続編 Riven や、音を極限まで絞った The Witness と併せて聴けば、パズルと沈黙の関係が、もう一段立体的に見えてくるはずだ。
参考リンク
・Steam: Myst(Cyan Worlds 公式ページ)
・Robyn Miller 公式 Bandcamp: Lost Tracks, Pt. I - Myst(2022年、VR 版のための未使用スケッチ)
・Spotify: Myst (Original Game Soundtrack) [Remastered 2022](全29トラック)
・Wikipedia: Robyn Miller(E-mu Proteus MPS 一台での制作、当初は無音だった経緯、パンフルート様の音色)
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